「郷土の鎮守様〜東大和市近郊編」
<平成21年11月参拝記載>
東大和市
「芋窪ノ豊鹿嶋神社」/「蔵敷ノ厳島神社」/「蔵敷ノ熊野神社」/「奈良橋ノ八幡神社」
「高木神社」/「狭山神社」/「清水神社」
東村山市
「廻田ノ金山神社」/「多摩湖ノ氷川神社」
「東大和市 神社地図」
11月3日。文化の日。明治神宮に行こうかなともおもっていたけど、それは味気ない。もっとも11月3日(明治天皇天長節=誕生日)に明治神宮にいったことはないが。
この前後、10月31日から11月8日まで「2009東京文化財ウィーク」というのが催されていた。
都内文化財の一般公開。
せっかくなので、神社関係の何をみたいなあと考えて、行き着いた先が「東大和市の豊鹿嶋神社」。東京都内最古の神社建造物という存在にかなり興味がひかれたのだ。
東大和市に赴くのははじめて。家からだと京王高幡不動駅から多摩モノレールに乗るのが良いらしい。
そんなわけでモノレールにも初めて乗ってみる。
多摩都市モノレール |
モノレール車中から見た富士山 |
開業10周年らしい多摩モノレール。はじめての乗車はなかなか面白かった。目線が高いといろいろなものが見えてくるので飽きてこない。そうして西側に富士山を眺めつつ終点の上北台駅に到着。
「芋窪ノ豊鹿嶋神社」 (郷社・東大和市芋窪鎮座)
祭神:武御加豆智命
創建年代は不詳。古くから芋窪地域には人々が居住をしており狭山丘陵一帯では原始・先土器時代からの遺跡が出土している。豊鹿嶋神社裏手の丘(鹿嶋台遺跡)からも縄文時代の遺跡が発見されている。
「武蔵名勝絵図」記載社伝によると創建年代は文武天皇の慶雲4年(707)に武蔵国に顕れたという鬼神を常陸峯に鎮めて、天智天皇第四ノ姫と蘇我山田石川麿が建立したと伝承されている。このときに鬼神の頭が三面あった事にちなみ三面の頭を使った獅子舞が奉納されていた。(市重要文化財の獅子頭が三面現存している。)
現在の本殿は文正元年(1466)建立。天文19年(1550)に本殿再建。都内最古の神社建造物にして唯一の室町期建立本殿。都指定有形文化財。一間社流造。
拝殿幣殿は平成7年に造営。
また当社に残る狛犬は木造で宝暦10年(1760)に修理された事が確認されており、制作時期は室町期〜江戸初期までさかのぼる可能性もある。
明治6年に村社列格。明治14年に郷社昇格。
豊鹿嶋神社 参道
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御神木「けやき」と「オッポッポ」(ふくろう)像 |
御神木「けやき」 後方の木が二代目(昭和29年) |
豊鹿嶋神社 正面 |
豊鹿嶋神社 正面 |
豊鹿嶋神社 境内 |
豊鹿嶋神社 社殿 |
豊鹿嶋神社 本殿 |
多摩モノレール上北台駅よりまっすぐに北上。芋窪街道を1.5キロほど歩くと青梅街道につきあたり、目の前に神社の参道も見えてくる。参道は200メートルほど。参道の左側には御神木「けやき」の古木がある。樹齢1000余年を誇っていたが火事や台風で根本を残すのみになってしまったという。
境内は広く、そして樹木豊富。社殿後方には斜面が広がり杜が広がる。境内社が幾社か杜の中に鎮座しており、ヒーリング効果も豊かな環境。多摩丘陵の南面という好立地が神社の景観を一段と良いものにしていた。
文化財ウィークということだったので、とりあえず現地に行くとどうにかなるのだろうと思って行ってみた。
が、とくに変わった事はなく普通に神社をしていた。拝殿前に「文化財ウィークの幟とポスター」がでているぐらいだろうか。そこには「宮司宅までご連絡ください」と張り紙もあった。
ちょっと困った。私は成り行き任せで参拝している事が多いので、あまりアポをとったりする事は多くないのだがせっかくここまで来たので連絡をしてみることにする。そうして宮司さんがいらっしゃったので「御朱印」の記載と「本殿拝観」を快諾してくれた。
