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「郷土の鎮守様 世田谷・杉並の神社散歩」
〜京王線沿線の神社編〜

<平成22年3月参拝記載>

千歳烏山駅
烏山神社
代田橋駅
大原稲荷神社」「羽根木神社」 「釣船神社
下高井戸駅
菅原神社」「永福稲荷神社
桜上水駅
下高井戸八幡神社」「勝利八幡神社

世田谷区の神社地図  杉並区の神社地図



3月下旬。そろそろ桜も咲き始め春の陽気が感じられるころ。良く晴れた昼下がり。思い立って神社散歩。
もっとも午後1時過ぎからなので、割り切って近場の神社を巡ってくる。

京王線沿線の神社。今回は世田谷区・杉並区の神社をいく社か。



「烏山神社」 (旧村社・世田谷区南烏山鎮座)

主御祭神:白山比淘蜷_
相殿祭神:御嶽大神
合祀祭神:天照皇大神・倉稲魂命・菅原道真公

もともとは「御嶽神社」。
御嶽神社としての創立年代は不詳であれど、烏山村の鎮守として崇敬。
境内の手水鉢には元文元年(1736)の紀年がある。江戸期の嘉永3年(1850)に御嶽神社を白山権現社に遷宮合祀。
白山御嶽神社として明治6年に村社列格。
昭和37年に町内の神明社・稲荷社・天神社を御嶽神社に合併。従来の白山御嶽神社を烏山神社を改称する。
昭和39年に神楽殿新築。昭和40年に社務所新築。昭和57年に拝殿周囲を整備。昭和57年に神輿庫新設。
平成18年に境内再整備を完了している。


烏山神社 正面 住宅街の中に鎮座
明治6年建立

社号扁額
鳥居には掲げられていませんでした

烏山神社 正面

烏山神社 境内

境内社と烏山神社本殿覆殿

白山宮・御嶽宮 の両宮扁額

13時50分頃。
京王線千歳烏山駅より東に約350メートルの地に鎮座。京王線芦花公園駅からも350メートルほどの距離。ちょうど両駅の中間に鎮座しているといったところ。社殿は東面している。

このあたりは散歩コースになっており入れ替わりで人々が散策している。
周辺は大規模な団地もあり、よく整えられている。境内は日当たりも木々の木陰とも明暗が激しい。
烏山神社ゆえにカラスが境内にいるのもご愛嬌といったところ。




「大原稲荷神社」 (旧村社・世田谷区大原鎮座)

御祭神:倉稲魂神

創建年代は不詳。
元禄15年(1702)の検地水帳に大原の稲荷社として記録が残っている。
天明2年(1782)5月に京都伏見稲荷大社に請願し伏見稲荷本宮正官御殿預摂津守荷田宿禰信邦により「案鎮之證」を拝受したものが現存。
明治社格では村社。
昭和7年(1932)に鎮座150年(天明2年より)を記念して現在の社殿を建設。神楽殿は昭和56年に焼失。
昭和39年に東京オリンピックを記念し二階建社務所に改築。


境内入口 神社は右側に鎮座

大原稲荷神社 正面

大原稲荷神社 拝殿

大原稲荷神社 横姿

境内の左側には京王線が走る

京王線はひっきりなしに走っている。

14時30分。京王線代田橋駅を降りる。
駅北口を降りると京王線に沿ってすぐの場所に「大原稲荷神社」が鎮座。社殿は東面している。
境内はさほどに広くないが良く整っている気配。駅近くということもあって、ときおり参拝者が立ち寄っていた。
境内には社務所を兼用した住居もある様子。御朱印があるかどうかは未確認。




「羽根木神社」(北原稲荷神社) (世田谷区羽根木鎮座)

御祭神:宇迦能御魂神

江戸時代には現在地にて稲荷社が崇敬されていたという。
昭和20年5月に戦災によって全焼。
昭和33年9月1日、現在の社殿を新築し羽根木神社設立。現在に至る。


羽根木神社 入口

羽根木神社 正面

羽根木神社 拝殿

右側の建物の1階が社務所。2階は建築設計事務所。
もっとも社務所の方は無人のご様子。

羽根木神社 脇鳥居

羽根木神社社殿を後方から

14時45分。
代田橋駅より400メートル離れた地に鎮座。東京都水道局和田堀給水所の南側に鎮座。社殿は南面している。
境内は広めであれど神社と参道の鎮座場所自体はちょっと窮屈。社殿の向かって右側が盛大に空き地になっている。そして突き当りには1階に社務所が兼用されている事務所がある。ガラス張りの事務所から神社の様子が観察されているようでちょっと落ち着かない。
社務所はあるけれども、御朱印があるかどうかは未調査。このあたりは成り行き任せで構わないのだ。




