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「郷土の鎮守様〜千葉県銚子市内の神社」その2

2007−2008年初見

以下、「銚子電鉄の風景」ブログからの神社関連記事の転載を含め、再編集します

猿田神社」/「海上八幡宮」/「銚港神社」/「本銚子ノ浅間・愛宕神社
永照稲荷神社」/「愛宕神社」/「晴明稲荷神社」/「有政神社




「猿田神社」 (旧県社・海上郡中総鎮守・猿田山権現・御猿田様・庚申の神)
<千葉県銚子市猿田町鎮座>

祭神:
猿田彦大神・天鈿女命・菊理姫命

由緒:
第11代垂仁天皇25年11月25日に宮柱が建立されて鎮座という。
第14代仲哀天皇のころに神功皇后の三韓討伐に召し出された下総国海上郡の海上五十狭宿禰が猿田彦大神を奉じていたこともあり、当社は神戸の生田神社の摂社となったという。
大同二年(807)に社殿造営。源頼義が神田を寄進し、天文年間には古河公方足利晴氏が金印を奉納。

現存する本殿は戦禍焼失後の天正二年(1574)に再建後、延宝八年(11680)に改築されたもの。
桃山時代の姿を残す三間社流造として、千葉県指定有形文化財。
平成二年に屋根吹き替えをおこなっている。
また、猿田神社の杜(社叢)は千葉県指定天然記念物となっている
境内の御神水はわき水として、お水取が盛ん。当社の神水で眼を洗うと眼病が治るという信仰も伝えられている。

猿田神社では60年に一度の式年大祭があり、前回は1980年に行われている。次回は2040年。
明治社格では県社列格。
全国でも猿田彦大神を祀る神社はおおいが、『猿田神社』という社名は当社のみの社名という。(猿田彦神社という社名は多い)


JR猿田駅ホームから神社の杜を眺める。

猿田神社本殿 千葉県指定有形文化財


猿田神社参道にかかるレンガの橋は明治以来の総武鉄道時代の遺構でもある

猿田神社の参道にはレンガ積みの橋=先神橋が架かっている。途中に総武本線をまたぐためにかけられた橋。
明治30年(1897)6月1日に総武鉄道の成東−銚子間が開通。
当時の猿田には駅がなかったため、猿田地区の住民や、猿田神社宮司が駅設置のために奔走し、駅舎・鉄道用地を猿田神社が寄付するという約束で駅設置決定。
明治31年(1898)1月25日に猿田駅が開業。総武鉄道は駅開業のかわりに先神橋を猿田神社に寄付し、その管理を神社が行うことになったという。
現在かかっている先神橋は、総武鉄道時代からの貴重な鉄道産業遺跡でもある。


総武線の線路とレンガ造りの橋が良い雰囲気です。

今年(2007)の正月。実は、神社としては猿田神社が私の初詣でした。
総武本線猿田駅より西に歩いて約5分。駅にも近くてアクセスしやすいのも好感触。

すでに銚子に魅了されていた私は、銚子市内で一番大きな神社として話に聞いていた猿田さんに参拝。
鉄道産業遺跡といっても良い、総武鉄道時代からのレンガ橋に感銘し、豊かな社叢を散歩しながら、木漏れ日を楽しむ。
1月8日ともなれば人では少なく、静かな銚子の初詣。
御神水を頂いたり、境内散歩を楽しんだり、のんびりゆったりとしたり。

また近々、訪れたい神社です。
総武本線猿田駅より西に歩いて約5分。駅にも近くてアクセスしやすいのも好感触。

参考
角川日本地名大辞典・千葉県
とっておき、銚子散歩
猿田神社社務所発行 猿田神社のしおり



「海上八幡宮」(旧郷社・海上郡総鎮守・千葉県指定有形文化財)
<千葉県銚子市柴崎町鎮座>

祭神:
八幡大神・比売大神・神功皇后

由緒:
総社八幡宮・柴崎八幡宮とも称する。
海上郡60余郷の総鎮守・総社八幡として崇敬される。

大同2年(807年)8月1日に白鷺がしきりと鳴き、空中から八幡大菩薩の尊像を落としたことから、芝野の上に青竹5本を宮の形に結んで、尊像を祀ったことに始まるとも、宇佐八幡を勧請したとも伝わる古社。
治承4年(1180)に現在地に遷座。
もともとは堀内と称していた当地であったが、尊像を芝の上に祀ったことから芝崎と称するようになったという。