あとから調べたところによると「本殿拝観」は事前予約制だったらしい。急な飛び込みでご対応して頂いた宮司さんには大感謝です。
以下、特別に本殿社殿の写真撮影許可を戴きました。(無断複製を禁じます)
豊鹿嶋神社 本殿 |
豊鹿嶋神社 覆殿内部の「本殿」
東京都有形文化財
現存する都内最古の神社社殿建造物
特別に社殿の写真撮影許可を戴きました
(無断複製を禁じます) |
豊鹿嶋神社 本殿 |
豊鹿嶋神社 本殿 |
豊鹿嶋神社 本殿 |
豊鹿嶋神社 本殿脇の木造狛犬 |
東大和市重宝「獅子頭」江戸時代後期の獅子頭 |
東大和市立郷土博物館展示
「豊鹿嶋神社本殿模型」縮寸1/10 |
大和市立郷土博物館展示
「豊鹿嶋神社」複製木造狛犬(宝暦10年1760修理の彩色推定) |
宮司さんが社殿の解説をしてくれた。
本殿は室町期の造営。都内最古の神社建造物。平成7年に修復修理をおこなっており、その際に現在の覆殿・拝殿を整備したという。江戸時代後期の安政5年(1858)に覆殿がつくられており、それまでは外に鎮座していた。調査の結果、社殿はもともと朱色に塗られていた(「柿の渋」を使ったという)とのこと。
本殿を拝観していると他にも見学者がやってきて話に花が咲く。そうこうしていたらつい長居をしてしまい1時間30分ほど滞在してしまった。
「蔵敷ノ厳島神社」 (東大和市蔵敷鎮座)
祭神:市杵島姫命
蔵敷一の素封家とされる内野家の伝承によると永禄年間(1558−1569)に内野宗春が私有地に祠を建てて奉斎し天正期の検地に際して貢粗を免ぜられたという。
その後に内野秀勝が新規に祠を造り替えたのが宝暦8年(1758)4月25日とされ、爾来内野家の守護神となる。
天保6年(1835)11月18日に内野重泰が一族とはかり本建築の社殿を天保9年に造営し、これが現存の本殿という。
旧称は弁財天。明治期になって厳島神社と社名変更。内野家守護神から蔵敷村鎮守神へと移管され、厳島神社と熊野神社の二社が村鎮守として存在することとなった。
蔵敷ノ厳島神社 |
蔵敷ノ厳島神社 参道 |
蔵敷ノ厳島神社 拝殿 |
蔵敷ノ厳島神社 本殿覆殿 |
蔵敷ノ厳島神社 |
豊鹿嶋神社より500メートルほど東に鎮座している。青梅街道沿い北側の台地に鎮座。このあたりの神社はいずれも青梅街道周辺に鎮座している。石段を登るとちいさな社が山中にあるといった感じ。拝殿部分と本殿部分がそれぞれに独立していた。
「蔵敷ノ熊野神社」 (東大和市蔵敷鎮座)
祭神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
創建年代は不詳。蔵敷の鎮守。
一説によると蔵敷一の素封家とされる内野秀勝が同家の鬼門除けに勧請したとも伝えられる。
同家の勧請した厳島神社が永禄年間(1558−1569)の創建とされることから、同一時期に創建された可能性もある。
蔵敷ノ熊野神社 参道 |
蔵敷ノ熊野神社 |
蔵敷ノ熊野神社 |
蔵敷ノ熊野神社 境内稲荷社 |
青梅街道の北側の丘に鎮座。さきほどの厳島神社より100メートルほど東に行ったところ。メインの参道に平行して稲荷さんへの参道がある。稲荷さんの参道はまっすぐに伸びる竹藪の中に埋もれており気持ちがよい。石段を登り終えると広くなった空間がある。社殿が直射日光の下でまぶしい。
「奈良橋ノ八幡神社」 (東大和市奈良橋鎮座)
御祭神:
本殿東殿 大山祇神社 大山祇命
日月神社 天照坐皇大御神 月読尊
八坂神社 素戔嗚尊
本殿中殿 八幡神社 誉田別之命
本殿西殿 日枝神社 大山咋神
厳島神社 市杵島姫命
諏訪神社 建御名方命
創建年代は不詳。
