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雪降る都内の神社詣で〜平成18年1月/平成21年1月記載


文京区・台東区の神社
湯島神社」「根津神社」「上野東照宮」「五條天神社」「花園稲荷神社


平成18年1月21日。この日は都内で大雪となっていた。
雪だからこその風景を求めて、私は神社詣でを敢行、したらしい。
写真は平成18年1月だけれども、記事は平成21年1月に記載。ゆえに写真主体となってしまいます。


湯島神社(湯島天満宮・旧府社・文京区湯島鎮座)

祭神:
天之手力雄命・菅原道真公

 湯島天神は雄略天皇の勅命により御宇2年(458)1月創建と伝えられ、アメノタヂカラヲ命を奉祭したのが始まりとされている。
 時代は降って正平10年(1355)2月に郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の太祖と崇め本社に奉祀し、文明10年(1478)10月に太田道灌が、これを再建したという。
 天正18年(1590)徳川家康公が江戸城に入城され、天正19年11月に寄進し菅公の遺風を仰ぎ奉ったとされる。以後、学者・文人の参拝がたえることなく続き、五代将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すに及び、この地を文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬することとなった。
 明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当たった。明治五年には郷社に列せられ、ついで明治18年に府社に昇格している。
 明治18年に改築された社殿も老築化し、平成7年12月に現在の社殿が再建された。
 社殿は、本殿と拝殿が弊殿で結ばれている「権現造り」の建築様式で、日本古来の「木の文化」を象徴する純木造である。現在ではたとえ寺社建築であろうとも防火地域では新たな木造建築は認められていないが、万全の防火設備を整え、一年近い審議を経て、建築大臣認定第一号として特別に木造建築が許可されたという。

公式サイト

   
 
合格祈願の絵馬が多数
さすがに都内随一の学問の神様なのだ 



根津神社(府社・准勅祭社・東京十社の一・国重文社殿・文京区根津鎮座)
御朱印

祭神:須佐之男命・大山咋命・誉田別命・大国主神・菅原道真公

 約1900年余前に日本武尊が東夷平定に当たって武神スサノヲ神を千駄木の地に創始したことにはじまるといわれる古社。文明年間(1496−87)には太田道灌が社殿を造営している。
 江戸時代、五代将軍綱吉が世継を定めた際に現在地に社殿を造営。現在地は甲府宰相・松平綱重(綱吉の兄)の山手屋敷であり、六代将軍となる家宣生誕の地であった。兄の子を養嗣子と定めた綱吉は氏神根津神社を屋敷に献納し宝永3年(1706)に天下普請と呼ばれる大造営を行った。現在の社殿・唐門・楼門・透塀等が当時の建造物であり権現造神社建築を良く残すものとして国重要文化財に指定されている。
 境内地の「つつじヶ岡」は神社が遷座する以前の徳川綱重が屋敷の庭に植えたことにはじまる七千坪の神苑。
 六代将軍家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め正徳4年(1714)に奉納された大神輿三基が現存している。日枝の山王祭、神田の神田祭、根津の天下祭は「江戸の三大祭」と呼ばれている。
 明治後は准勅祭社、府社に列格。東京十社のひとつ。

公式サイト



国重文の楼門、そしてゆきだるまがふたつ



拝殿前にも ゆきだるま




上野東照宮(東京都台東区上野公園鎮座・国指定重要文化財)

祭神:徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜

上野公園内に鎮座
寛永4年(1627)に伊賀上野藩主の藤堂高虎が、屋敷地であった上野山(藤堂藩の伊賀上野が地名の由来)に造営し、正保3年(1646)には後水尾天皇から東照宮の宮号をうけた。それ以来、家康を祀るやしろを東照宮と呼称。
慶安3年(1650)に徳川家光が社殿造替を命じ、慶長4年4月に現在の社殿が完成。本殿・拝殿・唐門・透塀が当時の建築であり、国指定重要文化財。他に銅灯籠50基と寛永10年(1633)寄進の石造明神鳥居も国重文。
(拝殿・幣殿・本殿・唐門・透塀は明治四〇年に旧国宝指定)




五條天神社(台東区上野公園鎮座) <朱印

祭神:大己貴命  薬祖神二柱
   少彦名命
相殿:菅原道真公

上野公園内に鎮座。
第12代景行天皇のころ、日本武尊が東夷征討のおり上野忍が岡をお通りになったさい、薬祖神二柱の大神のご加護を得たことに感謝し、この地に両神を祀った事にはじまるという。
相殿の菅原道真公は寛永一八年に合祀。俗称・下谷天満宮とも呼称。
社殿地は創建以来、幾度かの遷座をかさね、昭和3年九月に創建の地に近い現在地に遷座。
日本橋本町にある薬事協会ビルの屋上には薬祖神社として当社が分霊されている。

花園稲荷神社
(台東区上野公園鎮座)<朱印

祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

創建年代は不詳。古くから当地に鎮座し「忍岡稲荷」が正式名称。また石窟の上に鎮座している事から「穴稲荷」とも呼称されてきた。
承応3年(1654)に天海大僧正の弟子であった晃海僧正が霊夢によって(または家光の命とも)廃絶していた当社を再建し、上野山の守護神としたという。幕末時には上野の山に立てこもった彰義隊の最後の激戦地であった「穴稲荷門の戦い」として知られている。
明治6年に再興し花園稲荷神社と改称。五条天神社が当社地に遷座し境内も一新された。(旧社殿は「お穴様」のところという)

公式サイト

花園稲荷神社・五條天神社 両参道 

五條天神社

花園稲荷神社


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