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尾張と伊吹山

 

尾張の美夜受比売のもとに戻ってきた倭建命は比売と結婚することにする。ところが、比売の着物の裾に月経の血が付いているのを見て、倭建命が歌をうたう。

ひさかたの 天の香久山 鋭喧(とかま)に さ渡る鵠(くび) 弱細(ひわぼそ)  撓(たわ)や腕(がひな)を 枕(ま)かむとは
さ寝むとは 吾は思へど 汝が着ける 襲衣(おすそ)の襴(すそ)に 月立ちにけり
(天の香久山の上を、鋭くやかましく鳴き声をあげて渡っていく白鳥よ。その姿のように、ひ弱く細いあなたのしなやかな腕を枕にしようと
私はするけれども、あなたと共寝をしようと思うけれども、あなたの着物の裾に、月が出てしまった)

とお歌いになった。そこで美夜受比売が辺歌して、
高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経(きふ)れば あらたまの 月は来経(きへ)行く 
うべな うべな うべな 君待ち難(がた)に 我が着せる 襲衣の襴に 月立たなむよ
(空高く光る日の神の御子よ、国の隅々まで領有されるわが大君よ、年が来て去ってゆけば、月が来て去っていきます。
まことに、まことに、まことに、あなたを待ちかねて、私の着物の裾に月が立たないことがありましょうか)
と歌った。

こうして結婚して、倭建命は、その腰にはいていた草那藝の剣を、美夜受比売のもとに置いて、伊吹山の神を討ち取りに出かけた。

 

     美夜受比売は、ミヤズ=宮住みの意とされ、神霊の憑依する語呂であるという。つまり神剣にやどる神霊の奉祀者である。

     こののち尾張氏の氏神として草那藝の剣を祀る熱田神宮が崇敬をあつめる。

     尾張氏をとりこんだ倭建命としては、尾張氏の勢力下にある伊吹山に行くのに、神威に基づく草那藝の剣は不要であった。

 

倭建命は「伊服岐能山(いふきのやま=伊吹山)の神は素手で直接討ち取ろう」と仰せられ、その山を登っていった時、白い猪と山のほとりで出会った。その大きさは、牛のようであった。そこで倭建命は言霊の力を借りて大声で「この白い猪の姿をしているのは、この山の神の使者であろう。今殺さなくても、山の神を倒したあとで殺すことにしよう」と言い立て山を登った。すると山の神は激しい氷雨を降らせて、倭建命が前後不覚に陥ってしまった。
実は、この白い猪は神の使いではなく、山の神そのものであった。倭建命は誤った言霊の力により、逆の力が働き、倭建命は前後不覚に陥ってしまった。
そこで倭建命は山を下り、玉倉部(たまくらべ)の清水に着いて休息するうちに正気を取り戻した。それで、この清水を居寤清水(いさめのしみず・滋賀米原醒井とも岐阜関ヶ原玉ともされる)という。

 

     書記では、山の神の化身は大蛇とされる。

     戦って破れたわけでなく、自ら死を招く。これは言霊の霊威が逆に作用しものであり、言霊が正しければ(つまり猪が神の使い)問題はなかったが、間違った言挙げ(ことあげ)により、山の神の怒りを買ってしまう。

     こののち倭建命は尾張に戻ろうとはせず、伊勢から大和に戻ろうとする。



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