「武蔵の古社を想う・調布稲城編」
すべて武蔵国多摩郡の延喜式内社及び式内論社(武蔵国の延喜式内社解説)
調布
「青渭神社(深大寺)」 小社論社・東京都調布市深大寺
「虎狛神社」 小社論社・東京都調布市佐須町
「布多天神社」 小社・東京都調布市調布ヶ丘
稲城
「穴澤天神社」 小社・東京都稲城市矢野口
「青渭神社(東青沼)」 小社論社・東京都稲城市東青沼
「大麻止乃豆乃天神社」 小社論社・東京都稲城市大丸
よく晴れた秋晴れ。なんとなく神社に行きたい気分。あまり遠出をしたい気分でもないから、近くを散策してみよう。武蔵国多摩郡の式内社を気ままに巡ってみようと思う。
青渭神社
(郷社・調布市深大寺鎮座)
祭神:青渭大神(水神)
創立は不詳。現在は深大寺の寺域にあり、眼下を川が流れるところに鎮座している。弥生的稲作に適した地域であり、付近に弥生遺跡がある。また豊富な湧き水があり、水神を祀ったものとされる。清水が青波をたたえていることから「青沼天神社」とも称された。
祭神は水波能賣大神・青沼押比賣命、一説に大池に棲む大蛇を祀ったものともいう。
明治6年に郷社列格。社殿は平成4年竣工。境内には樹齡数百年をほこるケヤキの大木がある。
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青渭神社(深大寺)
鳥居脇の大ケヤキは樹齡数百年(約600年)という。 |
調布の駅前から深大寺方面に向かうバスに乗る。バスに乗るといつも不安になるけれども、今回もどこに行くのかわからなくてドキドキする。深大寺が近づいたら降りようかと思っていたら、そのものズバリの「青渭神社前」バス停と案内される。大慌てて下車ボタンを押して、神社の目の前に到着。
社頭の大ケヤキが誇らしげに出迎えてくれる静かな境内。時折参拝客がいるのも深大寺に隣接しているからだろうか。開放的な神社で、いわゆる「もの悲しさ」のたぐいは漂ってこない。
せっかくだから周囲を散策してみる。深大寺にも立ち寄ったが、まあ余り面白いものではない。
深大寺は天平5年(733)に満功上人によって法相宗寺院として創建。貞観年中(859−877)に天台宗改宗。東京都内では淺草寺に次ぐ規模という。豊富な水に恵まれ、清水にさらし風味をましたことに由来する「深大寺そば」や湧き水利用の「神代植物公園」などがある。
深大寺を軽く散策したら、その足で「虎狛神社」まで歩く。距離にして1キロ南の佐須町に鎮座している、はずだった。
虎狛神社
(こはく神社・郷社・別名虎柏神社・調布市佐須町鎮座)
祭神:大歳御祖神・倉稲魂命
崇峻天皇2年(589)の創建とされる。狛江郷(狛江・調布)のなかでも最も早くからひらかれたところといわれ、当社はここに住居を定めた渡来系高麗人の集落神として祀られたものと推定。
ひさしぶりに本格的に迷ってしまった。深大寺を出発して虎狛神社に到着するまでに要した時間は1時間20分。どうして1キロ南の場所まで歩くのにこんなに時間を必要としたのか。私の勘違いによって住宅地に迷い込んでしまったのが原因。11時10分に深大寺を出発して12時30分に虎狛神社に到着。この間、歩き通しなので無駄に疲れて神社にたどり着く。
虎狛神社は市内を流れる野川の北側に鎮座している。境内はほどほどの広さ。社殿も鎮守様に程良い規模。社頭に面した道路を頻繁に車が行き来する、ぐらいしか特徴がない。
境内には文政11年に建てられた狛江郷佐須邨虎狛神社碑、という文字も薄い碑がたっている。一生懸命に読んではみるが、1時間以上さまよった疲労で、あまり気分がいいものではなかった。
さらに南下すること1キロほど歩くと、電気通信大学に隣接して「布多天神社」がある。こちらは調布の中心でもあり、さして迷うことなく到着。
布多天神社
(ふだてん神社・郷社・調布市調布ヶ丘)
祭神:少彦名命・菅原道真公
創建は不明。桓武天皇の延暦18年(799)、広福長者という人物が、当社に七昼夜参籠し神告によって木綿布の製造を会得し里人たちに教えたといわれている。これが我が国の木綿の始まりとも言う。その布が調(みつぎ)として朝廷に送られた事から、以来此の付近を調布とよぶようになったとされる。
もともとは多摩川畔の古天神に鎮座していたが文明年間(1469−87)に洪水を避けて現在地に移転。そのときに菅原道真公を合祀したという。
本殿は宝永3年(1706)造営。覆殿は昭和40年、幣拝殿は昭和60年の造営。
12時35分に虎狛神社を出発して13時00分に布多天神社到着。わかりやすいはずなのに迷ったのは、今日が余程「厄日」なのかもしれない。
学生が多いのは、当然に大学の隣だから。あまり良い環境とはいいがた立地条件。
式内社の「天神社」は、当然に天津神ではある。しかし名前がそうさせるのかいづれも「菅原道真」を合祀して、天神社があらぬ方向を連想させるものとなっている。町の中心に立地し、社頭前はとぎれることなく人びとが往来。しかし境内はひっそりとしており人口密度がまるで違う。
「調布駅」から京王相模原線に乗って多摩川を渡る。休む間もなく「京王よみうりランド駅」に到着。テンポよく駅前から高架線路に沿って500メートル程度歩くと、ちいさな小川と穴澤天神社の入口がひっそりと見えてくる。13時40分だった。
穴澤天神社
(あなざわてん神社・郷社・稲城市矢野口鎮座)
祭神:小彦名大神・菅原道真公
創立は孝安天皇4年という。元禄17年に社殿を改修し菅原道真を合祀。現在の社殿は昭和61年修復。
