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「郷土の鎮守様〜練馬氷川台から板橋ときわ台周辺の神社散歩

<平成22年7月参拝9月記載>

<練馬区>
1.「熊野稲荷神社(林稲荷神社)」 練馬区桜台鎮座
2.「羽根澤稲荷神社」      練馬区羽沢鎮座
3.「桜台ノ高稲荷神社」      練馬区桜台鎮座
4.「氷川台ノ氷川神社」     練馬区氷川台鎮座
5.「西本村稲荷神社」      練馬区平和台鎮座
6.「氷川台ノ諏訪神社」     練馬区氷川台鎮座
<板橋区>
7.「桜川ノ御嶽神社」      板橋区桜川鎮座
8.「東新町ノ氷川神社」     板橋区東新町鎮座
9.「ときわ台ノ天祖神社」    板橋区南常盤台鎮座

関連地図:練馬区の神社地図(googleマップ)
関連地図:板橋区の神社地図(googleマップ)




7月の休日。埼玉方面に行く用事があった。
せっかくなので、寄り道神社散歩。
今回は有楽町線・副都心線の「氷川台駅」から東武東上線「ときわ台駅」界隈の神社を散歩してみる。

10時30分。まずは「氷川台駅」に到着。



「熊野稲荷神社(林稲荷神社)」<練馬区桜台鎮座>

御祭神:保食神(うけもちのかみ)

創建年代・由緒不明。


境内入口には鍵がかかっており入れませんでした

10時40分。氷川台駅から南東に300メートルほど歩いた住宅街の中に鎮座。社殿は南面。
入口の門に鍵がかかっていて、扉は開かず。境内に入って参拝することかなわず。どうにもこうにも出足から蹴躓いてしまったような気分。
境内に入れないのであれば、次を目指すしかない。



羽根澤稲荷神社<練馬区羽沢鎮座>

御祭神:保食神(うけもちのかみ)

創建年代・由緒不明。
境内は平成20年10月に再整備完了。


門扉は手で開けられました

空間はゲートボール場

平成20年10月境内再整備

昭和45年建立の石鳥居

平成20年10月建立の狐像

10時55分。境内に入れなかった熊野稲荷神社より東に約200メートル行ったところに「羽根澤稲荷神社」が鎮座している。
こちらも門が閉まっていた。しかし鍵はかかっていなかったので門扉を開けて境内に入ることができた。
境内の広い空間はゲートボール場。その一段高いところに南面して社殿は立っている。そこにも門扉があって、なにやら参拝するまでに障害が多い。境内は平成20年に再整備を終えたらしく、とても綺麗に整っていた。



「桜台ノ高稲荷神社」<練馬区桜台鎮座>

御祭神:保食神(うけもちのかみ)

創建年代・由緒不明。文政5年(1822)のころより下練馬村三軒在家の守護神として崇敬されてきた。
昭和55年2月初午に社殿建替。


平成2年建立鳥居

ちょっとした高台に鎮座

嘉永6年建立石鳥居

昭和57年11月建立の狐像

本殿

社殿

いったん氷川台駅に戻りそこから西に歩く。ちょうど石神井川にそって約500メートルほど歩むと川の南岸にちょっとした高台がある。
11時20分。
高稲荷神社到着。「高い場所の稲荷」と命名なのかどうかは不明。社殿は東面している。神社周辺は「高稲荷公園」として整備されており、格好の憩いスペース。親子で鬼ごっこなどをしている姿がなにやらほほえましい。神社の周りをぐるぐると走っているのはご愛嬌であれど。

いったん氷川台駅まで戻る。



「氷川台ノ氷川神社」<旧郷社・練馬区氷川台鎮座>

御祭神:須佐之男尊

長禄元年(1457)に渋川義鏡が足利成氏との戦いの途中に北豊嶋郡下練馬を渡ろうとして石神井川に出会い、よどむところに泉がこんこんと湧き出ており、これをもって兵を休め素戔嗚尊を祀り武運長久を祈ったとされている。
この石神井川の近くを「お浜井戸」が当社の旧鎮座地。
延享年間(1744−8)に海老名左近によって現在地の旧観音山に神社遷座。近隣の僧鎮守となった。

