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「郷土の鎮守様〜狛江・世田谷喜多見周辺の神社散歩」

<平成21年12月参拝記載>

狛江市
  「西野川ノ八幡神社」「子之三嶋神社」 「伊豆美神社」「白幡菅原神社」「日枝神社」「岩戸南ノ八幡神社

世田谷区
  「喜多見ノ氷川神社」「須賀神社」「宇奈根ノ氷川神社


狛江市の神社地図 / 世田谷区の神社地図



12月の良く晴れた日曜日。午後から時間が出来たので、自転車でひとっ走り。狛江周辺の神社を散策してみる。



「西野川ノ八幡神社」 (旧村社・狛江市西野川(小足立)鎮座)

御祭神:品陀和気大神

創建年代は不詳。
元禄10年(1697)の検地帳には「八幡宮」と記録が残っている。
明治4年10月に村社列格。


狛江西野川ノ八幡神社

狛江西野川ノ八幡神社

狛江西野川ノ八幡神社 拝殿

狛江西野川ノ八幡神社 拝殿

狛江西野川ノ八幡神社 境内

狛江市北部、野川の南岸に鎮座。柴崎駅から南東に800メートル。
社殿は西面している。銀杏並木の色づきが気持ちよい。ちょうど雨の次の日ということもあり、境内には大きな水たまりが出来ていた。水面に映り混む銀杏も美しい。住宅地の中で静かに佇む空間がすがすがしい。




「子之神社」(子之三嶋神社) (狛江市西野川(覚東)鎮座)

御祭神:大己貴大神

創建年代は不詳。
子ノ神社もともとは妙見を祀り文安5年(1448)の創立ともされる。
相殿の大山祇命は覚東内の三嶋に鎮座する村社三嶋神社(千手院の境内)を明治4年に合祀したものである。
明治4年10月村社列格。
明治20年に本殿改造、昭和40年に拝殿新築。


子之神社

子之神社

子之神社

子之神社

狛江市北部。八幡神社の300メートルほど東に鎮座。社地は道路に沿って広がり南面している。拝殿の脇を造築して札所のように受付場が設けられていた。お祭りのときには活躍するのだろうか。住宅地のなかの鎮守様。




「伊豆美神社」 (旧郷社・狛江市中和泉鎮座)

御祭神:大国魂大神
    (一ノ宮小野大神・二ノ宮小河大神・三ノ宮氷川大神・四ノ宮秩父大神・五ノ宮金佐奈大神・六ノ宮杉山大神)

宇多天皇の寛平元年(889)九月二十日に北谷村字大塚山に六所宮として鎮祭。天文十九年(1550)に多摩川洪水の際境内地が陥欠したので天文21年に現在地に遷座。
明治元年に伊豆美神社と改称。明治4年10月に村社、明治16年8月に郷社昇格。

伊豆美神社の二ノ鳥居は高さ2.65メートル。江戸時代の慶安4年(1651)に石谷貞清が建立。石谷貞清(1594−1672)は和泉の一部を領していた石谷清正の弟で、島原の乱や由比正雪の乱などに手柄があり江戸町奉行を勤めた旗本。

境内奥には御神木「アカマツ」の木がある(都天然記念物)
天文21年(1552)に現在地に遷座した際に植樹されたものと推測されるが明確ではない。
目通り幹囲5.6メートル、根本の周囲は約7.7メートル、高さ約35メートル、主幹は約20度東に傾いている。枝張り約22メートル。重心が東に傾き西側の根本が老化しているが樹勢は旺盛。



伊豆美神社正面

伊豆美神社参道

伊豆美神社拝殿

伊豆美神社本殿

伊豆美神社境内の御霊神社
古くは腰掛塚と呼称。
伊豆美神社が多摩川洪水で旧社地より遷座してきた際に
仮宮を奉安した場所とも伝承。

御神木「アカマツ」

狛江市内では一番大きな神社。小田急線狛江駅の北西約1キロ。社殿は北面しており、後方約1キロには多摩川が流れる。西隣には市立和泉小学校があるが、学校があるという雰囲気はあまりしなかった。
参道は約150メートル。落葉する境内を歩むのが気分良い。神社詣でには一番良い季節かもしれない。ちょっと遅めの七五三だろうか。一組の三世代親子が拝殿前で記念写真をしていた。
参道は茶色い落ち葉。本殿脇は黄色い落ち葉。季節を彩る落ち葉が賑やかだった。

