「武蔵国賀美郡の式内社詣で・2」
<平成16年11月>
その1
「熊野神社<神川町八日市>」/「池上神社<神川町関口>」/「阿保神社<神川町元阿保>」
「皇大神社<上里町長浜>」/「長幡部神社<上里町長浜>」
その2
「天神社<上里町五明>」/「熊野神社<上里町堤>」
「七本木神社<上里町七本木>」/「池上神社<上里町忍保>」
式内社に関してはこちら
上里町長浜の長幡部神社からさらに北上。いいかげん飽きてくるし、歩き疲れた。いろいろなことを考えつつ、時々「ここで何をしているんだろう」と自問する。
「天神社」(村社)
<今城青八坂稲実神社の論社>
<埼玉県児玉郡上里町五明鎮座>
祭神:稚産霊神・豊宇気毘売神
創立は不明ながらも式内社として伝えられている。
境内付近には五明古墳群をはじめ、奈良平安期の集落跡が多数発見されており、古くから開けていたことが確認できる。なお明治42年に境内で発見された67センチほどの石棒をご神体として奉っている。
しばし歩く。12時25分。
長幡部神社の北北東、1.5キロ。目の先には「関越自動車道」が連なっており、ちょうど「上里サービスエリア」の裏側にあたる。住宅地をぬけると田んぼがひろがり、鎮座地は圧倒的な開放感をしめしていた。
鳥居の向こう側にこんもりと繁る木々が紅葉しており美しい。境内は格別に広いわけではないが、良くまとまっており、つい長居をしたくなる。高速道路の喧騒さが、神社境内の静けさと比例して、私のいる場所が一層に贅沢な場所であることを感じる。
「熊野神社」(村社)
<今城青坂稲実荒御魂神社の論社>
<埼玉県児玉郡上里町提鎮座>
祭神:奇御木野命(クシミケヌ命)・奇稲田比売命・豊受姫命
古来より延喜式内社「今木青坂稲実荒御魂神社」といわれているが確証はない。ただ鎮座地内には平安時代の住居跡があり、熊野神社境内も東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座していることから熊野神社が勧進される前に式内社があった可能性も考えられるという。
天神社から高速道路下の道にそって東南東にあるき、上里中学校のところで南下する。距離は約2キロ。到着時間は13時10分。
社頭には大きく「延喜式内今木青坂稲実荒御魂神社」と刻まれた社号標がたっている。社地の後方は「中学校」。サッカーの試合がなにやら微笑ましい。
境内は風が強く、私がいる間もハラハラと落ち葉が舞っている。すでに冬の気配すらも漂わせていた。同じような地域地域の神社であれど、落ち葉の舞い具合が違うのがなにやら興味深い。
社殿の後方はこんもりともりあがり、その場所に境内社が集中している。このあたりが古墳群のひとつなのかもしれないし、このなかに「式内社」の流れをくむ祠があるかも知れない。
「七本木神社」(村社)
<今城青八坂稲実神社・今城青坂稲実荒御魂神社・今城青坂稲実池上神社の論社>
<埼玉県児玉郡上里町七本木鎮座>
祭神:八幡大明神
地名の由来は村内に7本の古木があったことに由来。創建は不明であるが、村内に旧家である金井家(当地を開発した家)が邸内社として祀っていた八幡神社が村の鎮守となったという。
明治42年に近隣社を合祀し七本木神社と称し、境内には合祀された七社の旧本殿も納められている。
熊野神社から南下する。約800メートル。到着時間は13時30分。南面している社殿の北から進入したので、いきなり社殿を拝することになる。
社殿の脇には、合祀されたかつての社がまとめて鎮座しておりひとまとめに覆殿が保護をしている。合祀した後の「神様の元の住まい」をこういう風に伝えてくれる気配が嬉しい。
境内は、樹木におおわれ、秋色に染まる。「この空間だけは特別だよ」という気配濃厚で、「七本木」の木々が伸び伸びと搖らいでいた。
「今城青坂稲実池上神社」(県社)
<今城青坂稲実池上神社の論社>
<埼玉県児玉郡児玉郡上里町忍保鎮座>
祭神:伊吹戸主命(イブキドヌシ命)・豊受姫命
和銅4年(711)の創立と伝えられる。古くから朝廷や武将の祈願を集めていたが天正10年(1582)に神流川合戦による兵火で焼失。のち再建されたが元禄7年の大洪水で社殿を流失。本殿だけをかろうじて水中から引き上げ、地盤を高くして改めて鎮座させた。しかし、その後衰退し、寺僧が管理するようになり、社号も一時稲荷社を称すようになったというが、その後旧名に復したという。
社叢 |
参道 |
境内 |
正面 |
拝殿 |
拝殿 |
|
左:
社殿横姿 |
七本木神社から約2.5キロ北上。JR高崎線「神保原駅」がある。
神保原駅に到着したのが、14時20分。歩いてばかりで、もう限界。途中でタクシーでも走っていればと思いつつ駅まで到達。すでにギブアップ気味なので駅前のタクシーに乗り込んで「忍保の池上神社まで」。一言。
神保原駅からは約2キロ北上の地。初乗り運賃660円でつける場所。
タクシーの運転手も知らなかったらしく、手元の地図を示して運んでもらう。
社頭には大きく「縣社 今城青坂稲実池上神社」とある。境内をすすめば「秋満載」。この時期の神社詣でが非常に贅沢であることを再認識する。そんな贅沢な空間に足を踏み入れるまでの苦労も忘れて、思わず両手を広げて開放感に浸る。誰もいないゆえに、伸び伸びと参拝するのも、私の意識として「武蔵式内社の名目上の最終目的地」であったからかもしれない。ここまでの紀行を思いおこし、そして次につなげるための一歩でもあるから。
あとはのんびりとゆっくりと、心軽めに身体重めで駅に戻るだけ。家に帰れば、あたりはまっくらではあるが。
|