「京都京福電鉄途中下車」
<平成17年5月参拝・7月記載>
目次
「木嶋坐天照御魂神社」/「車折神社」
この日は午後から京都に野暮用があった。わずかに時間がある。でも雨が降っている。それでもせっかく京都にいるのだから、有意義な時間を過ごしたい。そう思って京福電鉄嵐山線に乗り込んで、沿線の神社を気楽に辿る。
あまり時間がないので、行きたかった「蚕ノ社」をとにかく目指す。
「木嶋坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんじゃ・木島神社・蚕ノ社・延喜式内名神大社・郷社)
<京都市右京区太秦森ヶ東町鎮座>
祭神:天之御中主神
大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命・瓊瓊杵尊
創建年代は不詳。「続日本紀」大宝元年(701)に当社が記載されていることから、それ以前から祭祀されていたことがわかる。
広隆寺創建のころに勧進されたともいう。
古くから祈雨の神として崇敬。現在の社殿は明治以降の建立。本殿の東隣には東本殿(蚕養神社)が鎮座している。本殿の西側には「元糺の池」があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居の一つとされる「三柱鳥居」が建っている。
境内の東本殿である蚕養神社は雄略天皇の頃に秦酒公が秦氏諸族と共に移住。絹や綾を織りだし「禹豆麻佐」の姓を賜り当地を太秦と称し、推古天皇のころに養蚕・織物の祖神を勧請したことにはじまるという。
境内の「元糺の池」は嵯峨天皇のころに下鴨に遷してから「元糺」となったとされる神池。
正面 |
境内 |
舞殿 |
拝殿 |
本殿 |
元糺の池・・・
四季涸れない神池、とのことだが。
水が全くはっていないよ。
でも、雨が降っている・・・。 |
三本鳥居 |
三本鳥居 |
京福電鉄嵐山線に「蚕ノ社」とよばれる駅がある。そこから約500メートル北上すると「木嶋坐天照御魂神社」という延喜式内の神社が鎮座している。いまでは「蚕ノ社」として有名な神社。そして「三本鳥居」の神社としても極めて有名。私も鳥居をみたくて訪れた、といっても過言でもない。
雨が強い。なぜにこんな雨のなかで参拝しているのか、自分の行動に呆れつつも参拝。
神池に赴けば、池ではない。水がはっていない状態。そんな奧まった空間にヒモロギがあり、三本鳥居の神域がある。
暗い。とてもではないが、まともに写真が撮れる明るさではない。それでもなんとか調整しつつ撮影し、そして雨に濡れつつ、カメラをかばいつつ、傘をたてつつ、それでも心を落ち着け、ゆったりと散策する。
「車折神社」(村社・単立神社・車前・車裂とも)
<京都市右京区嵯峨朝日町鎮座・朱印>
祭神:清原頼業公
清原頼業の墓所に建立された神社と伝えられている。
清原頼業<保安3(1122)年〜文治5(1189)年>は天武天皇皇子の舍人親王の御子孫。平安末期の儒者で高倉天皇の侍講となった明経博士。
没後、この地に墓をもうけて「宝壽院」という廟を営んで菩提を弔ったことにはじまる。
のちに後嵯峨天皇が大堰川御幸の際に、廟前を通ると突然、車が前にすすまなくなり不思議に思われて御下問されたところ、清原頼業の墓を祀る廟だと聞き、のちに「車前大明神」の神号を授かった。またある人が車に乗って社前を通るとたちまちにして車が裂けたので車折と呼ぶようになった、ともいわれている。
正面 |
参道 |
車折神社 |
境内 |
拝所 |
本殿 |
境内の芸能神社は芸能人の崇敬が篤い |
京福電鉄嵐山線「車折駅」はすぐ目の前。 |
京福電鉄嵐山線を「車折駅」で下車すれば、すぐ目の前に「車折神社」が鎮座している。神社に赴けば社殿後方、つまり北側からの参拝。拝殿で拝し、社務所で朱印を頂戴して、改めて参道正面から参拝。裏参道から入ってしまった時には、かならずこれをしないと気分が悪い。
雨ではあれど、参詣者は途切れることがない。芸能神社には見知った名前をみつけてやろうと、若い女性が多いのが特徴的か。
清原頼業公の面影をあまり感じることなく、意識することなく、そこに「車折神社」が鎮座していた。
参考文献
案内看板、由緒書き等。
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・26京都上巻
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