参道の脇には宮司宅があるので、立ち寄り。御朱印を頂戴する。噂では「調布佐須鎮座の虎柏神社(式内社)」の御朱印も貰えるという話であったが、宮司さんが外出のようで伊豆美神社の御朱印のみを頂戴する。もっとも伊豆美神社の御朱印を貰えた事で良しとしなくてはいけない。




付近に古墳が幾基か点在している。せっくなので立ち寄り。


都史跡「兜塚古墳」
直径約30メートル、高さ約4メートルの円墳。5−6世紀頃に築造と推定。

付近には古墳が点在し狛江古墳群を形成する。狛江市南部を中心に分布する狛江古墳群は南武蔵地域では屈指の古墳群である。これからは「狛江百塚」と呼称され総数70基あまりの古墳があったとされる。

「亀塚古墳」
全長40メートルと狛江古墳群中屈指の規模を誇り唯一の帆立貝形前方後円墳。五世紀末〜6世紀初頭に造営と推定。昭和26・28年に発掘調査が行われた。周囲には周溝があり墳丘には円筒埴輪列が廻らされ前方部には人や馬をかたどった形象埴輪が置かれていた事が明らかとなった。
埋葬施設は後円部に2基、前方部に1基が発見。発掘された銅鏡は中国後漢時代(25−220年)に作られた「新人歌舞画像鏡」であり、これと同じ鋳型で作られたものが大阪府の古墳から2面見つかっていることから、この古墳に埋葬された人物が畿内王権と深く結びついていた豪族であったと推定出来る。
多摩川流域の古墳時代中期を代表する狛江地域の首長墓として位置づけする事が出来る。
現在は宅地造成のため、前方部の一部がわずかに残されている。

<東京都教育委員会/狛江市教育委員会・説明板参考>


兜塚古墳

兜塚古墳

亀塚古墳

亀塚古墳

もっとも古墳といってもそんなに大規模なものではない。それでも住宅地の真ん中に忽然とあらわれる古墳というのはなかなかに興味深い。古代から脈々とそこに存在し続けてきた古墳が現代生活の中で同居しているというのは都内では貴重な場所であろう。




「菅原神社」(白幡菅原神社) (狛江市猪方鎮座)

御祭神:菅原道真公・徳川光圀公・井伊直弼公

明治三年二月九日の創建。村内で和泉の伊豆美神社と白幡神社に氏子が両分されていたため、明治期の一村一社の制度によって白幡神社を現社地に遷座。従来は末社として祀っていた菅原道真公を中央に祀り、左右の相殿に徳川光圀公と井伊直弼公を配祀、さらに昭和10年に源頼朝公を配祀。



菅原神社

菅原神社

菅原神社

市立狛江第二中学校の向かいに鎮座。道路が広場を兼用しているようで、一気に広くなった空間の奥に鎮座。神社は東面している。神社敷地自体は奥行きもなく狭いが、道路広場のおかげでそんなに窮屈さは感じなかった。




「日枝神社」 (旧村社・狛江市駒井町鎮座)
御祭神:大山咋神

創建年代は不詳。明治四年に村社列格。



日枝神社

日枝神社

日枝神社

日枝神社

市立狛江第三小学校の東、京王ストア駒井店の北側に鎮座。社殿は東面している。境内には銀杏が二〜三本しかないのだが、圧倒的な黄色の世界を演出していた。境内を眺めていたら、若い女性が神社に参拝していた。黄色い絨毯が絵になる光景だった。




「八幡神社」 (旧村社・狛江市岩戸南鎮座)


御祭神:品陀和気大神・駄倉大神・天照大神

創建年代は不詳。正親町天皇の永禄元年(1558)4月に岩戸の領主世田谷城主の吉良頼康の部下であった岩戸出身の秋元仁左衛門というものが鎌倉鶴岡八幡宮で相撲勝負を行い見事を勝利を収め、鶴岡八幡宮のご神体を持ち帰り八幡宮を勧請した事にはじまるともいう。

明治3−4年にわたり社殿を改築。明治4年10月に村社列格。
明治37年に宿屋敷の駄倉大神、古屋の神明社を相殿に合祀。明治37年に社殿を改築。


八幡神社

八幡神社

八幡神社

八幡神社

日枝神社の北300メートルの地に鎮座。社殿は南面している。狛江市内では2番目に大きい神社。社地の隣には明静院という寺院が鎮座している。調べたところ、祭神が駄倉大神だが「田倉大神」=「田の神」ということらしい。社前右前の広場には「湧水池」もあり、弁財天が祀られていた。


