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「京都の神社風景 吉田神社編」
<平成15年4月参拝・平成15年12月記>


吉田神社」/「吉田神社大元宮

吉田神社に到着したのが午後1時。京都大学の向こうとわかっていながら、どこから進入すればよいのかがわからずに微妙に迷ってしまう自分が悲しかった。
大学の喧騒を抜ける。道を進むに連れて、人の気配が少なくなる。気が付けば目の前には鬱蒼とした樹木が目に入る。まさしく吉田山だった。


「吉田神社」 (官幣中社・春日大社分社・藤原氏神)
<京都府京都市左京区神楽岡町吉田山鎮座・朱印

祭神
第一殿:建御賀豆知命(たけみかづき命)
第二殿:伊波比主命(いはひぬし命)
第三殿:天之子八根命(あめのこやね命)
第四殿:比売神(アメノコヤネ命の后)

由緒
清和天皇の貞観元年(859)に藤原北家流の中納言藤原山陰が藤原氏の祖神である春日大社四神を勧請し平安京の鎮守神として吉田山に祀ったことにはじまる。
藤原氏は天智天武朝以降、朝廷と密接な関係にあった。奈良平城京の鎮守神として春日大社、桓武帝の長岡京に対しては大原野神社をそれぞれ創始。平安京に対しては吉田神社が祀られている。

藤原山陰を外祖父とする一条天皇が永延元年(987)に行幸。朝廷の宗社のひとつとして篤く崇敬されており「二十二社制」では十七位に列格。

祀職として代々を吉田家が務めてきており、吉田家は神祇官にも奉職していた神道家。著名な人物として「徒然草」を執筆した吉田兼好、日本書紀を註釈した「釈日本紀」を執筆した吉田兼方が著名。
室町期に吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創設。さらに卜部家(吉田家はもともと卜部家の流れ)で祀っていた祭場所を文明十六年(1484)に吉田山にうつし、吉田神道の根本殿堂とした。吉田山の「大元宮」を中心に吉田神道を理論化。
吉田神道・吉田神社はその後も益々の発展をとげ、戦国期には有力武家の崇敬をあつめ、江戸期には徳川家によって保護される。すなわち「諸社禰宜神主法度」にて神道管領長上として吉田家に神職許状のことが規定され、江戸期の神祇信仰は吉田家が中心にあり、全国の神社を統括していた。

大元宮には背後に伊勢外宮・八神殿・内宮を配し、東西両側面に日本全国3132座の式内社を勧進。特に大元宮は朱塗りの八角に六角の後房を付し、茅葺き屋根の南方に内削、北方に外削の千木をあげるという特殊建築であり国重要文化財指定。現在の建物は慶長六年(1601)の修造。

本殿は四棟春日造。天文三年(1534)造建、慶安元年(1648)改造。四脚中門・廊・神供所は寛文十二年(1635)修造。舞殿他は元治二年(1865)新造。

吉田神社
吉田神社正面
吉田神社
吉田神社参道
吉田神社
境内
吉田神社
吉田神社拝所
吉田神社
吉田神社本殿
吉田神社
末社・今宮社
大己貴神・大雷神・建速須佐之男命
吉田神社
摂社・神楽岡社
大雷神・大山祇神・高おかみ神
吉田神社
摂社・若宮社
天忍雲根命(アメノコヤネ命の御子)
吉田神社
末社・神龍社
祭神:卜部(吉田)兼倶公
吉田神社
山陰神社
祭神:吉田山陰公

吉田神社の存在は大きかった。歴史的に重厚な威圧感を誇っており、ここを参拝すること自体に私は圧迫感を感じていた。一歩一歩足を進める。
非常に落ち着いた佇まい。吉田山の神さびれた雰囲気に魅了されてしまう。とくに派手さはない。喧騒なものがない。きわめて粛々とした気配の中を満喫する。


「吉田神社・斎場所大元宮」(末社)

祭神
天神地祇八百万神

内院鎮座神
東神明社:天照皇大神(内宮)
西神明社:豊受比売神(外宮)
東西諸社:延喜式内神三千百三十二座(全国の神)

吉田神社
正面
吉田神社
正面
吉田神社
社殿
吉田神社
扁額
吉田神社
西諸神社と西神明社
吉田神社
東諸神社と東神明社
吉田神社
西神明社
吉田神社
六角の後房
吉田神社
大元宮正面
大元宮境内には
大元宮・東神明社・西神明社・東西諸神社がある。

そのほかに「八神殿」があったが、明治五年に
宮中神殿内に遷座している。
吉田神社
横姿
吉田神社
横姿

何の考えもなしに吉田山にきた。どうやら毎月一日は大元宮の敷地を一般公開しているという。たまたまの私も、たまたま足を踏み入れる。
この極めて奇怪な建築物の存在を知ってから、一度でよいからみてみたいと思っていた神社建築。そんな存在を間近に接する。これだけでも吉田にきた甲斐があった。
かなりの時を過ごしてしまう。それほどに見惚れていた。見飽きることはなかった。何度も何度もぐるぐると見聞。気が付けば時間は2時になろうかとしていた。

もうそろそろ東京に帰らなくては行けない刻限。まだ早いかも知れないけど、一寸だけ早めに帰りたかった。
京都には来ようと思えばいつでもこられる。そう思いつつ、ささやかに京都をあとにする。


参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名辞典・京都府

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