「釣船神社」 (杉並区和泉鎮座)

神社庁に所属していない単一神社として記録がある。
江戸期に流行した「釣船清次」の厄除け信仰に基づく。現在、釣船清次の子孫とされる一族が釣船神社を守ってきている。

「釣船清次」に関しては『東京人形倶楽部あかさたな漫筆22P〜2.山東京傳作「箱入娘面屋人魚」〜』に詳しい記述あり


住宅地の中にあった「釣船神社礼拝所入口」の看板

この突き当りが「釣船神社」らしいが個人宅の一部でした

代田橋駅から北上。約800メートルほど北野住宅地。すぐ隣には「杉並区立新泉小学校」がある。

15時10分。
どうにも神社らしいものが見つけられない。道路に「釣船神社礼拝所」とある看板はあり、手元に地図にも「釣船神社」と書いてあるが、その場所には一件のお宅があるのみ。
「うーん、神社がない」ということであたりを散策して諦める。
のちほど帰宅してから資料を見直すと「単一神社」とあった。あーそうか。単一神社とは神社庁に属さない独立系の神社。それであれば個人宅でも納得であった。
「釣船清次」の厄除け信仰というのがあるのも知らなかった。こういうことはキチンと調べてから現地を訪れるべきだと思いつつ、次の神社を目指す。



「菅原神社」 (旧村社・世田谷区松原鎮座)

御祭神:菅原道真公

寛文5年(1665)2月吉祥日に江戸の石井平助直慶の願望により寺子屋があった当地に天満宮が勧請された。
明治社格では村社列格。
昭和38年に厳島神社を祀る飛地の池に清水が沸かなくなり荒廃著しいので児童公園として世田谷区に譲り、その資金を基本金として社殿・神楽殿・社務所を改築。境内に池を作り中ノ島に厳島神社を移築。
平成14年に管公御神忌1100年祭にて境内再整備。


「菅原天神通り」に面した境内

村社菅原神社の社号標

菅原神社社殿

菅原神社神楽殿 下にあるのは「力石」

菅原神社絵馬殿 武蔵国では珍しいかも?

絵馬殿の中はこんな感じ

境内の厳島神社。池には鯉が泳いでいました。

菅原神社本殿裏の御神木。ちょっと窮屈そう。

15時50分。
代田橋駅に戻って、隣駅の明大前駅へ移動。明大前駅と下高井戸駅の真ん中辺りに菅原神社が鎮座している。明大前駅からは500メートル南西、下高井戸駅からは400メートルほど南東に鎮座。
手前の道路は「菅原天神通り」と呼称されている。
境内の左手には絵馬殿と社務所、境内社。右手には神楽殿が鎮座している。絵馬殿がある神社は武蔵国では見慣れないのでかなり新鮮。奉納された絵馬が掲げられているのを眺めるだけで歴史が感じられる空間。社務所は無人であれどチャイムが設置してあるので用事があればお話しすることもできそうだ。チャイムを押してまで御朱印の有無を確認するのは気が引ける性分なのだ。
境内を一通り散策して社殿の後ろの道路をみれば本殿後ろの御神木が窮屈そうに立っていた。アスファルトとのギリギリの瀬戸際はちょっと無理がある様子。そんななかでも御神木はまっすぐに天に緑を広げていた。



「永福稲荷神社」 (杉並区永福鎮座)

御祭神:宇迦之御」魂命

新編武蔵国風土記稿の多摩郡永福寺村の条に稲荷社と記載のある古社。旧永福寺村の鎮守で、江戸時代には永福寺境内に鎮座していた。
創建は享禄3年(1530)に永福寺の開山秀天和尚が永福寺境内の鎮守として伊勢外宮より豊受大神を勧請創建し寛永16年(1639)の検地の際に永福寺村持ちの鎮守となった。
明治維新後の神仏分離によって一社創建。
境内末社として天王社・白山社(以上合殿)、白鳥神社、明治40年に永福寺村水久保に鎮座していた北野神社を合祀。
境外末社に御嶽神社(永福1−39−17)がある。

