紅葉甲州路〜大嶽山那賀都神社 平成20年11月16日
「山の神社と温泉に行くんだ、温泉はぬるま湯で、そこで一時間ぐらい浸かりながら寝るんだ」と、私の友人が言っていたのがその前日だった。
最近知り合ったその友人は、たまたま神階免許をもっていた。
彼と知り合った当初は神道系の某大学神道科出身で神階免許を持っている事は知らなかったが、私が神社好きということも講じて、じゃあ神社に行ってみようという事になった。
私がこうしてサイトを復活する要因の一つにそんな友人の存在も大きい。
そうして前日の夜に「神社にいくこと」になって、どこの神社に行くのかしらず、友人の車でつれられた場所が、大嶽山那賀都神社、であった。
大嶽山那賀都神社 <旧村社・山梨県山梨市三富上釜口鎮座・公式サイト>
(だいたけさん ながと じんじゃ)
御祭神
大山祇神 大雷神 高オカミ神
景行天皇の頃、日本武尊東征に際して甲武信越境の時に神助をうけ、日本武尊がその佩剣を国司ヶ岳(2159m)にとどめて三神を祀った事にはじまる。(現 奥宮)
天武天皇の頃、役行者小角が当山の霊験あらたかなるをもって修験道場として開山。昼夜連日鳴動したことから当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」ち呼び、さらに元正天皇養老元年(717)に奥宮から遷座をおこなった際にも鳴動したといわれている。
天平7年、行基が観世音菩薩を彫り「赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神の みゐづや高く 那賀都とは祈る」と神歌を奉じたことより当社を「大嶽山那賀都神社」と称した。
養老年間に最澄、天長8年空海が来山してたとされいる。
江戸初期に大破し小祠となってしまったが、元文5年に再建のため羽黒派修験東叡山支配となり社殿再建。
現在の社殿は本殿が嘉永3年着工明治10年竣工。神楽殿明治35年竣工(昭和38年復興)、随神門同37年竣工。
拝殿は明治43年再建
明治6年に村社列格。
祭日
歳旦祭 1月元旦 節分祭 2月1日(変更あり)
例大祭 4月17日18日 甘酒祭 7月17日18日
大祓式 8月第一日曜 紅葉薪祭 11月3日
以上、境内案内看板参照
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下の駐車場から山を登ること約20分。
参道は途中2箇所の急坂をのぼります。
眼下には滝を望める場所もあり。
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左 随神門。
神門には カラス天狗がひかえています。 |
結構、急な石段 |
拝殿 |
拝殿
ちょうど内部では七五三の祈願を行っていました。 |
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神楽殿 |
境内には、わき水もあります |
参道脇には祭礼の名残でしょうか?
小さな幟が並んでいました。 |
明治期の宮司像
大都彦命 とありました |
塩山駅からみれば北に約10キロ。(バスは2時間に一本 参考 公式サイト)
ふもとの駐車場からあるくこと約20分で神社に到達。
参道は紅葉に包まれており、眼下を流れる赤の浦川(笛吹川支流)のせせらぎを聞きながら気持ちよく歩く事が出来る。
季節はちょうど紅葉のころでもあり、踏みしめる落ち葉の音も心地よい。
20分ほどのんびりとあるくと、鳥居がありいよいよ神社へと近づいてくる。こけむした石段の向こうに古風な橋がかかっており、その向こう側には大きな随神門。正直言って、こんな山村の奥にこのような立派な神社があるのが意外であった。
随神門をくぐった正面には神楽殿。その右手にはさらに急な石段がつづき、斜地をいかして社殿が鎮座。空間は狭いが、立派な拝殿が目の前に広がる。
ちょうど拝殿内では七五三の祈願もおこなっており、それとは別に通常の祈願のようなことも行われていた。
講社は全国に広がっているように見受けられ、山岳信仰特有の氏子の気配を感じる事が出来た。
神社に詳しい友人が温泉にたちよる途中でたまたま見つけたという神社であれど、山水から立ち上る気配がとても気持ちよく、紅葉という事も重なり大いに気に入ってしまった。
また来たい神社の一つとなりました。
その後、もう一つの目的であった温泉に赴き、男三人でぬるま湯に浸かりながら昼寝。久しぶりに体力気力ともに満喫の休日を過ごす事ができました。
温泉は、「笛吹の湯」という市営の公共浴場。
非常にぬるま湯で、うたた寝をしながら浸かるのに最高の温泉でした。
周辺住民の方々で常ににぎわっており、観光客向けではないようですが、温泉に浸かればそんなことも気にならず、のんびりとした時間を過ごす事が出来ます。
温泉にゆったりと浸かりたい人にはお勧めの湯です。
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