神社紀行〜全国編
神社紀行〜武蔵国編
武蔵国延喜式内社
神社御朱印
記紀神話の神様
神社つれづれ
靖國神社を想ふ
かみちゅ!舞台探訪参詣記
武蔵調布の神社歳時記
下総銚子の神社歳時記
 
掲載社一覧
神社所在地図一覧
掲示板
りんく集
 
Google

WWW を検索
サイト内検索

−表紙に戻る−


「昭和天皇武蔵野陵の風景〜平成16年1月7日〜」


1月7日と言ふ符號。この符號を感じる日本人はどのぐらゐゐるのだらうか・・・。

昭和64年といふ歳を憶えてゐるだらうか。
昭和64年1月7日といふ符號。
昭和が終はつた日。
昭和の戰爭が、昭和の國難が、昭和の榮光が忘れはじめた日。
日本人の魂が、日本人の齒車が、日本人のカタチが、徐々に變貌しはじめた日。

あの日から16年たつた。
今年は、平成16年。日々刻々、あの日は想ひ出の彼方となり、あの日は歴史に埋沒していく。

私は2年前の1月7日に御陵に詣でてゐた。<參考
あの時が最後だと思つてゐた。もう、この場所に詣でることはないと、あの時は實感してゐた。

平成16年1月7日。
私は仕事が休みであつた。休みであるなら、行つても良いかなといふ氣分になる。

ある種の豫感があつた。この日から、何かが変はるかも知れない。ある種の「パワー」を頂戴したかつた。
今の日本を思ふと、先帝に接したくなつてきた。

高尾駅。迷ふことなく、スラスラと足を進める。
すれ違ふ、行き交ふ人びと。
普通の人と、信念の人。
交はるたびに氣配を悟る。ああ、この人は信念を持つてゐる人だ、と。
御苦勞樣の氣持ちと、高ぶる氣持ち、そして若干の緊張心で「武蔵御陵」入口に立つ。

ことさらに深々と一礼し、一歩を踏み出す。
空白の空氣。深々とした空氣。

豫想通り。前囘もさうだつた。さすがに20代と思はれる普通の參詣者はゐなかつた。
(普通でない20代は確認したが。つまり街宣車の方々)

私は、いはゆる若造であつた。
ろくに昭和を知らない人間。昭和を10年間しかしらない人間。
そんな人間ではあれど、昭和を學んできた人間である。
昭和の苦勞と榮光を、歴史といふ舞台であれど、歩んできた人間である。
そして、 先帝昭和天皇を敬する念を抱いてゐる人間である。

一歩一歩を踏みしめながら、昭和の天皇陛下が眠られる地に向かふ。
1月7日といふ符號の日に。

昭和天皇武蔵野御陵
御陵入口
昭和天皇武蔵野御陵
昭和天皇武蔵野御陵
昭和天皇武蔵野御陵
昭和天皇武蔵野御陵
昭和天皇武蔵野御陵
昭和天皇武蔵野御陵

御陵前の空氣。豫感があつた。この豫感を期待してゐた。
2年まへ。この場所で、今は亡き 高圓宮殿下に接した、あの氣配と同じであつた。

11時45分。
一般の參詣が止められてゐるやうなので、鳥居前で一礼をして脇にそれる。30人ほどがゐた。
そろそろだつた。
11時55分。
黒塗りの車から降りられたのは 秋篠宮殿下、秋篠宮妃殿下であつた。
殿下と同じ空氣の下にゐる。緊張と感激に震へる身體。
カメラをかまへるも、殿下がこちらを向かれると、自然反射的に頭を下げて一礼してしまふ私。
これでは寫眞など撮れるはずがない。
御尊顔を拝し、寫眞を諦め、ただただ「獨特の空氣」にひたる。

秋篠宮兩殿下は、御祖父樣であらせられる 昭和の天皇陛下樣を詣で終はると、しずしずとお戻りになられる。我々、一般大衆ににこやかなる會釋をされながら。
そして、會釋に毎度毎度、返礼してしまふ私は、この空氣を期待して、この場所に來たのかもしれない。

1月2日の一般參賀でも皇室の方々の御尊顔を拝したてまつてゐた。
あのガラス越しの氣配と、搖れる日の丸、歓喜の万歳が呼び起こす氣配。
そして
1月7日の緊張に緊張を重ねた獨特の空氣とは全く性質が違ふ。