昭和45年に社殿立替。


永福稲荷神社社頭 鳥居は明治39年建立

永福稲荷神社 参道

永福稲荷神社 参道

永福稲荷神社 社殿と御神木

永福稲荷神社社殿と御神木

永福稲荷神社本殿覆殿。後方は永福寺。

16時15分。
上記の菅原神社から下高井戸駅へと移動しそのまま北上。菅原神社から約15分ほどあるいて目的地に到着。神田川の作った丘上と思われる場所に鎮座している。
京王線下高井戸駅からは北に約900メートル。京王井の頭線永福町駅からは450メートルほど南に鎮座している。社殿は道路に面して西面している。社殿の後方には曹洞宗永福寺が鎮座。もともと永福稲荷神社は永福寺鎮護のために勧請されたものだから神社の後方に寺院があるのも違和感はない。
境内の右手に社務所があるがぱっと見は無人。ここの神社も住居兼社務所といった感じで、チャイムを押せばなんらかの進展は得られただろうが、御朱印云々は気が向かずに終了。どうも花粉症の季節は基本的にこのあたりが億劫になりやすいようだ。
境内の社務所近くに居た猫と戯れ、散策を終了。



「下高井戸八幡神社」 (杉並区下高井戸鎮座)

御祭神:応神天皇

旧下高井戸宿の鎮守。
長禄元年(1457)創建。太田道灌が江戸城築城に際して、家臣柏木左衛門に命じて鎌倉鶴岡八幡宮の神霊を勧請した。
本殿は弘化4年(1847)の再建。現在の社殿・本殿覆殿は昭和34年新築。
昭和52年に境内末社を整備。天祖神社・御嶽神社・稲荷神社のほかに当社に功労のあった人々を祀る祖霊社がある。


下高井戸八幡神社社頭
鳥居は皇紀2600年記念祭(1940/昭和15年)で建立

下高井戸八幡神社。社前には桜の木あり

下高井戸八幡神社 参道

下高井戸八幡神社 社殿

下高井戸八幡神社 本殿覆殿

下高井戸八幡神社 境内社

下高井戸八幡神社 神楽殿と神輿庫

近くには神田川が流れる

16時40分。
永福稲荷神社から神田川まで南下し、そのあとは神田川にそって西進。約1キロほど歩いて「下高井戸八幡神社」へ。
駅距離でいうと、西永福駅から500メートル南西。桜上水駅からは約800メートルほど北に鎮座している。社地の後方は神田川。神田川を見下ろす地に南面している。
ちょうど社頭の桜が咲き始めて3分ほど。桜を眺めつつ境内へ。社地の右側には神楽殿と神輿庫が並んでいる。広めの空き地もあるのでお祭りも困らなそうだ。左側には境内社が並んでおり、良く整えられている。社殿の右側にはそのまま社務所と住居。他聞に漏れず「御用の方はチャイム」方式。あいかわらずの私は御朱印を云々するのはまたの機会にしてさらりと散策して次を目指す。




「勝利八幡神社」 (世田谷区桜上水鎮座)

御祭神:応神天皇 
相殿神:宇迦之御魂神

万寿3年(1026)後一条天皇の時代に京都石清水八幡宮より祭神応神天皇を勧請。
相殿の山谷稲荷は上北沢4丁目に鎮座していた、ものを明治40年に合祀。
天明8年(1788)に再建された旧本殿は平成4年に世田谷区の指定有形文化財に登録され保存されている。
現在の社殿は昭和43年に再建造営されている。


勝利八幡神社 社頭

勝利八幡・山谷稲荷 連名の社号標 

勝利八幡神社 参道

勝利八幡神社社殿

勝利八幡神社旧本殿保存建物

ガラス越しに覗いてみる

下高井戸八幡神社から南下して桜上水駅へ。そのままさらに800メートルほど南下を続ければ「勝利八幡神社」が鎮座している。
道は駅から見れば下り坂。行きは良いけど、帰りは上り坂になってしまう。

17時10分。
境内の東隣は日大文理学部と日大桜丘高校。西隣にはちいさな児童公園。子供たちが遊んでいるのがほほえましい。
境内の参道東側には「旧本殿」が保存されている。ガラス越しに見物できるのがうれしい。ついつい四方から眺め見入ってしまう。
さすがに17時をすぎるとそろそろ神社参拝にはつらい時間。
なぜ勝利八幡神社というのかは疑問符のままにしておきつつ、桜上水駅まで戻る。

そんなに歩かないつもりだったけど、結果としてついつい歩きとおしてしまった。もう少し計画的に回れればよかったが、午後からの思いつきとしては上出来であろう。
とりあえずの世田谷・杉並の京王線沿線編は今回は第一弾。引き続き参拝は重ねていく予定。




参考文献等
東京都神社名鑑
各神社境内の案内板等


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