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「東総神社散歩〜千葉県旭市界隈の神社」

<平成22年5月参拝記載>

  「木曽義昌公史跡公園
  「中宮大神
  「竹下稲荷神社
  「西宮神社
  「星宮神社
  「鎌数伊勢大神宮



5月。銚子に行く用事の途中、旭で途中下車してみる。
東京からの高速バスを目的地の銚子まで乗らずにわざわざ旭で降りるのも酔狂かもしれない。

実は旭で降りる高速バスも2回目。
1回目は通りかかるたびになんとなく気になっていたポイントに向かってみたかったから。

木曽義昌公史跡公園。のっけから神社ではないが、銚子に向かう最中に目に留まり気になっていたポイントの一つ。



「木曽義昌公史跡公園」 

http://ja.wikipedia.org/wiki/木曾義昌
−抜粋ここから−
天正18年(1590年)、徳川氏の関東移封に伴い、秀吉から徳川附属を命ぜられて下総国阿知戸(現在の千葉県旭市網戸)1万石(あるいは2万石とも)が与えられて木曽谷を退く。
この移封によって精神的にも経済的にも逼迫した義昌は、文禄4年(1595年)失意のままに同地で亡くなり、家督は嫡男木曾義利が継承した。
墓所は千葉県旭市網戸の東漸寺(旧名は東禅寺)にあり、遺体は椿海に水葬されたという。寛文11年(1671年)、椿海は干拓され干潟八万石と称される田園地となったが、現在、その一角に木曽義昌公歴史公園が造られている。
−抜粋ここまで−


木曽左典厩兼伊予守源義昌朝臣像(平成3年像)

木曽義昌公の墓

最初は「なぜ木曽?」と疑問符を浮かべていたが調べていたら木曽義昌は旭で死んで墓もそこにあるらしいとわかった。
せっかくだからいってみようというわけで立ち寄り。
1月におとづれただろうか。彩りもなくちょっとさびしげな空間。木曽の名門も、旭で朽ちるとは思いもしなかったであろうに。

軽く立ち寄り、ひとまずは駅に向かう。



「中宮大神」 (千葉県旭市ロ鎮座)

由緒由来等は不明。



以上、3枚は平成22年1月の様子


以上3枚は平成22年5月の様子。
たまたま立ち寄ったら「平成22年4月」に再建したばかりのようだった。

旭駅の真正面。たまたま駅で電車待ちをしていたら目に留まった存在。
2010年1月には薄暗い空間であったが、5月に見たときには真新しく開放的になっていた。
見た瞬間、「あららっ」といった感じ。
木の一本も残らなかったのはさびしい所だが、再整備されるだけの氏子崇敬者がいるということはわかりひとまずは安心。




「竹下稲荷神社」 (千葉県旭市ロ鎮座)

由緒由来等は不詳。
社号標は平成2年設立。


JR総武本線旭駅。南西に約200メートルの地に鎮座。社殿は南面。由緒由来はわからないが、稲荷鳥居も幟も新しく綺麗。境内もこじんまりとしているが綺麗に整っており、崇敬者に大事にされていることがわかる佇まいであった。




「西宮神社」 (千葉県旭市ロ鎮座)

御祭神:事代主神(恵比寿神)

西宮神社は成田村が街道沿いの商業街として発展してきた応永2年(1395)年に、摂津国西宮神社より商業・漁業の守護神として事代主命(恵比寿神)を勧請したことに始まる。
創建当初は西ノ崎に鎮座。文政年間に現在位置に遷座。境内地の隣は成田山真福寺。


かつて外房線を走っていたC58蒸気機関車

西宮神社前の公園に静態保管されている

本殿

社殿の裏手は総武本線

御神木

御神木

旭市指定有形文化財「少名毘古大神の碑」
弘化3年(1846)醤油業者が商売繁盛を願って建立したものとされる。

朝日駅の西にある「真福寺」の隣に鎮座。旭駅からは約400メートル西側に鎮座。社殿は南面している。
社殿のすぐ後方には総武線が走っている。

午前9時30分。
駅から歩いて参拝に赴こうとするとお寺を通過して赴くことになる。社地の手前は公園として整備されており蒸気機関車が保存されている。蒸気機関車は最近整備がされたような佇まいでとても綺麗に保存されていた。

