神社紀行〜全国編
神社紀行〜武蔵国編
武蔵国延喜式内社
神社御朱印
記紀神話の神様
神社つれづれ
靖國神社を想ふ
かみちゅ!舞台探訪参詣記
武蔵調布の神社歳時記
下総銚子の神社歳時記
 
掲載社一覧
掲示板
りんく集
 
Google

WWW を検索
サイト内検索

−表紙に戻る−


「都内神社散歩〜番外編」

<平成18年2月・8月参拝・平成21年9月記載>


穴守稲荷神社」「白魚稲荷神社」「平河天満宮




掲載を忘れていたわけではないけど、更新がされていなかった神社を単発扱いで掲載。



「穴守稲荷神社」(大田区羽田鎮座) 朱印

祭神:豊受姫命

文化元年(1804)に鈴木新田開墾(現在の羽田空港内の地)に際して沿岸の堤防が激浪にて被害を被っていたという。あるときに堤防に大穴を生じ海水が浸水してしまった。そこで堤上に祠を勧請して稲荷神社をまつったことが当社の始まりという。爾来、神霊の御加護あり穴の害が防がれたという。

昭和20年8月終戦後に米軍の進駐によって強制退去となり現在地に遷座、現在に至る。

「穴守稲荷神社 大鳥居」
この大鳥居は穴守稲荷神社が羽田穴守町に鎮座していた昭和初期に参道に建立という。
終戦時に米軍の進駐によって羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町の地域一帯に住民は退去し建物はすべて取り壊しされた。しかしこの大鳥居だけは取り壊しを免れて往時の唯一の建造物となった。
昭和27年に羽田が日本に返還され東京国際空港として再出発したあとも、この大鳥居は旅客ターミナルの駐車場一隅にのこされ「羽田空港の大鳥居」として象徴となっていた。
昭和59年に羽田空港のB滑走路等の拡張工事が開始されその整備の障害となる事から大鳥居も撤去がきまり、平成11年に現在地に移設された。

公式サイト


羽田空港 大鳥居

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社 奥社

参拝は2006年2月。記載しているのは2009年。さすがに覚えていない。
いつの間にかいっていたらしい。この飛行機の御朱印帳は現在では代替わりしてしまい、もう入手出来ないという。貴重な御朱印帳でもある。確か私はこの飛行機の御朱印帳がほしくてお伺いしたような記憶もある。
最寄り駅は京急空港線の「穴守稲荷駅」から東に200メートルほど行った場所に鎮座。モノレールの天空橋駅からでも西に400メートルほどである。




「白魚稲荷神社」(大田区羽田鎮座)

創立年代不詳なれど古社と伝えられる。
明治時代に安田矢の先祖により境内鎮座として当地が奉納され現在に至る。
昭和42年に社殿再建。


羽田穴守稲荷神社のほど近く。穴守稲荷神社より300メートルほど南に鎮座。モノレール天空橋駅から穴守稲荷神社に向かう途中に鎮座していたので立ち寄った次第。
由緒由来はわからないが「白魚」という稲荷神社は面白いなあ、と感じた。境内はとても開放的。樹木がないのがいささかさびしいといったところか。




「平河天満宮(平河天神)」(千代田区平河町鎮座) 朱印

祭神 菅原道真公
相殿 誉田別命(八幡宮) 徳川家康公(東照宮)

江戸平河城主の太田道灌公が城内の北梅林坂上に文明10年(1478)に江戸の守護神として創始。
慶長12年(1607)に徳川秀忠によって現在地に遷座し、往時は貝塚と呼称された地名を平河天満宮にちなんで平河町と改称。代々の徳川家の崇敬があつかった。

平河天満宮の銅鳥居は天保15年(1844)奉納。
石狛犬は享和元年(1801)に奉納され嘉永3年(1850)の火災で角や足を失い嘉永5年(1852)に補修して再建という。


平河天満宮

平河天満宮

平河天満宮 参道 牛がいっぱい

平河天満宮 石狛犬
  

こちらは2006年8月参拝。都内を散歩していて素材取材のために国会議事堂の写真を撮った流れで日枝神社・赤坂氷川神社にたちよったあとに平河天満宮に参拝。半蔵門駅より南に300メートル、麹町駅より南東に300メートル、永田町駅より北北東に400メートルといったところか。境内はぎっしりと詰まっている感じ。むしろ永田町近くでこれだけの空間を維持できていることのほうがありがたい空間といったところか。参道に天満の牛像が5匹ぐらいならんでいるのが特に記憶に残っている。牛がかように多い天満も珍しい気がする。


−表紙に戻る−