「秋葉原のお稲荷さん」
<平成21年9月参拝記載>
秋葉原は10年以上通っているなじみの土地。秋葉原で仕事をしていたこともあった。
仕事をしていたころはすでに神社に興味関心を抱いていたのだが、秋葉原に鎮座している神社にはあまり食指が動かなかった。
最近は「郷土の鎮守様」にも足を運ぶようになって、こうして街々に鎮座している稲荷様にも改めて着目。
世界有数の電気街と称される秋葉原界隈には、目立たずひっそりと商業の神様が点々としているのだ。
「柳森神社」 (千代田区神田岩本町鎮座)
祭神:倉稲魂大神
室町期の長禄2年(1458)、太田道灌公が江戸城を築城した際に東北の鬼門鎮護の為に京都伏見稲荷神社を勧請して創建。神田川土堤一帯に柳の木を多数植えて繁茂したことから柳森神社と呼称された。
境内には富士塚がある。これは延宝8年(1680)に富士宮浅間神社から勧請したことから盛んになったものとされる。明治以降に富士講が廃れてしまうが、昭和5年(1930)に周辺の富士講によって富士塚が新たに再建している。現在は富士講の痕跡が境内に石碑として残されている。
「おたぬきさん」として愛されている「福寿神」が境内に鎮座している。
徳川五代将軍綱吉公の頃に将軍のご生母である桂昌院によって江戸城内に福寿いなりとして創建。
桂昌院は京都堀川の八百屋の娘であったが、春日局に見込まれ、三代将軍家光の側室となり五代将軍綱吉公のご生母となった。
大奥の女性の多くは「他を抜いて(たぬき)玉の輿にのった桂昌院の幸運」にあやかりたい、こぞって「おたぬきさま」を崇拝したという。
のちに元倉前甚内橋際の向柳原の御旗本であった瓦林邸内に祠が移され、明治二年に柳森神社に合祀された。
東京都神社庁〜柳森神社
神田川岸の柳森神社 |
柳森神社社前 ひときわ大きな柳 |
柳森神社拝殿 |
柳森神社本殿 |
福寿神様入口 |
福寿神 おタヌキ様 |
福寿神社頭のおタヌキ様 |
福寿神社頭のおタヌキ様 |
おネコ様 |
境内の力石 |
境内の富士講石碑 |
秋葉原駅の南側。神田川の南岸に鎮座している。秋葉原駅からワシントンホテル近くの細道にはいると「神田ふれあい橋」という歩行者専用の橋が神田川に架かっている。隣は「東北上越新幹線」。
神田川沿いに神社は東面している。ちょっと窮屈そうな境内に富士講石碑や力石、稲荷小祠が密集している。社頭には名前の通りに柳も生えており、ビル街のまっただ中での緑の空間が心地よい。
境内には先客が二人いた。意外に立ち寄る人が多いようだ。私が訪れていた間にも入れ替わりでのべ5人ほどが訪れていた。
稲荷の神社に「おキツネ様」。福寿神には「おタヌキ様」。境内にいるのは「おネコ様」。なかなか賑やかな環境。気がつけば3匹ほどのおネコ様が境内にてのびのびとくつろいでいた。
「出世稲荷神社」 (神田須田町鎮座・旧連雀町)
祭神:倉稲魂命
伏見稲荷神社の分祠。現在は上記の柳森神社境外摂社。
連雀町創立の頃より町内鎮守神として祭祀。青果商人が出世奉賽の為に建立ともいう。
延享年間(1744−1747)の火災の折に柳森神社に合祀。
明治7年連雀町に社地造営し改めて遷座。
大正12年5月に社殿改築となり、再び柳森神社に遷座し9月に新築竣工となる予定であった。しかし関東大震災が発生し、町内は壊滅。当社神璽及び柳森神社神璽は偶然にも神田川「いなり河岸」に係留されていた「稲荷丸」(青果市場納入便船)に遷奉して猛火の中を河口に脱出し難を避ける事が出来た。
現在の社殿は昭和3年に遷座建立され、柳森神社の宮司によって祭祀が執り行われている。