境内の向かって右手には大きな御神木。まっすぐに伸びる姿はそれを仰ぎ見るだけで神威的な気配を感じ取れる。
社殿の右側にある集会所ではなにやら地元のかたがたが勉強会のようなものを開いていた。
古くからの街の中心に近く人々の往来もにぎやか。社地前の公園では休日を楽しむ子供たちが遊んでおり神社ともどもに良い環境であった。




「星宮神社」 (千葉県旭市ニ鎮座)

御祭神:天御中主神

永禄元年(1558)に創建。星宮神社は千葉神社(妙見宮)の分霊を祭っている。
社殿は明治15年改築。鳥居は昭和53年再建。年平成19年に玉垣改築。


旭駅から西に歩く。国道126号線にそった北側に鎮座。旭駅からの距離は1.5キロほど離れているだろうか。
地図をみていて、ちょっとした寄り道に立ち寄ってみた。

意外におもしろい雰囲気。児童公園が併設された境内、社殿はそんなに大きくないが本殿のみでいわゆる本殿−拝殿という形式ではなかった。
直接に接することができる社殿に親しみを感じる。
明治期の彫刻ではあれど、それでも間近に拝見することができる彫刻はなかなかに迫力があった。
本殿を取り巻くように三方それぞれに氏子さんたちの参拝記念写真が掲げられていた。社殿とのアンバランスな光景がほほえましく、ここでも氏子さんたちの崇敬の様子が伝わってきて好感触。小さな神社であれど有意義な空間を楽しむことができた。




「鎌数伊勢大神宮」 (旧郷社・千葉県旭市鎌数鎮座)


御祭神:天照大神

もともと当地は寛文11年(1671)までは「椿の湖」という周囲42キロメートル(東西12キロメートル・南北6キロメートル)の湖であったという。

寛文年間。
江戸の白井治郎衛門、伊勢桑名の辻内刑部右衛門という二人が湖の干拓事業を開始。
当初は農民や漁民より強い反対があり工事が中断されるも両名は工事再開のために神助を得ようと考え伊勢神宮内宮神主であった梅谷左近大夫長重に工事遂行の祈願を依頼。両名は御神木と御神札を持ち帰り、この湖に浮かべたところ、流れ着いたのが現在の大神宮のある当方の岸であったという。これは神意に違いないと工事を再開したところ、不思議なことに今度は反対活動も起きずに工事が進んだ。
寛文11年12月28日に〆切の式を行い、水を九十九里に流し、翌寛文12年に待望の大干潟が生まれ18の村が成立。
これを干潟八万石と呼称。
寛文12年5月に内宮神主の梅谷左近大夫長重(現宮司家の12代前)により現在地に伊勢皇大神宮より御分霊を写し干潟の総鎮守産土神として祀られた。

昭和15年に香取航空隊飛行場が建設され、当境内は滑走路の東南となり神社境内は買収されなかったが背の高い樹木は飛行妨害で伐採されてしまった。また当地のすぐちかくに掩体壕も残っている。(残念ながら掩体壕は未確認だったのだ)

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/鎌数伊勢大神宮


本殿と御神木の三本スギ

本殿

御神木

夫婦杉 樹齢役320年

神楽殿
毎年春に奉納される「鎌数神楽」は千葉県無形文化財に指定されている。

旭駅から歩くこと約40分。歩くとなると結構な道のり。単純に参拝するために訪れるのであれば干潟駅のほうが近い。干潟駅からだと約20分歩けば良い。距離的には旭駅からは約3キロ離れている。
社殿は南面している。

神社としては新しい。江戸の開拓によって新しく形成された村々の鎮守。
境内は広く、とても開放的な神社。調べていたときに記事があったが、戦時中に近くに飛行場が造られたということもあり背の高い樹木は切られてしまったという。そうであっても、境内の右手にある御神木は立派な佇まいであるし、見所は多い。
社務所にお伺いし御朱印をいただこうかと思ったが、あいにくなことに神職さんは外出中とのこと。書ける人がおらず書置きもないということなので御朱印は後日。

藤棚の近くに行くと、ブンブンと大きな蜂が飛んでいて近寄りがたい雰囲気。藤棚と神社を絡めて写真を撮るという構図を考えていたが断念。
あとあと調べてみると、神社の裏手には「香取飛行場の掩体壕」があったらしい。蜂に気を取られてすっかり失念。脳裏にはまったく気をやる気配がなかった。これはどうやらまた来なくては行けないようだ。

このあとは銚子方面に用事があったので、歩いて干潟駅へ。神社散歩はひとまず終了。






参考文献等
各神社境内の案内板等

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