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「吉備中山探訪記」
<平成16年7月参拝>

その1.吉備津神社(備中一の宮)

その2.吉備中山

その3.吉備津彦神社(備前一の宮)



以下、「吉備中山」山中に進むが、後学のため(?)にもすこしばかり詳細に記載してみたいと思う。この紀行によって、さらに多くの人たちに「吉備中山」に足を運んで頂きたいと思うし、私としても神社祭祀のひとつの形態を物語るものとして、ぜひともお勧めしたいから。
山にはいるルートはいくつかある。私は今回は備中吉備津から山中を横断して備前吉備津彦にぬけるルートを選択。特に深い意味はないが、吉備津を参拝するにあたって根本社たる「備中吉備津」から参拝をスタートしたかったから、ともいう。

ただ山中の備前側には「備前吉備津彦・奥宮磐座」「同元宮磐座」がある関係上、登山は備前吉備津側から行う方が良いのかも知れない。


「吉備中山」
備中と備後の国境にある吉備中山は独立山塊であり、東西2キロ、南北2.5キロ。最高所は北端竜王山の175メートル。山体は南北に双子状となっている。その山姿から頼山陽は「鯉山」とも名付けている。

平安期にはすでに著名であり、清少納言は枕草子で「山は、小倉山・三笠山」と書き出し、続けて「柞山・位山・吉備中山・嵐山・更科山」と続けており、天下の名山として認知されていた。また平安朝から歌枕としても著名であり「真金吹く吉備中山」としても愛されてきた。



12時55分。
吉備津神社「滝祭社」の脇から御陵へとすすむ遊歩道がはじまる。さっそく疲れている私は、自分の荷物の多さに呆れながらに足を運ぶしかなかった。デジタルカメラはまだしも、ノートパソコンを運びながら「登山」をしようとするのだから。
まだかまだかとぼやきながらに進むと丘陵のささやかな畑から脇に「御陵」へとすすむ登り段を目にする。そちらへと快調に足をすすめるが、すでに膝が笑っている。次の一歩が重いのですが。段の途中で三回ほど立ち止まり呼吸を整える。なにやら先行きが異様に不安で仕方がない。やっとの思いで段を登り終えると、そこに間違いなく御陵があった。

吉備中山 御陵入口。

大吉備津彦命御陵
茶臼山古墳は前方後円墳。全長150メートル。
吉備中山南方山頂付近。
吉備中山 吉備中山


13時05分。
鬱蒼たる木々に覆われている前方後円墳はその全体を捉えることはできないが、柵の向こうに間違いなく「御陵」の存在を感じ取る。しばし腰をかけて休む。すでに身体は限界値を超えており、膝の重さをだましだましで歩むしかなさそうだ。まだ「吉備中山」の入口でしかないのに、この有様では日頃の運動不足を露見しているようだ。

13時10分。
しばしの休息後。歩みをはじめる。ここは道なのか、という疑問符を浮かべながら御陵の脇を進む。木々に埋もれた道すがらは直射する日差しを遮り、心地よい風を運ぶ。いままでの日差し照り指す道すがらにバテていた私は、木漏れ日の山道遊歩道のなかで逆に快調になり、足の運びもリズミカルになった。御陵を左手に沿いつつ山道をあゆむ。

吉備中山
左側は御陵。宮内庁管轄地
吉備中山
穴観音


13時13分。「穴観音」を通過。こうして山の中のわずかな目標を確実に確認しつつ足をすすめる。寂しげともいえる空間を孤独に歩む。山道の分岐点各所は頭にたたき込んであるから、迷うことはない。ただ、それでも何もない、木々しかない道を一人で歩むには不安感との闘いでもあった。思わず独り言が多くなる。そうでもしていないと、遭難でもしそうな気分だったから。

