「調布市東部の神社散歩」 
                   
                  <平成21年7月参拝記載> 
                   
                  なんとなく市内を散歩。 
                  もとをただせば京王線国領駅近くの病院に用事があって、その帰路を大幅に寄り道して嫁と一緒に神社巡りといったところ。 
                   
                  「八剱神社」「糟嶺神社」「田中稲荷神社」「金子ノ厳島神社」「柴崎ノ稲荷神社」「仙川ノ八幡神社」 
                   
                   
                   
                   
                  「八剱神社」<旧村社・八剣神社>(調布市菊野台鎮座) 
                   
                  開村祖先の神霊八座 
                   鈴木藤四郎義春・鈴木源五郎義賢・鈴木平六郎義尚・鈴木秀太郎義澄・鈴木勘次郎義宣・大竹重郎信昭・大竹新吾政親・大竹甚兵衛政康 
                  右相殿:素戔嗚大神 
                  左相殿:伊奈半左衛門神霊 
                   
                  創立年代は不詳。素戔嗚尊は創建時の御祭神とされる。 
                  開村祖先の神霊八座は、鎌倉幕府家臣が建武年間(1334−1336南朝・1334−1338北朝)に当地方に在住し開村し八名の佩刀を神宝として産土神に奉祀し、よって「八剣神社」と称したと伝わっている。 
                  相殿の伊奈半左衛門は文政年間(1818−1829)に村人が飢饉によって困窮した際に時の代官。半左衛門は辛苦を憐れみ金弐百両程度を村に助成したという。 
                  明治40年に村社列格。昭和43年に社殿改築。 
                   
                  
                  
                    
                      
                          
                        入口 | 
                          
                        右がアカマツ、左がクロマツ | 
                       
                      
                          
                        鳥居扁額 八剱神社 | 
                          
                        拝殿 | 
                       
                      
                          
                        社殿 | 
                          
                        境内社 | 
                       
                    
                   
                  
                   
                  柴崎駅から南に500メートルほどいくと道の突き当たりに鎮座してた。境内向かって右には「アカマツ」、左には「クロマツ」が林立し出迎えてくれた。アカマツは雄大に延びており、この神社の象徴ともいえる存在。クロマツは幹は立派であれど途中で幹を失っている状態であった。そうであっても存在感がすばらしく、みていて気持ちがよい気配。 
                  住宅地のなかで、静かに佇む存在。境内半分は公園として整備されており、憩いの空間として広がってた。 
                   
                   
                   
                  「糟嶺神社」<旧村社・多摩郡的矢荘入間村の鎮守>(調布市入間町鎮座) 
                   
                  糟嶺大神 
                   
                  創建年代は不詳。鎮座地は多摩郡の4つの墳陵の一つといわれ「丸山」と称していた。 
                  往古は墳陵の下に鎮座していたが、宝暦8年(1759)に墳陵上に遷座という。 
                  明治8年5月に村社列格。 
                   
                  
                  
                    
                      
                          
                        糟嶺神社 | 
                          
                        参道 古墳上に鎮座 | 
                       
                      
                          
                        拝殿 | 
                          
                        本殿 | 
                       
                      
                          
                        境内社 | 
                          
                        脇参道 | 
                       
                    
                   
                  
                   
                  柴崎菊野台の八剱神社から野川沿いにあるいて入間町へ。距離にして約1キロ。このあたりは狛江市との市境にちかい。駅で云うと京王線つつじヶ丘駅より1.2キロほど南東の都道114号線沿いに鎮座している。 
                   
                  鎮座地はこんもりとした丘の上。この丘が古墳であったという。 
                  周囲をちいさな川が流れており、小さな砦があってもよさそうな雰囲気。神社としての規模は予想よりも大きくて立派。丘の中に隠れている感が、より神々しさを増していた。 
                   
                   
                   
                  「田中稲荷神社」(調布市若葉町鎮座) 
                   