私は身動きがとれなかつた。足が一歩も動かなかつた。
秋篠宮兩殿下をお乗せした車が玉砂利の上を滑るやうにお戻りになられる。
秋篠宮兩殿下 秋篠宮兩殿下
秋篠宮兩殿下 秋篠宮兩殿下

一度、警備が解かれて一般の參詣が再開される。
あらためて、正面で 昭和の天皇陛下樣に拝する。

軽く一礼して、深々と二拝、鳴らさずに二拍し、深々と一拝、軽く一礼。
念じの言葉がいつも神社で行なつてゐるものと同じ事に苦笑する

あの榮光と困難を偲び、昭和といふ巨大なる歴史を偲び、そして 陛下を偲ぶ。
今の日本と今の世界を御報告する。
先帝陛下の希求されてゐた恒久平和の理念を。
私には答へはない。
ただ、先帝陛下に現状を御報告するだけである。
安らかなる陛下に御迷惑とは思ひつつ「この国のいくすえ」を伺ひ念じる。
「どうすればよいのでせうか」と。
ただ、答へはない。

香淳皇后の眠られる「武蔵野東御陵」に拝し、もう一度「武蔵野御陵」を伺ふと、また警備体制がひかれてゐた。この樣子では、まだどなたか參られる氣配。
しばらく樣子を伺ふ。

12時15分。
お車から降りられたのは紀宮殿下であつた。
秋篠宮兩殿下のときよりも、一般大衆の參列は少ない。秋篠宮兩殿下がお戻りになられるのと同時にかなりの人びとが帰られたから。すくなくとも警備の人間を除くと參列者は20人ほど。

紀宮殿下は一層にこやかなる笑顔で我々に一礼。相變はらず緊張しまくつてゐる私も一礼。さすがに落ち着いてきたが。
優雅さと氣品を漂はせる紀宮殿下は、私の豫想を覆してしまふ。誠に失敬極まりなく不純で非國民的發想であるが、紀宮殿下はポッチャリ系かと思つてゐたが意外とスマートであった。そして小柄で可愛らしかつた。思はず「萌え」てしまつた。誠に恐縮ながら・・・。

紀宮殿下 紀宮殿下
紀宮殿下 紀宮殿下

紀宮殿下がお車でお戻りになると、本格的に静かになる。
警備の方々も撤收の準備をはじめる。私もそろりそろりと撤收しはじめる。


大正天皇「多摩御陵」、貞明皇后「多摩東陵」を詣でる。
私はなにかかはつたのだらうか。何を得てきたのだらうか。
わからない。

御陵の入口で最後にことさらに深々と一礼する。
そして、新しき「一歩」を踏み出した。

1月7日といふ符號の日に。なにかを得た氣分。
この日を風化させてはならない。
昭和といふ符號を、時々は感じなくてはいけない。
あの時代を、見つめなくてはいけない。

日本人が古來から崇敬してきた象徴。日本人の文化深層である天皇家。
天皇家の御靈、連綿と受け繼がれてきた、日本國の魂。
日本に生きるものとして、日本を愛するものとして、日本の歴史と文化を尊重するものとして、天皇家の御靈に接してきた。


私は、心が充實してゐた。
うれしかつた。
來年の1月7日。きつとこの地に來るだらう。
日常のつまらない仕事を休んでも・・・。

香淳皇后「武蔵野東御陵」
香淳皇后「武蔵野東御陵」
香淳皇后「武蔵野東御陵」
香淳皇后「武蔵野東御陵」
大正天皇「多摩御陵」
大正天皇「多摩御陵」
貞明皇后「多摩東陵」
貞明皇后「多摩東陵」
武蔵野 左の建物で皇室の御方々が御休息される

私は單純な愛國者である。
村を愛し郷を愛し、そして風土を愛し、國土を愛す。
それだけのこと。
右翼といふ些細な枠で縛るのは不本意である。
私は、右翼といふつまらない形容ではないのだから。

このあとは餘事。本來なら、この充實心のままに歸宅すべきなのだらうが、つい寄り道したくなる。
「谷保天満宮」と「大國魂神社」、そして一國一社の「武蔵國府八幡社」を詣でる。
ただ餘事である。神社に關しては、のちほど記することにする。


−表紙に戻る−