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「千葉周辺の神社散歩」
<平成21年6月参拝 7月記載>
「
船橋大神宮(意富比神社)
」「
二宮神社
」「
千葉神社
」
千葉モノレールに赴く用事があった。千葉まで行くのであればせっかくなので神社を寄り道。
「船橋大神宮(意富比神社)」
(延喜式内社・旧県社 千葉県船橋市宮本鎮座)
おおひ神社
朱印
祭神:天照大御神
創建は景行天皇の40年に日本武尊が東国平定の折りに当地にて東国平定の成就を祈願した事に始まるという。あわせて日照りに苦しんでいた住民のために地元で崇敬されていた意富比神に祈願したともされている。
延喜式の小社列格する式内社。
のちにここのあたりが伊勢神宮の御厨(夏目御厨=船橋御厨)となり、その守護として神明宮がまつられるも、のちに廃れ「意富比神社」に合祀されたという。その後、天照大御神の信仰が強くなり、意富比神社の社名は忘れられて「船橋大神宮」と呼称されるようになった。
千葉氏一族の富氏が代々の宮司家を勤め、現在でも千葉氏に改名して千葉氏一族が宮司を務めている。
明治維新の際に船橋の戦いにて戦禍にまきこまれ社殿・社宝の多くを焼失。(
wikipedia−市川・船橋戦争
)
明治6年に本殿、明治22年に拝殿再建。
明治社格では明治5年には県社に列格している。
境内では秋の例大祭(毎年10月20日)に奉納相撲がおこなわれる。これは1590年(天正18年)の徳川家康の上覧相撲に起源を発しており、下総で鷹狩りを行っていた家康の宿舎(現在の船橋東照宮の地)が船橋に設けられていた事にちなむ。
県指定文化財「灯明台」
明治13年(1880)、地元漁業関係者によって建立。三階建ての木造瓦葺。高さは12メートル。境内の覆宮塚とされる円墳(と推定される)の上に建立されている。
参考:神社由緒書
wikipedia〜意富比神社(船橋大神宮)
船橋大神宮(意富比神社)参道
船橋大神宮(意富比神社)参道
船橋大神宮(意富比神社)参道
「延喜式内意富比神社」とある社号標
境内の一隅にある「土俵」
拝所
拝所
船橋大神宮(意富比神社)社殿
境内脇の摂末社群
船玉神社
覆宮塚とされる円墳、この上の灯明台は樹木に覆われて見えない
「外宮」と「天之御柱宮」が並立
大鳥神社
午前11時。京成電鉄の「大神宮下」駅で降り、歩いて100メートルほど北上すれば「船橋大神宮」が鎮座している。わかりやすい立地。参道はまっすぐに150メートルほど延びており樹木も豊富、参道左手には土俵もあり、境内も広々としている。
拝殿というよりも拝門といったほうが気持ちすっきりする拝所で参拝。初宮詣でにぎわっており、社殿の方では祭礼がひっきりなしに行われているようだ。御朱印を頂戴し終わったら、境内散歩。社殿のむかって左手には摂末社が整然とならんでおり、突き当たりには船玉神社。社殿が船型に乗っているのがユーモラスだ。ちょうどこの脇からは京成電車の走る様子もみえるが、境内と街部とは一線を画したかのようにまるでおもむきが違う。あちらの喧騒もシャットダウンされる空間。それほどに境内は広め。
社殿のむかって右手側には「灯明台」があるも、樹木が覆い茂ってあまりみえない。灯明台がみたいのであれば冬場がよいらしい。
ゆっくりと境内をまわって、そろそろ移動。津田沼に向けて南下なのだ。
「
二宮神社
」
(延喜式内論社・旧郷社・船橋市三山鎮座)
朱印
御祭神:建速須佐之男命・櫛稲田比売命・大国主命・藤原時平命・大雀命・誉田別命
創建年代は弘仁年間(810−824)、嵯峨天皇の勅創という。古来より寒川神社二宮大明神と呼称。近郷23ヶ村の総鎮守。
治承四年(1180)に藤原師経が下総国に左遷されてきた際に左大臣藤原時平(871−909、菅原道真の政敵)を相殿に合祀。
延喜式内社の小社列格(式内社寒川神社の論社)。
明治社格では旧郷社。
一説には下総国二の宮ともいう。
現在の社殿は安永年間(1772−81)に再建されたもの。本殿及び拝殿の屋根葺きは大正年間に茅葺きから銅葺きに変更されている。
下総三山の七年祭 (二宮神社式年祭)
丑年と未年にあたる年に開催される大祭。最近では2009年11月22−23日開催。
船橋市・千葉市・八千代市・習志野市の九神社の神輿が二宮神社境内に集合し、翌日に幕張海岸で磯出式を行うというもの。550年以上の歴史を誇っている。
二宮神社・船橋市三山
子安神社・千葉市花見川区畑町
子守神社・千葉市花見川区幕張町
三代王神社・千葉市花見川区武石町
菊田神社・習志野市津田沼
大原大宮神社・習志野市実籾八千代市萱田町
時平神社・八千代市萱田町
高津比盗_社・八千代市高津
八王子神社・船橋市古和釜町
参考:神社由緒書
wikipedia〜二宮神社
/
下総三山の七社祭り
二宮神社正面
参道は窪地をぬけて延びている
鳥居の向かうには見事な向拝を垣間見る事が出来る
本殿
社頭
二宮神社拝殿 向拝部
神社側から参道を望む。谷の窪み具合がわかる。