拝殿前の狛犬は天明7年(1787)銘のある区内最古のもの。


安永4年の石鳥居

境内入口

天明7年(1787)銘の区内最古の狛犬

天明7年(1787)銘の区内最古の狛犬

拝殿

本殿覆殿

郷社 氷川神社

氷川神社のムクノキ
樹高23m、太さ2.9m

氷川台駅から、地名の由来ともなった「氷川神社」を目指す。
11時50分。氷川神社に到着。社殿は南面している。

旧社格は郷社。もともとは石神井川の近くに鎮座していたのが遷座したそうだ。緑豊富な境内で汗が引くのを待ちつつしばし休憩。木々を揺らす風の音が気持ちよいものだ。もともと埼玉に住んでいた私なので、氷川台駅と通過するたびに近くの氷川神社は気になっていた存在。ようやく尾とづれる機会ができた。



「西本村稲荷神社」<練馬区平和台鎮座>

御祭神:保食神(うけもちのかみ)

創建年代不詳。
延宝年間(1673−81)に旧西本村の稲荷として19戸の講員によって崇敬されてきた。
これらの家々は創建以来ほとんど変わっていないという。
昭和29年2月18日に宗教法人登録完了。それ以降も19世帯の家々によって護持されてきている。


稲荷神社社号標は昭和59年建立。赤鳥居は平成11年2月建立

昭和30年10月建立の石鳥居

稲荷神社社殿

西本村稲荷のケヤキ
樹高25m、太さ3.5m

境内の御嶽神社 昭和55年建立

氷川台の氷川神社から北西の平和台駅方面に向けて800メートルほど歩く。
12時20分。西本村の稲荷神社に到着。
境内地はそこそこの空間があるが、社殿は小規模。でももともとは社殿は大きくなくても良いのかもしれない。
境内には北面する稲荷社と南面する御嶽社が鎮座していた。あとは大きなケヤキの木。とてもシンプルな景観。



「氷川台ノ諏訪神社」<練馬区氷川台鎮座>

御祭神:建御名方命・保食神

創建年代不詳。江戸時代には既に鎮座が確認されている。


諏訪神社正面

諏訪神社参道

明治30年10月建立の狛犬

諏訪神社拝殿

諏訪神社社殿

いったん氷川台方面に戻り、都立城北中央公園方面へ。

12時40分。
東京少年鑑別所の隣、斜面となった道に面して諏訪神社が鎮座。社殿は西面していた。さすがに歩きとおしだったので、木陰を求めて一休み。
本殿覆殿が拝殿に対して比率としては小さく、ちょこんと乗っかっているようなレイアウトだった。



「桜川ノ御嶽神社」<板橋区桜川鎮座>

御祭神:金山彦命・金山姫命・倭建命

創建年代は不詳。旧板橋村栗原(桜川の一部)・七軒屋(上板橋)の氏神。
栗原の地は康生2年(1456)に大田道灌が千代田村(現在の皇居)に江戸城を築く際に千代田村宝田の住民を移動させたところともされ、このときに村内に祀ってあった稲荷(宝田稲荷)もこの地に遷座させたという。
当神社もそのころに信州御嶽山(一説に甲州)を勧請したと伝承。

境内には嘉永7年(1854)銘の狼型狛犬は山岳信仰を伝えるもので、都内では有数の古さを誇っている。


御嶽神社入口

昭和35年建立の狼型狛犬

昭和35年建立の狼型狛犬

昭和61年建立の狼型狛犬

昭和61年建立の狼型狛犬

御嶽神社

御嶽神社拝殿

御嶽神社社殿

御嶽神社境内社

嘉永7年(1854)銘の狼型狛犬

嘉永7年(1854)銘の狼型狛犬

ここからは板橋区。

13時ちょうど。
都立城北公園内、野球場の北東に鎮座しているのが御嶽神社。上板橋駅の約700メートル南。社殿は東面している。

うしろに野球場、となりにテニス場があれど、神社周辺は聖域が保たれており公園内ゆえの緑豊かな環境が整えられていた。
社殿の朱と木々の緑と振りさす日差しのコントラストがとても気持ちよい空間。
狛犬ではなく狼というところも興味深い。秩父三峰系とは別に御嶽系でも確かに狼があるが、こうして都内でも狼像が見られるのは貴重だ。なかでも嘉永7年(1854)の銘が残っている狼型狛犬は愛くるしい表情とともに歴史的な佇まいも残しており見飽きない。