                  祭神:宇迦魂神 
                   
                  新井一族の氏神という。社殿は明治26年造営。上屋覆殿を平成10年に造営。 
                   
                  
                  
                    
                      
                          
                        正面参道 | 
                          
                        社殿 | 
                       
                    
                   
                  
                   
                  糟嶺神社より北上する事250メートル。都道114郷の若葉町三丁目交差点のところに鎮座している。夏真っ盛りといった参道はいささか蚊が多くて歩きにくい。意を決して奥まで行けば意外と開けた空間に小さめの社殿があった。 
                   
                   
                   
                  「金子ノ厳島神社」<旧村社・金子村の鎮守>(調布市西つつじヶ丘鎮座) 
                   
                  市杵志麻比売命 
                   
                  創建年代は不詳。当地の土着した古代人が農耕や飲料に適した池畔に弁天を祀った事に始まると伝わる。 
                  明治6年村社列格。 
                   
                  
                  
                    
                      
                          
                        甲州街道からまっすぐにのびる参道 | 
                          
                        境内入口 | 
                       
                      
                          
                        大きな鳥居と小さな鳥居 | 
                          
                        拝殿 | 
                       
                      
                          
                        拝殿 | 
                       
                    
                   
                  
                   
                  いったんつつじヶ丘駅にもどり、今度はつつじヶ丘駅から北上をする。約800メートルほど北西。位置としてはつつじヶ丘駅と柴崎駅の中間地点。 
                  国道20号甲州街道から、細い道が延びておりそこには「鎮守厳島神社参道」とある社号標。まっすぐに500メートルほどのびた突き当たりに鎮座している。かつては金子村と呼称されたつつじヶ丘地区の鎮守。緑に覆われた空間のなかでちょっと窮屈そうではあったが閑静な住宅街のなかに鎮座していた。 
                   
                   
                   
                  「柴崎ノ稲荷神社」<旧村社・柴崎の鎮守>(調布市柴崎鎮座) 
                   
                  倉稲魂命 
                   
                  創建年代は不詳。小田原北条氏のころに境内地・畑山村などが一町歩寄進されたと伝承される。 
                  明治4年に村社列格。 
                   
                  
                  
                    
                      
                          
                        柴崎稲荷神社参道 | 
                          
                        境内入口 | 
                       
                      
                          
                        ちょっとした高台に鎮座 | 
                          
                        拝殿 | 
                       
                      
                          
                        本殿 | 
                          
                        狛狐がみあげる社頭 | 
                       
                    
                   
                  
                   
                  金子鎮守の厳島神社から150メートル西。距離にして直ぐ隣の区画でこちらは柴崎の鎮守。ちょっとした丘の上に鎮座していた。 
                  300メートルほどの参道を持っており、両脇はすでに住宅地として開発されていたが、神社境内は丘の上ですがすがしい緑に覆われ社頭脇には稲荷様。そんな境内の脇公園には猫が昼寝をしていたりして、ちょっとしたノンビリ空間。 
                   
                   
                   
                  「仙川ノ八幡神社」<仙川の鎮守・旧村社>(調布市緑ヶ丘鎮座) 
                   
                  応神天皇 
                   
                  創建年代は不詳。 
                  明治4年10月に村社列格。大正6年に境外社・代官田神社(大六天神社)・厳嶋社を合祀。 
                  昭和31年4月に拝殿・渡廊下を新築し、本殿を改築。 
                  氏子地域は仙川町地区・北野町地区・三鷹市北野町地区に及ぶ。 
                   
                  
                  
                  
                   
                  仙川駅から北上。弁天橋を渡って白百合女子大の道路を挟んですぐ東隣に鎮座している。距離にして約700メートルといったところ。付近は都営仙川アパート(緑が丘団地)群であり、名前の通りに緑が豊富。100メートルほどある参道はよく整備されており、鳥居脇には寄贈された花等が植えられていたのが微笑ましい。ちょうど訪れたときに境内の掃除が行われていて、こうしてしっかりと氏子さんによって維持と崇敬がされていることが実感できた。 
                   
                   |