宮が壊れようとしていたとき、いつの頃か武士がどこからか逃げてきた。この森で露営をしようと辺りを見渡すとお宮があるのがわかり宮の中で眠ると神夢があらわれ「吾は八幡の神なり 当社によく宿ってくれた 宮が破損しようとしているので村人に建て替えるように知らせてほしい」と武士に告げた。そうして翌朝にその理由を告げ天正3年(1575)11月に領主石川太郎衛門の寄付にて社殿再興したとの言い伝えが残っている。
その後、元禄2年に旧領主家である石川太郎衛門・岸隼人などが尽力して拝殿を建立した。
昭和7年9月、現在の社殿が改築されている。
近くに市史跡の八幡谷戸遺跡がある。
奈良橋ノ八幡神社 入口 |
奈良橋ノ八幡神社 参道 幼稚園 |
奈良橋ノ八幡神社 正面 |
奈良橋ノ八幡神社 拝殿 |
奈良橋ノ八幡神社 本殿 |
奈良橋ノ八幡神社 杉の根株 |
東大和市立郷土博物館から北に200メートルといったところ。大きな幼稚園が併設されている。「大和八幡幼稚園」。その奥まったところに神社が鎮座している。
予想していたものよりも規模が大きい。参道も広く、そして長。祝日という事もあって幼稚園の方は静まりかえっていた。拝殿の脇のベンチで老夫妻がお弁当を広げていたのが微笑ましい光景。
八幡神社を参拝して、郷土博物館にも足を運ぶ。なかなか立派な施設。ここで豊鹿嶋神社の模型と狛犬のレプリカも見学。こうして資料的にも見る事ができるのはありがたいこと。ここに模型があるというのも豊鹿嶋神社の宮司さんが教えてくれたから立ち寄りであって、なにも情報がなかったらきっと立ち寄らない場所だっただろう。
「高木神社」 (東大和市高木鎮座)
祭神:高皇産霊大神
創建年代は不詳。宝暦8年9月20日に再建した記録が残っている。
古くは高木神社と称していたが、その後に「尉殿大神」と称していた。明治13年に再び高木神社と再度の改称。
末社の塩竈神社は安産の神様として崇敬されている。
奈良橋の八幡神社(上記)の兼務社。
高木神社 正面 |
高木神社 参道 |
高木神社 拝殿 |
高木神社 社殿 |
奥は高木神社社殿 手前は塩竈神社社殿 |
高木神社にあった看板 かなりインパクトあります |
高木神社 立ち狛犬ならぬ「獅子舞」モニュメント |
高木神社 獅子舞像と社殿 |
青梅街道の南側に鎮座。位置的には武蔵大和駅の900メートルほど西側に鎮座。さきほどの八幡神社からは1キロほど離れている。
東大和では美術工芸品を各所に設置しており、当社には「高木の獅子舞」モニュメントが設置されている。見方を変えるとまるで「立ち狛犬」のようで面白い。
境内には高木神社と塩竈神社げが並立している。神社としては塩竈神社のほうが有名なようで、近くのバス停も「塩竈神社前」となっている。安産の神様として崇敬をあつめているようだ。
境内では子供たちがかくれんぼをしていたりしてとても賑々しい。
「狭山神社」 (村社・東大和市狭山鎮座)
祭神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
創建年代は不詳。古くは天狗大明神と称していた。
社殿は明治18年12月に焼失し、明治29年8月に竣工。本殿覆殿を明治39年に竣工。
奈良橋の八幡神社(上記)の兼務社。
狭山神社 正面 |
狭山神社 |
狭山神社 社殿 |
狭山神社 拝殿 |
狭山神社合祀の神明社跡地 |
高木神社より北東に800メートル。青梅街道の北側に鎮座している。武蔵大和駅より西に700メートル。
社地は窮屈で奥行きはない雰囲気。空間としては開放的ですらある。大きな木が目立つ。社殿彫刻が新しいものではあるが、向拝の龍の目が金色に輝いているのがおもしろい。
青梅街道にでたところ、消防団の敷地の脇に「神明宮跡地」とあった。かつてはこの地に神明宮が鎮座していたが上記の狭山神社に合祀され、いまは神社跡地の碑のみがその由来を伝えていた。
「清水神社」 (村社・東大和市清水鎮座)