13時15分。
思わず「マジ!」と口走る分岐点。ここが「石舟古墳(0.3メートル)」の分岐点。なにやら注意書きがある。
『石舟古墳はここより約300米下方です。木に結んだ白布を目印に進んで下さい。この付近は昔から「まむし」が多いと言われています。十分注意して下さい。通路以外には絶対立ち入らないようにお願いします。』
ウソだ。これは道ではないぞ。第一、その右手の分岐通路は間違いなく急勾配で下に斜めっている。降りるのは良いが登るときの苦労が予想できる。おまけに「白布を目印」にしろというが、なにも見えないのですが。しばし立ち止まり迷う。ただ、今の私にはそこを進む自信がなかった。ゆえにまっすぐに歩む。

13時20分。
まっすぐに歩むとさらなる分岐点がある。福田海本部と藤原成親遺跡のある左手と、吉備津彦神社のある直線通路。ここで左手に折れて1分ほど進むと「ダイポーの足跡」という遺跡がある。ダイポーがなんたるかはわからないが、山中にこぢんまりと開けた空間がそこにある。

吉備中山
福田海方面・吉備津彦方面分岐点。
吉備中山
ダイポーの足跡。この奧に「奥宮磐座」あり。


その「ダイポーの足跡」を取り巻くように小道を左に折れると(つまり福田海本部へと向かう直線コースではない)、1分後の13時22分に「奥宮磐座」に到達。おもわず感嘆の声をあげる私。「うわっ、すげー」、と。それが正直な感想。

自然には絶対にありえない不自然さで巨石がゴロゴロと転がっている。いや、巨石が座している。まさに磐座であった。「なにものかがおわす」気配を濃厚に漂わせているこの空間は、突如として木々のなかに現れ、そして訪れるものを真摯に驚愕へと誘ってくれる。この磐座へと足を踏み入れた瞬間に私が「吉備中山」へと足を踏み入れた価値を見いだしたのであり、それこそ「岡山」に来た意味さえもがそこにあった。
疲れた身体を磐座の空気で休め、そして再び道へと戻る。

吉備中山 吉備中山
吉備中山 吉備中山
吉備中山 吉備津彦神社・奥宮磐座


13時34分。先ほどの分岐点から道を進むと「環状石籬」という空間がある。さきほどの奥宮磐座ほどの迫力はないけれども、それでも至る所に巨石が座している山というのは歩みを進めるたびに、ある種の神域を如実に感じられ、私も一層の真面目さと興味深さでもって接したくなってくる。

吉備中山 吉備中山
環状石籬


13時40分。分岐点。左に進むと「元宮磐座・天柱石」に向かうことができる。何度目かの興味心に期しながらに左に折れる。あいかわらず多い独り言もだんだんと投げやりになってくる。間違いなくここは道とは呼べない。木陰はまだしも日の差し込むところは極端に夏草が伸び盛りを向かえており、私は草を踏み分けてすすむ羽目になる。

吉備中山
吉備中山の遊歩道
吉備中山
吉備中山の遊歩道
吉備中山
吉備中山の遊歩道
吉備中山
吉備津彦神社・元宮磐座入口が右側になる。
吉備中山
元宮磐座に至る道
吉備中山
元宮磐座に至る道


13時45分。「元宮磐座」に到着。先ほどの巨石が多数座しました「奥宮磐座」とは違い、元宮磐座は巨石が一つ、悠然とした姿で座しましていた。
この先に「天柱石」がある。「元宮」を拝すのはあとにして先に天柱石に赴こうかと思う。