神田須田町に鎮座。地下鉄「淡路町・小川町」駅から秋葉原万世橋方面に赴く途中に鎮座。建物に取り囲まれた小さな空間の中。そんななかでも神域が保たれている。ここに神社があることは知っていたがまじまじと由緒を見た事はなかった。こうして調べて柳森神社の境外摂社だということを知った次第。
「講武稲荷神社」 (千代田区外神田鎮座)
祭神:宇之迦魂命
旅篭町3丁目に鎮座。安政4年(1858)鎮座。
大貫伝兵衛というものが、講武所付属地の払い下げを出願し許可を得るために浅草橋場の長昌寺境内に鎮座していた稲荷神社に参詣し祈念をしていたところ安政3年に払い下げが許可された。翌年に社祠を造営し浅草橋場より稲荷社を遷座し創建。
大正二年の関東大震災によって社域焼失するも、その後の区画整備のよって現在地に安置。
昭和55年社殿改装。現在に至る。
秋葉原電気街の昌平橋・お茶の水に近い総武本線の高架近くに鎮座。アキバ的にわかりやすく言うと「石丸電気本店」の裏側、「ヤマギワリビナ本館」の正面に鎮座。
秋葉原の稲荷さんとして、比較的多くの人がなんとなく見た事があるだろう。
小さいながらにととのっており、獅子岩ならぬキツネ岩も石段の脇にちょこんとあった。社殿は地域の防災備蓄倉庫も兼ねているようで、非常用の水や食料が備蓄されていた。町内会持ちの神社故に、なるほどなあーといった感じ。
「花房神社」 (千代田区外神田鎮座)
祭神:宇之迦魂命
創建年代は不詳。江戸時代より当地に鎮座とされる。
この通りの反対側は「ドンキホーテ秋葉原店」 この路地の先に |
谷間に埋もれた神社があります |
人ひとりがやっと歩ける空間 |
花房神社とある扁額も確認出来ます |
この神社は私も知らなかった。「秋葉原マップ 花房神社 −民家の中に厳かに佇む江戸時代から続く秋葉原の守り神」の記事をみて初めて知った神社である。訪れてみれば、私がよく通っていた「中古CD/DVD屋さん」の裏階段のすぐ近くだった。何年も通っていたのにまったく気がつかなかったのは悔しい次第。
付近はビルの谷間の住宅地。たしかに「中古CD/DVD屋さん」の裏階段を使っていたときに「周辺住民の迷惑にならないように階段を使用してください」旨が張り紙がしてあった。不思議な感じもするが、秋葉原にも古くから住んでいる住民の皆さんがいて、こうしてビルの谷間で稲荷さんが信仰をあつめているのだ。
余談ではあるが、秋葉原の名称由来はもともと「秋葉神社」が鎮座していた事にはじまる。
(正確にいうと「鎮火社」が鎮座しており、のちに「秋葉神社」となった。)
では、その「秋葉神社」はどこにあるのだろうか。
私は秋葉で秋葉神社を探した事があったが、結果からすると千代田区外神田の秋葉原地域には秋葉神社はすでに鎮座していない。
実は「台東区松が谷三丁目」に鎮座している秋葉神社がその地名のルーツ。伊能忠敬らの菩提寺である源空寺や開きで知られる報恩寺がある入谷地区に鎮座している。
明治21年に秋葉原に鉄道駅が設置される際に、台東区松が谷三丁目に遷座されたという。
現在でもJR秋葉原駅の会議室(改築前にはJR秋葉原駅駅長室にあった)には秋葉神社の分霊が祭られているという。
→外神田探検隊さんのブログ参照
ちなみに秋葉原ルーツの「秋葉神社」御朱印は祭事等の時のみ授与とのこと。
→ こまいぬさん 古今宗教研究所 東都神社御朱印集より
参考文献等
各神社境内の案内板等
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