このあとは狛江の隣に位置する世田谷区喜多見の神社を幾社か参拝。そのままの流れで掲載しておく。



以下は世田谷区喜多見周辺の神社


「喜多見ノ氷川神社」(旧郷社・世田谷区喜多見鎮座)

御祭神:素戔嗚尊
配祀神:天照大神・稲田姫命

天平12年(740)の創建と伝承。延文年間(1656−60)に宮殿大破し次いで多摩川大洪水によって古文書等を流失してしまったために詳細は不明。古くは現在地よりも多摩川岸に近いところに鎮座。
永禄13年(1570)に領主江戸頼忠(江戸開祖の江戸重長の末流、のちに喜多見氏となる一族)は当社を修復し祈願。代々の喜多見氏が崇敬してきた。承応3年(1654)に喜多見重恒・重勝兄弟は現在も残る石鳥居を寄進している。
明治社格では当初は村社、明治17年に郷社に昇格。
大正11年に社殿改築計画がおきるが、関東大震災によって一時中止となり同15年に落成。
昭和63年に不慮の災害によって社殿焼失。平成2年に現在の社殿が再建された。


喜多見氷川神社
正面

喜多見氷川神社石鳥居
(承応3年に喜多見氏寄進の石鳥居)
 
喜多見氷川神社参道
 
喜多見氷川神社参道
 
喜多見氷川神社

喜多見氷川神社拝殿
 
喜多見氷川神社

喜多見氷川神社本殿

境内裏の梅園。昭和初年に造成。
梅実を採取して塩梅漬にし
夏の土用に天日で干した梅干を神饌としている

参拝時に頂戴した梅干。


狛江市と世田谷区の境界線に鎮座。社殿は東面しており社殿の後方には梅園。その先は狛江と世田谷の市区界となっている。
この界隈では大規模の神社。社殿も大きい。なにより梅園の広がりに目を見張るものがある。
社務所で御朱印を頂戴する。一緒に神饌の「梅干」を戴く。プラスアルファでこういったものを戴けるのはなによりも嬉しいことであった。
境内は人の流れが途切れることなく、誰かしらが参拝に訪れている。昼下がりののんびりとした時間が流れており、居心地も良かった。





「須賀神社」(世田谷区喜多見鎮座)

御祭神:素戔嗚尊

社殿は約5尺(1.5メートル)ほどの小高い塚の上にある。この塚は古墳であったともいう。
承応年間(1652−1654)に喜多見重勝が喜多見館内の庭園に勧請したのが始まりといわれ、一般的には「厄除天王様」として崇敬されている。


須賀神社

須賀神社

須賀神社

須賀神社

喜多見神社より東に約300メートルの地に鎮座。ちょうど間に「慶元寺」が鎮座している。
神社は小さいが珍しい社殿。西日本では見かける事もあるが、東日本ではなかなか見る事が少ない拝殿兼舞台といったような張り出し付きの社殿。ちゃんと畳敷きとなっていたのは好印象。小さな社殿のまわりには、非対称的に大きな木が幾本か枝を広げている。ほんの数本の木であるが枝振りが良いせいか、とても豊かに広がっていた。





「宇奈根ノ氷川神社」(世田谷区宇奈根鎮座)

御祭神:素戔嗚尊

喜多見の氷川、大蔵の氷川とともに「氷川三所明神」と呼称される。創建時期は不詳。
昭和20年の東京大空襲によって社殿焼失。昭和30年に社殿再建。


宇奈根氷川神社正面

宇奈根氷川神社参道

宇奈根氷川神社 黄紅葉の境内

宇奈根氷川神社 赤紅葉の境内

宇奈根氷川神社

宇奈根氷川神社

東名高速道路の南側に鎮座。喜多見の氷川神社からは約1キロ南東。社地は東面している。南に600メートルさがれば多摩川に到達出来る。訪れたときにちょうど紅葉が良いバランスで進んでいた。手前は黄色の紅葉、奥は赤い紅葉。そんなバランスがこの季節ならではの色彩美であった。

時間は16時。晩秋の日没は予想よりも早い。世田谷の神社は半端であれどそろそろ本日の参拝も終了。続きはまたの機会に。





参考文献等
各神社境内の案内板等
北多摩神社誌
東京都神社名鑑

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