吉備中山
天柱石裏面から
吉備中山
天柱石下部
吉備中山
天柱石
吉備中山
天柱石


13時47分。標識が見える。「天柱石入口 急斜面です、ご安全に」とかかれたメッセージとともに。
思わず飛び出す独り言。「うそだろ。マジで?」。私の目の前にはロープが張られた斜面があった。ロープを手にして慎重に歩みを進める私。お気楽な神社探訪ではあり得ない展開に、バカバカしいまでに愉快になる。
さしあたり、荷物を置いて、ロープを握りしめ斜面を降りる。足下が斜面に流れるように滑る。滑り降りると左手に「天柱石」がみえる。
そそり立つ岩の頂点に「天柱」と刻まれた巨石。なにもわざわざ刻まなくても、とは思う巨石。若干の興ざめはあるけれども、それよりもその迫力に押しつぶされそうになる。
自然の構造物とは思えない、極めて特異な岩壁がそそりたつ。ただ、その巨大なる存在に圧倒される私がそこにいた。

しばしの滞在のあと、「元宮磐座」まで再び戻ってくる。今の時間がちょうど14時。山に足を踏み込んだのが13時だったので、ここまでの道のりが一時間。極めてペース配分が速い気がするのは気のせいだろうか。

吉備中山 吉備中山
吉備中山 三枚:
吉備津彦神社・元宮磐座
吉備中山
山頂の経塚
吉備中山
山頂の八大竜王社
吉備中山
山頂からの光景
吉備中山
山頂からの光景(白いのが岡山ドームか?)


いずれにせよ改めての「元宮磐座」。その磐座たる孤磐をぐるぐると周回し、その脇に佇みつつ付近の小岩に腰掛ける。気持ちを落ち着けあたりを見渡すと、道が山頂に続いていた。
「よし、行くか」と誰に言うでもなくつぶやき、足をすすめると、急に視界がひらける。まさしくそこが山頂であった。そこには草に埋もれて判別のつかない「経塚」と整然とならぶ石小祠たる「八大竜王社」が木漏れ日に包まれていた。
手頃な岩に腰掛けて、身体を目一杯に広げて空をながめる。ここまで歩いてきた到達感と満足感に感無量となり、すがすがしさに身体があふれていた。
目の先にはおそらくは倉敷市内であろうと推測される光景が広がる。
(正確には岡山郊外とのこと。写真のドームが「岡山郊外だろう」とのご指摘、ありがとうございます。)
せかせかした心持ちで先を急ぐ性癖がある私が、山頂でただ呆然とのびやかなる気配に包まれながら14時15分までわずかな休息を楽しむ。今回の吉備探訪で改めて「吉備中山」に登ったことを満足に思う。私はこのためだけに東京から岡山まで日帰りで訪れたのだ、と言う事実に満足する。それほどの精神的充実感にあふれていた。

14時15分に山頂をおりる。あとは途中によるべきこともなく、ひたすらに山を下りるのみ。途中、はじめて人に出会った。吉備中山に足を踏み込んでから誰にも出会わなかった私は、取り巻く気配を自分一人だけのものとしていた。そうして山を下りる時に、はじめて人と出会う。杖をついてしずしずと登るご老体に内心でご苦労様とつぶやきつつ軽く会釈して、私は止まらない足を猛烈な勢いで運んでいた。ご老体から見れば「若い者はあぶなっかしくて」と思われるほどの足運びで。
いずれにせよ山道は降りるときも気をつかわなければいけない。そんな事はわかっているが、身体が流れていくのだからしょうがないともいう。

吉備中山
吉備津彦神社にいたる坂道
吉備中山
藤原成親・供養塔。及び供養塔下古墳


備前の吉備津彦神社に近づく。「藤原成親・供養塔」までくれば、もうすぐそこに吉備津彦神社を感じることができる。そうして吉備中山から下山したのが14時30分。どうやら吉備津神社から吉備中山山頂経由での吉備津彦神社行きに要した所要時間は1時間30分となるようで、目安2時間に比べればペース配分はだいぶ早いようだった。

山をおりれば、あとは吉備津彦神社に赴くだけ。続編は次回。


参考文献
境内案内看板
「吉備津神社」岡山文庫・昭和48年・藤井駿著
「備前一宮・吉備津彦神社」由緒書 平成14年
角川日本地名大辞典・岡山県




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