祭神:素戔嗚尊・奇稲田姫命
創建年代は不詳。古くから「石川の氷川神社」と称せられ、従来は「石川の谷ツ」に鎮座していた。大正5年に村山貯水池のダム工事が始まると鎮座地が湖底となるため氏子もろともに現在の清水の地に遷座。字名をとって「清水神社」と改称した。
往古の氷川神社は徳川幕府より5石の朱印状をもらっており、明治5年に村社列格。
清水神社 正面 |
清水神社 参道 |
清水神社 拝殿 |
清水神社 社殿 |
社頭に新築準備の案内がありました |
清水庚申塚 |
青梅街道より南に200メートル。武蔵大和駅より300メートル南西といった所に鎮座。社地は東面している。極めて開放的。社殿後方は公園となっており子供たちが遊んでいた。社前は参道がどーんとひろがり明るい。まぶしいぐらいだ。
社前では「新築活動」の準備をお知らせする告知が出ていた。結構本格的に新築するようで、できあがったらまた参拝にお伺いしたいかもしれない。
参道脇で、休息していたおじさんに「こーいうのが好きなのか」と声を掛けられる。周辺の神社の話をしていたら、「ここから南に行ったところになにか神社があるよ」とのことで、せっかくなので行ってみる。そこは事前調査では見落としていたからだ。
行ってみれば、神社のような「庚申塔の祠」があった。祠の中には「庚申塔」が三基納められていた。江戸時代中期享保13年(1728)の造立という。たしかに鳥居がたっているので、ぱっと見には神社に見えてしまう。なるほどなあ、といった感じではあった。
「廻田ノ金山神社」 (村社・東村山市廻田町鎮座)
祭神:金山彦尊・大己貴尊・受持尊・日本武尊
創建年代は不詳。一説によると貞和7年(北朝1351)3月16日に鍛冶職の小町大膳左京主水が宅部北明神の岡に住み、邸内に金山神・神明神、里稲荷神等を三社相殿にまつったという。
その後、長禄3年(1459)に廻田に移し、金山神社を下組の鎮守、稲荷神を上組の鎮守、神明神を廻田の境鎮守に奉斎。
明治10年に稲荷社・神明社を再び当社に配祠したが、稲荷社は元社地でも本社共々に崇敬をあつめているという。
明治6年に村社列格。
現在の社殿は大正10年に大改修されたもの。
廻田ノ金山神社 境内 |
廻田ノ金山神社 正面 |
廻田ノ金山神社 拝殿 |
廻田ノ金山神社 拝殿 |
西武多摩湖線の武蔵大和駅より、東に600メートル。こちらは東村山市になる。近くだから行ってみたという感じ。まったくの雑談ではあるが、「武蔵大和駅」とは旧海軍の大和級戦艦の「大和」「武蔵」が並んでおりちょっとおもしろい。
神社は青梅街道に面して北面している。樹木は多くはないが大きなケヤキの木が目立つ。非常に明るい境内。夕日になりかけた日差しが眩しいぐらいだ。
「多摩湖ノ氷川神社」 (村社・東村山市多摩湖町鎮座)
祭神:須佐之男命
創建年代は不詳。山口領氷川神明の分祠。上代の屯倉跡が神域の東方の丘陵に連なっているという。
明治6年に村社列格。
多摩湖ノ氷川神社 正面 |
多摩湖ノ氷川神社 参道 |
多摩湖ノ氷川神社 社殿 |
多摩湖ノ氷川神社 社殿 |
西武多摩湖線「西武遊園地」駅のすぐ近く。100メートルも離れてはいない。社地の南方は都立狭山自然公園。西側は多摩湖。。北側は西武遊園地。そして東側に西武線が走っている。東京都の北辺ギリギリの地でもある。公園のようなところに鎮座しており、散歩途中に立ち寄ると行った人が多い。もともと埼玉に住んでいた私としてはやっぱり「氷川神社」に来ると安心できる。
今回は「豊鹿嶋神社」をメインに東大和市と東村山市の神社を掲載。この辺りははじめて訪れた地でもあり新鮮であった。
参考文献等
「北多摩神社誌」
各神社境内の案内板等
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