御手洗の池の聖域をのぞむ
御手洗の池
参道から第一鳥居を望む
脇参道。「二宮大明神」の碑がみえる。隣は神宮寺。
津田沼でお昼を食べて13時30分。京成津田沼(京成電鉄)と新津田沼(新京成電鉄)と津田沼(JR)があたまのなかでゴチャゴチャになって見当違いの駅でバスを探してみたりするも、目的のバスはJR津田沼駅から「二宮神社前」行きのバス。見つけてみればわかりやすいバスなのだ。
一見しておもしろい。バスから降りたら、いかにもな社叢があり、鳥居が目につく。鳥居を潜ってみるとおどろき。参道が下におりて窪地の中をすすんでまた石段であがって社殿へと到達できるレイアウト。石段を下に降りると冷気が身にしみて一段と気持ちがよい。これだけで体が清められたような気がしてそうして石段をのぼれば一気に明るい境内が迎えてくれる。
江戸安永年間建立の社殿がずっしりとかまえている。社殿の重厚な気配と、窪地となっている霊泉の空間バランスがすばらしかった。
ヒーリング効果ばっちりといったところでしょうか?かなりおすすめです。
参拝していたときに、ちょうど地元の高校の野球部員や保護者が戦勝祈願を行うために集まり始めていた。高校野球の県予選だろうか。こうやって地元の高校が戦勝祈願を行っていたりする姿もほほえましいものだ。
「
千葉神社
」
(妙見本宮・妙見信仰の本源社・旧県社・千葉県千葉市中央区院内鎮座)
朱印
御祭神:天之御中主大神=北辰妙見尊星王(妙見様)
相殿:経津主神・日本武尊
千葉氏の祖である平良文(たいらのよしぶみ・板東八平氏の祖)が妙見尊に祈願しご加護を得ていた事から千葉氏では代々の守護神として篤く崇敬していたという。このような関係から千葉氏三代目の千葉忠常(平忠常)のころに御分霊が現在地に祀られた。その後、千葉忠常の次男である覚算大僧正によって伽藍が整備され長保2年(1000年)に「北斗山金剛授寺」という寺号でもって開山された。
七代目千葉常重により大治元年(1126)に本霊を千葉城より遷座合祀し名実ともに「妙見様の本宮」として整備され崇敬をあつめてきた。
江戸期までは真言宗派の北斗山金剛授寺尊光院と称していたが、明治の神仏分離によって神社となった。
明治社格では県社。
妙見菩薩と天之御中主大神は長年の神仏習合によって同一とも成っており、千葉神社が全国有数の「妙見信仰」の中心。
千葉氏代々が崇敬した守護神であり、全国数百社ともいわれる千葉氏縁故の妙見社の本源社であり「妙見本宮」とされている。
現在の社殿は平成2年造営。
全国初の重層社殿。二階拝殿を「北斗殿」、一階拝殿を「金剛殿」と称している。また楼門型の分霊社「尊星殿」が社頭に鎮座している。
境内の「千葉天神」は寿永元年(1182)に千葉神社前身の北斗山金剛授寺境内に天神として勧請。平成二年より千葉神社旧社殿を用いている。
公式サイト:
千葉神社 http://www.chibajinja.com/
社頭前の公園から千葉神社を望む
脇参道
見事な獅子岩 左
見事な獅子岩 右
楼門風の「尊星殿」
楼門風の「尊星殿」の
中央が福徳殿、二階が開運殿、左が日天楼、右が月天楼というらしい
拝殿二階部より撮影
二層式社殿
二層式社殿
本殿部
旧千葉神社社殿は、現在は千葉天神社となっている
整然とならぶ境内の摂末社と絵馬掛け
社頭前の公園は斬新すぎた
ちかくにあった「千葉常胤像」
千葉常胤:元永元年(1118)〜建仁元年(1201)
wikipedia〜千葉常胤
「小茶園弁天」(出世弁天)
創建年代は不詳。一説には弘法大師が巡錫の杖をこの地にとどめ
弁財天像を彫って祀った事にはじまるともいう。
鎌倉時代の領主であった千葉常胤が崇敬し、
源氏再興の祈願を行ったとも伝わっている
そろそろ時間がおしてきた。津田沼で迷ったのがいけなかったのだが、千葉駅周辺でいけそうなところをピックアップして「千葉神社」にいってみることにする。千葉都市モノレールに初めて乗る。千葉駅から二つ目の「葭川公園」駅で下車して500メートルほど北東に歩むと神社があった。
獅子岩が立派な狛犬が出迎えてくれる。楼門のような大きな建物は「尊星殿」というらしい。中央が八角形しており、左右殿も八角形していた。
そして目の前に広がる拝殿は、二層式。つまり二階建。私もいろいろな神社をみてきたが、二階建ての拝殿はさすがにはじめて。かなりびっくりしてしまう。両方をみてみたが、下の拝殿も上の拝殿も(あたりまえではあるが)きちんと拝殿としての設備が整っており、あえて云えば極めて「合理的」な神社であった。
千葉神社より、100メートルほど南東にいったところに窮屈そうに「千葉常胤」の胸像があって、そこに弁天様が鎮座。千葉神社に隣接している公園には不思議なモニュメントが林立していて、なんというか不思議な空間が形成されていた。
そうして、そろそろ用事の時間だったりするので、神社散歩は終了。モノレールに乗って千葉駅まで戻ることとなる。
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