現在の本殿は天和3年(1683)の建立。江戸時代前期を象徴する三間社流造として、千葉県の有形文化財に指定されている。
文化財指定後に茅葺きを銅板葺きにふきかえ、解体調査が4年にわたっておこなわれ、本殿を建築当初の姿に戻すために拝殿と本殿を結ぶ幣殿を改築し、拝殿も前に移築するなど大がかりな修復が行われ平成15年に現在の姿となる。

海上八幡宮では、旧暦の8月15日(現在の9月24日前後)に祭礼があり、「お的式」と呼ばれる流鏑馬が奉納されている。
また、一の鳥居から続く桜並木は、例年人々の目を楽しませている。

明治6年10月に明治社格制度の郷社に列格。

<参考>
角川日本地名大辞典・千葉県
とっておき銚子散歩
境内案内板
海上八幡宮公式サイト


海上八幡宮はJR松岸駅より徒歩約15分。約1.5キロほどを西にあるくと境内がみえてくる。
一の鳥居から歩いてみれば、桜並木が佇まいを凛とさせ、立ち流鏑馬が行われるという参道の賑わいを目に浮かべながら、のんびりと散歩。
二の鳥居の向こうには、海上八幡宮を護ってきた社叢につつまれ、とても気持ちよい木漏れ日を楽しむことが出来る。
拝殿の向こうに目をやれば、江戸初期の流造を濃厚に表す本殿。
銚子の街で、こういった予想にも思わなかった古色然とした社殿に出会えるのがなにやら新鮮です。
修復工事がおこなわれ、より一層に八幡らしい力強さをみせてくれる当社は、海上郡の総鎮守。今も昔もかわらずに、郷土に親しまれてきた神社の風雅が漂っていました。

銚子の隣駅、松岸駅。銚子電鉄とは逆の方向にはなりますが、銚子の街を楽しむついでにお時間があるときにちょっと足を伸ばして見るのも良いかもしれません。



「銚港神社」 
<旧郷社・千葉県銚子市馬場町鎮座>

祭神
闇淤加美神(くらおかみのかみ)

相殿神
級津彦神(しなつひこのかみ)
級津姫神(しなつひめのかみ)

明治2年までは龍蔵権現と呼称。利根川を眼下に見おろす高台に鎮座。
創建年代は応永2年(1395)とも、奈良時代ともいわれている。
銚子発祥の祖神。歴代の領主の祈願社として崇敬。銚子の産土様。
龍蔵権現と称していた頃の御神体は板東三十三箇所第二十七番霊場の円福寺本堂にあるという。
明治2年に現在の社名に変更。明治16年8月に郷社列格。昭和20年には県社昇格の内意をうけていたが、昭和20年7月の銚子空襲によって戦災消失。
現在の社殿は昭和33年に復興。社殿正面の書は当時の総理大臣吉田茂が揮毫。

円福寺(飯沼観音・坂東三十三箇所第27番札所)に隣接する神社


銚子電鉄観音駅から北に300メートル。駅名物のたこやきやたいやきを片手に歩くのが良いだろう。途中には円福寺があり、そして神社の隣には飯沼観音がある。現在では観音のほうが有名。
観音のとなりゆえに、少々息苦しい境内。ひときわ目立つ吉田茂揮毫の「銚港神社」の文字に風格を感じる。そこはさすがに銚子隨一の産土神。

写真は2008年1月撮影



「浅間・愛宕神社」
<銚子市後飯町鎮座>

愛宕・浅間・天神社

浅間神社・木花乃佐久夜毘売命
愛宕神社・火産霊命(カグツチ神)
天神社・菅原道真公

由緒由来等は不明。飯沼観音の裏手に鎮座し「浅間神社」は、地元では「浅間様」と呼称。

本宮の祭礼が7月の第三土曜日におこなわれ、銚子の夏祭礼のはじまりでもある。
この日は本銚子駅では有人改札化され銚子電鉄も非常に賑わう日<銚子電鉄・浅間様号サボ写真

なお、以下の写真はすべて魚眼レンズ使用です(周辺が歪曲してます)


ちなみに手水の石にはくぼみがあります。
銚子の何カ所かの神社では、
研ぎ石として、神社の手水石がつかわれたとか。

神社境内からは波崎がよくみわたせます。
気持ちの良い高台に鎮座。

銚子電鉄・本銚子駅から西に向かうとすぐ右手の丘陵上に鎮座。電車からでもその社叢をうかがうことが出来る。

丘の上からは利根川の河口が遠望もでき、銚子電鉄の走る音を耳にしながら、ゆっくりと利根川を眺めつつ、銚子の風を身にうけるのが非常に心地よい空間。銚電沿線でも、おすすめスポットのひとつです。