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左上:穴澤天神社入口
ここからしばらく上り階段を歩く。
上:山中腹の穴澤天神社境内入口。
参道がちょっと折れてます。
左:拝殿
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急に寒くなってきた。石段を登るにつれて、身体が冷えてくる。実際に30メートルぐらい標高はあがったが、極端に寒くなってくる。
境内は広いような気がする。広いけれども何もないような雰囲気。奧まったところに社殿がある。境内には誰もいないが、境内の下が騒がしい。何があるのかな、と思って下に降りてみると「弁天社の神水」という水を休む間もなく採取していた。上の神社よりも下の神水のほうが賑やか、というのもさもありなん、といったところ。どこに行っても神水は人気があるようだ。
14時00分に穴澤天神社を出発して歩く。具体的には京王よみうりランド駅から南武線矢野口駅まで1キロ歩いて、さらに隣駅の南武線稲城長沼駅までは川崎街道に沿って2キロ歩く。なぜそんなに歩くのかが謎だが、なんとなく歩きたかった気分。最近の私は無駄に良く歩くようになった。距離的には3キロだが、運のない日は良く迷う。3キロを45分で歩いて14時45分に青渭神社(東長沼)に到着。
青渭神社
(郷社・稲城市東青沼鎮座)
祭神:青渭神・猿田彦命・天鈿女命
弘仁年中(810−824)の創立ともいうが、詳細は不詳。昔は「大沼明神」「青沼大明神」と称していた。この神社も多摩川の豊富な水と関係のある神社で、かつては霊泉もあり、かつ弥生の住居跡もある。
明治6年に郷社列格。現社殿は昭和49年造営。社殿の付近は東京におけるナシ栽培の起源地(元禄年間に植樹)でもあるという。
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左上:入口
上:鳥居の幅しかない参道
左:拝殿
コンクリート造りで、気合い抜け |
稲城長沼駅から10分も歩かないところに鎮座。川崎街道から稲城市役所入口の交差点を入ったところ。異様にわかりにくい場所。目印は「第三小学校」といったところ。
やっぱり青渭神社というだけあって、水は豊富。歩いてみて感じたが東長沼地区は綺麗な水路が、静かに流れる良いところだった。
神社自体の記憶はあまり残っていない。静かな住宅街と小学生が賑やかな空間、ということぐらいしか覚えていない。
大麻止乃豆乃天神社
(おおまとのつのてん神社・郷社・稲城市大丸鎮座)
祭神:櫛真智命
祭神の櫛真智命は記紀にはみえないが、高天原の天香久山の神とされ卜占の神とされている。
江戸期には「丸宮明神社」と称していた。明治維新後に神仏分離令が出されたときに従来から延喜式内社候補とされていたため大麻止乃豆乃天神社の名前を申請。大和国十市郡に「天香山坐櫛真命神社」(大社)があって「大麻等乃知神」と元の名が注されていることを根拠にしているという。
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左上:入口
上:参道石段
左:拝殿
こまったことに参道かなり薄暗く、
夕方でかなり不気味だった。
明るさ補正しても、これが限界です。
神社入口の両脇に墓地、隣は寺院という
素晴らしく「神仏習合」的環境だった。 |
青渭神社(東長沼)から、さらに川崎街道に沿って1キロ歩く。途中のハンバーガー店で格安の休憩を行い、隣に併設してあるコンビニで地図を見る。埼玉以外の土地は簡易地図しかないので、時々地図を確認しないとかなり危ない。現に、今日は迷ってばかりなので、最後ぐらいはドンピシャリといきたい。コンビニ店員に道を尋ねてもまともな答は返ってこないが、コンビニ置いてある詳細な地図は役に立つ。どうやら、今回は迷わなくてよさそうな手応えを得る。
15時30分に大麻止乃豆乃天神社、到着。秋も日が落ちるのが早いらしく、参道の上の方は、近寄りたくない暗闇の気に被われていた。おまけに鳥居の両脇に「墓地」がある始末。とんでもなく「遠慮したい気配」が漂っていた。
鎮座地は臨済宗円照寺(旧別当)の隣。当社を巡っては式内論争が絶えなかった、というがそれは別当寺院の勢力も起因していたのだろう、と勝手に憶測。
神社は山の中腹に位置しており、社殿後方の裏山がうらやましいばかりにいい雰囲気を醸し出す。私が近所の子どもだったら間違いなく恰好の遊び場になるだろう。それぐらいに良い裏山であった。
穴澤天神社も高台であったが、こちらはそれ以上の「山」。100メートルは登ったような気分になる。当然誰もいない。それでいて秋虫の声はやかましく、カラスも鳴いている。自然環境はこのうえない良いところではあるが、精神的環境は憂鬱になる。なんとなくぼーっとする。参道に下の道路で、小学生たちが石を蹴りながら遊んでいるところだった。
今回の神社はいずれも「武蔵野の風土」を良く残す良い神社たち、そんな事を神社のベンチに座りながら想いはせる。薄暗い境内に1人で座るベンチは神威的ですらあった。
そろそろ16時になろうという時間。疲れ切った身体を引きずって南武線南多摩駅に駆け込む。なんだかんだいって、この難しい名前の神社「大麻止乃豆乃天神社」が今回は一番興味深かった。
川崎街道から振り返ると、左斜めに神社が鎮座していた山が意外と大きく鎮まっていた。
<参考文献>
「境内案内看板」「角川地名大辞典」ほか
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