「東新町ノ氷川神社」<板橋区東新町鎮座>

御祭神:速須佐之男命

創建年代不詳。上板橋村上之根の鎮守。
「新編武蔵風土記稿」に「氷川神社(長命寺持)村の鎮守」と記載されている。
当社の氏子範囲は上板橋村の南部に広がり江古田駅前の浅間神社は境外末社のひとつ。
(浅間神社には国重要有形民俗文化財に指定された富士塚も残る。)

昭和20年6月の大空襲により本殿はかたむき、幣殿・拝殿の屋根は破損したため仮工事を施す。
昭和26年に本殿・幣殿・拝殿を補修。
昭和27年に幼稚園を設置。

昭和56年に本殿・覆殿・内拝殿・幣殿新築。


氷川神社正面

明治20年建立鳥居

社殿

社殿

末社。左は天満宮。右は榛名神社。

自動で流れ出る手水

13時25分。東新町の氷川神社に到着。
さきほどの御嶽神社からは約800メートル南東に鎮座。ときわ台駅からは約700メートル南西。社殿は南面している。
参道は70メートルほどはあろうか。社叢豊かに緑に覆われており、境内を歩むあしどりも楽になる。もともと埼玉に長く住んでいた私なので、氷川神社という言霊にはどことなく安心感が得られる私。気持ちのんびりと参拝を楽しむ。



「ときわ台ノ天祖神社」<村社・板橋区南常盤台鎮座>

御祭神:天照大御神・豊受姫命・大山咋命

創建は不詳。
後深草天皇(寛元元年6月10日(1243年6月28日)〜嘉元2年7月16 日(1304年8月17日))のころに豊島氏の手によって創建であるとも伝えられいる。
鎮座地は江戸期には川越街道の上板橋宿場で同宿の産土神として信仰を集めた。
当時は神明社(神明宮)と称し、宿内に祀られている小社は皆当社の管理下であったという。
寛政9年(1797)には大田南畝が参拝している。

明治6年天祖神社と改称。村社列格。

現在、地名の「常盤台(ときわ台)」は当社に繁茂していた松林の「常磐」にちなんでいる。

昭和20年6月10日、当社付近は板橋区最大の空襲にあい、当社神楽殿は半壊、社殿一部にも被害があった。
戦後、神社護持のため境内地1700坪を宅地として開放。このときに「ときわ台駅南口」も開設された。
昭和45年社殿改修。

境内の弘化3年(1846)の狛犬に円形のキズがあるがこれは昭和20年6月10日の空襲による爆弾の破片跡。


昭和31年建立の鳥居

天祖神社参道

拝殿

摂末社

弘化3年(1846)の狛犬

弘化3年(1846)の狛犬

弘化3年(1846)の狛犬の台座には昭和20年6月10日の空襲による弾痕破片の跡がある。

境内の井戸より汲み上げた水を手水としている

脇参道 昭和17年建立石鳥居

14時5分。ときわ台の天祖神社に到着。
さきほどの氷川神社からは北東に約800メートル。ときわ台駅からは100メートル南西に鎮座。社殿は東面している。
駅の近くであれど豊かな社叢。境内は広く駅前であることを忘れさせる空間が広がっている。参道脇のほうには摂末社が並んでおりよく整ってもいる。手水舎は新たに井戸を掘ったという手水に流れる水音とともに、設置された風鈴がより一層の涼音を響かせる境内。とても気持ちよく参拝できた。



この日はこれにておわり。
氷川台駅10時30分スタートでときわ台駅14時30分到着にて歩行距離約7キロといったところ。参拝社は9社。
私としては10社前後を参拝するのが一番手ごろなのだ。


参考文献等
各神社境内の案内板等
東京都神社名鑑

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