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神社をめぐる、ということ 

平成16年12月記 平成20年11月掲載(文中は平成16年の内容です)



しばらく自分語りをしてみます。お付き合い下さいませ。脈絡のないことを淡々と書いていきます。
特にまとめはしません。

神社を巡るという事を自分なりに考え直してみました。

好きな神社や行く神社が決まってくるのは、自然の流れかと思います。私も一時期は毎月同じ神社にしか行っていませんでした。それも私の場合は四季折々の写真を撮りたいが為の訪問であり、神社崇敬の面から言えばなおのほか不謹慎かもしれません。現に、不謹慎な写真があると、御意見をいただいたこともあります。

神社の写真を掲載して、ああやこうやと「よそ者」がとやかく言うものでもないし、いろいろと意見をいただくこともあるわけで、うかつなこともいえずに書けずに、最近は「紹介が画一的になって面白みがない」ことになっています。自分でもわかります。つまらないなあ、と。紹介の文章に昔のような熱意がないです。

『神社に飽きていた時期があります』

確かに一日で10社以上廻ったりすると、どっと疲れます。恐らくは気力が充実しすぎるのでしょう。
また、神社紹介サイトなんてものをはじめてしまうと、「サイト更新のために神社に行かされているような状態」になり、非常につらくなった時期があります。
間違いなく一時期の私は「サイトのための神社詣で」をしていました。
そのときは、感性も鈍って、とにかく掲載することを頭に浮かべた上で神社に脚を運んでいた気がします。

正直、こんな参拝じゃあつまらないし、重みがあるんです。精神的に。
それで嫌になった時期があったんです。


そもそも、単純にいって、熱烈な信仰心は私にはありません。多少の崇敬はあるとは思いますが。

私は大学では歴史を専攻していた史学科卒の人間でして、視点としてまずは歴史に着目してしまいます。
つまり神社は「歴史伝承」の装置になってしまうのです。
国宝社殿とか重要文化財社殿とか、そういう重みが大好きです。社殿が古く歴史があるというそれだけで、私はそこに「神威的重み」を感じるらしいです。それは神社を参拝するという基本的な意識が違うっぽいことです。

神社に参拝する、私の意義は・・・。

郷土に埋もれた地域に根づく土地土地の歴史。
それを実感する歴史装置としての「神社」。
私は「歴史」にたゆたう一側面としての「神社」を愛するが為に、各地の神社に詣でています。
幾百年をも培ってきた、その重みとしての「神社」に神威的な魅力を感じています。
神社そのものを含めた、存在としての神社を愛で、
そして神社自信が歩み、取り巻いてきた風土・環境・歴史・人物等の背景で楽しむ。
それが私の神社参拝スタイル。

私の体感する神社のひとときは「歴史の息吹」に多大なる比重が置かれています。
そんな「神社の歩んできた歴史の息吹」に癒されます。

「神のやしろを想う」
神社を崇敬するわけでも信仰するわけでもなく「神社を想う」サイト。
神社に行って、わたしがきっといろいろなことを想うわけです。
そんなような単純なこと。べつに神社でなにか難しいことを語りたいわけではありません。
この神社の拝殿は500年の歴史をもっているんだよ、とか
平安時代の歴史書に出てくるんだよ、とか
そういうことを神社で知って、へぇぇと「想う」。そんなサイト。


サイトの変節を知っている人もいるかと思いますが、一時期は閉鎖閉鎖と騒いでいました。
要は「サイトの為に神社に詣でている」感が強くなって、もう嫌になったのです。

神社自体は、往時ほどではないけど、そこそこ行ってます。
昔は数多く廻ることを自慢していましたが、今はのんびりしたもので、気に入った一社に時間をかける参拝スタイル。

私が神社に行くのは格別には「信仰的」な意味あいはないです。そんなわけで。
サイトの掲載スタイルも当初は紀行文形式で、歴史がかならずついて回っていました。
いまでもサイトに乗せる際は歴史的な伝承がないと、ほとんど掲載作業はしていません。
そのかわり写真に凝りだしています。

神社に対して、信仰的な意味合いはない、と言ってしまいましたが、アミニズム的な考え方は私は持っているとは思います。
万物には「なにかしら」の「なにごとか」の「ありがたさ」があると。
非常に強力な気、それこそ神威的な気を感じとる神社もある。
おそらくは、その場の雰囲気と神社の空間的環境と参拝者の心理的要素、で感じとるたぐいかとは思います。

神社を濃厚に詣でるようになって4年経ちますが、去年の5月に「武蔵国延喜式内社」を暫定的に全部参拝したことによって、私は虚無的にどうでもよくなってきたようです。正確には。
やはり歴史の人間だったようで、式内社という歴史的な魅力が一つの到達点に至った時に、そこで満足してしまったようです。

だけれども、こうして神社を探訪するサイトを運営していて、改めて思っています。

神社の歴史を辿るのが好き。
神社の空間にたゆたうのが好き。

まあ、そんなわけです。

私も一時期「神社めぐりマイブーム」は終息していました。
いまは低迷しつつも、歴史と空間を楽しむ場所として、脚を運んでいます。
空間を楽しむと言うことは、当初から神社で写真を撮ると言うことも含んでいます。
神社を撮影場所にするのは不謹慎でしょうか?
そのときの情景を映しだす鏡として、写真すらも神威的な強さがあれば、
そこに撮影した価値はみいだせるものと思っています。


そんなわけで、スタンスとして。
そんな「神のやしろを想う」というサイトの管理人は、強烈な信仰心を持っているわけでもなく、知識として「基本的な神社作法」は知っているけど、大祓詞をそらんじているわけでもなく、まともに読み上げたことすらないわけで、それほど強力な信仰心があるわけではありません。

『歴史』の視点対象として『神社』を媒体にしているのが、今の私のスタンスなのです。

神社に対しては「ブーム」という表現はちょっと違います。
行きたくなるときもあれば、そういう風にならない気の時もあります。
バイオリズム的な雰囲気なだけで、行きたい時に行けばいいのではないかと思います。

そんなに難しく考えることはないです。
ちょっと神社に行って、ぼーっとお気に入りの時間が過ごせれば、それで満足なのです。私は。
だからお気楽な気持ちで良いのでは?
お気楽な気持ちで、神社に脚を運んで、お気に入りの場所を見つけて、そこで何かを感じらればそれでよいのでは。
多くの神社のなかには、波長のあわない神社もあります。波長があわないときは、すっぱりと諦めてみるのも大切では。
タイミングと言うこともありますし、また別の機会に再訪してみると、180度印象が変わる神社もあります。


中氷川神社

写真は武蔵国入間郡の延喜式内社論社・中氷川神社(旧県社・入間多摩二郡総鎮守)
平安期の延喜式に記載される古社。
また戦後の神社界で大きな意味合いを担った神社。
昭和20年にGHQの民間情報教育局局長であったダイク代将が「民間のまつりをみたい」という申し出を東京大学の岸本秀夫助教授にしたところ11月25日に、当社で特別に祭礼がとりおこなわれ、のどかな村祭りを見物した民間情報局一行が「日本の神道」を認識し直し、民衆の神社信仰を見直したといわれています。

こういう、埋もれた歴史に接するのが大好きなのです。私は。

だから私は気楽に神社の歴史をふれながら、そんな空間のなかで「神社を想う」サイトを続けていくんです。


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