「永照稲荷神社」
(銚子市新生町鎮座)

寛永12年(1635年)に豊後の佐伯氏が銚子浦利根川沿いに祀ったことに始まるという。
享保19年(1734年)に社殿遷座。
昭和46年に現在地に遷座し「永照稲荷大明神」と改称。

海上平穏大漁祈願の神

鎮座地に南面して、永照稲荷が鎮座し、その隣に北面して「水神宮」が鎮座している。


稲荷神社正面

そういえばキツネ様がいませんね

付近は「新生浜公園」として整備されています

こちらは対照的に利根川に向けて北面している水神宮

こちらは対照的に利根川に向けて北面している水神宮

また、公園内には銚子港の改修に尽力した二人を記念する像と碑が建立されている

濱口吉兵衛像
濱口吉兵衛は銚子醤油(現・ヒゲタ醤油)社長。衆議院議員。
銚子漁港改修に尽力。
銚子遊覧鉄道初代社長。

*銚子遊覧鉄道
大正2年(1913)開業。大正6年(1917)営業廃止。
初代社長が濱口吉兵衛。
小野田周斎頌徳碑
銚子病院院長。千葉県会議員。
濱口吉兵衛・今井健彦とともに銚子港改修に尽力。
銚子鉄道初代社長。


*銚子鉄道
銚子遊覧鉄道の廃止をうけて、大正11年に開業。
初代社長は小野田周斎。
銚子鉄道が現在の銚子電気鉄道の流れをくんでいる。

すきっちょくるっちょ〜とっておき、銚子散歩 Web版 18.銚子港
http://www.sukikuru.net/cdb/modules/soapbox/article.php?articleID=24
を参考に。



「愛宕神社」
<千葉県銚子市天王台鎮座>

千葉県北総地区随一の高所、愛宕山。
利根川河口敷きの北総地区には高い山がなく、この愛宕山も73.6メートル

地球が丸く見える丘展望館がある山。私らの仲間たちは「まるみえ」と通称。

それではなぜ、この山を「愛宕山」というのだろうか。
もちろん、愛宕の神社があるはずと思っていたし、展望館の入り口に「灯籠」があることからも神社があっておかしくなかった。
でも、実際に神社があることに気がついたのは展望館に3〜4回行ってみたあとだったことからすると、意外と気にしないと気がつかないらしい

一等三角点「高神村」
明治25年(1892)設置。
北緯 35°42′11″0300
東経140°51′24″4078
標高73.62m

おそらく、この祠が銚子の愛宕山の愛宕神社。
むこうがわに屏風ヶ浦がみえるのが、新鮮です。

すぐわきに、地球が丸く見える丘展望館の施設があります



「晴明稲荷神社」
<銚子市陣屋町鎮座>

安倍晴明にゆかりある小祠

銚子と安倍晴明伝説 メモ」を参照。

安倍晴明が逃走の際にたちよった場所にちなむという。
晴明稲荷は、徳川家治のころに創建。明和元年(1764)9月に飯沼村森田家により建立され、太平洋戦争中まで森田家によって守護されてきたという。

参拝すると必ず大漁となるという逸話を持つ晴明稲荷は地元漁業従事者の信仰を集めた。


なお写真は魚眼レンズを使用(2007年9月撮影)



「有政神社」 
<銚子市小畑町鎮座>

創建年代は不詳。
後西天皇のころ、万治3年(1660年)に小畑の集落ができたとされ、その何年かのちに神社が建立されたものと推測。
有政大明神と呼称。その後、小畑神社・蟻在神社とも称した。
昭和41年に有政神社と社号を定めた。
祭神は、保食神・天児屋根神・猿田彦命の三座。
(境内の石碑参照)


鎮座場所は銚子電鉄君ヶ浜駅より、北西約600メートル。ちょうど君ヶ浜のコンビニ(ローソン)の裏の道を300メートルほど北西にすすむと鎮座しています。
細長めの境内ですが良い感じに樹木におおわれていて、集落の鎮守としての存在感がきっちりとある雰囲気を感じることが出来ました。
(写真は2007年9月)



おまけ

犬吠観光ホテルの敷地に移設された「亀の子様」
漁師は豊漁祈願として、亀の子様を大切にしており、そんなほこらのひとつが犬吠のほど近くにあるのだ。


写真は2007/12/8
太平洋のほどちかく。海亀をおまつりするにはもってこいの場所ですね。

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