神社紀行〜全国編
神社紀行〜武蔵国編
武蔵国延喜式内社
神社御朱印
記紀神話の神様
神社つれづれ
靖國神社を想ふ
かみちゅ!舞台探訪参詣記
武蔵調布の神社歳時記
下総銚子の神社歳時記
 
掲載社一覧
神社所在地図一覧
掲示板
りんく集
 
Google

WWW を検索
サイト内検索

−表紙に戻る−

「郷土の鎮守様〜中浦和編〜」<平成17年12月>


関ノ神明神社」「田島ノ氷川神社」「田島ノ御獄神社

郷土の鎮守様シリーズ。
今回は中浦和駅から西浦和方面に歩いてみる。この中浦和と荒川対岸の志木はバス路線で結ばれており、私は志木住民だから、そんなに遠い場所というイメージもなく、むしろ近所の延長線。

中浦和駅から西に約200メートル。鴻沼川という小川を後ろに鎮座している。


「関ノ神明神社」     
(埼玉県さいたま市桜区関鎮座・中浦和・旧無格社)

御祭神:天照大神他

旧浦和市内で最大規模の円墳(直径33メートル・高さ4.5メートル)をもつ神明神社古墳の傍らに鎮座。古墳の西側に神社が鎮座し、東側に東福寺(明治に廃寺。昭和46年に再建)が鎮座。
風土記稿には「神社 天王社 村の鎮守なり、東福寺持」とされる。江戸期には天王社が村の鎮守であり、神明社は東福寺持ちの境内社の一つであったという。
東福寺の山号を神明山とすることから、当社は本尊大日如来の本地仏たる天照大神を考えると、東福寺守護神として祀られたであろうことが推測できる。
東福寺の開基、当社の創建共に不詳。東福寺境内からは正和4年(1315)の阿弥陀三尊種子板石塔婆が出土している。
明治4年に東福寺が廃寺され、当社に八幡社・春日社・天王社・天神社が合祀。江戸期のいとごろに関村の鎮守が天王社から神明社に変わったかも不明ではある。

氏子地域は関1・2丁目、田島4丁目、鹿手袋1丁目7丁目。

関ノ神明社
関ノ神明社
関ノ神明社
右側が古墳
関ノ神明社 左:神明神社古墳
直径32M、高さ4.5Mの円墳
南西部が神社によって削られている

古墳時代後期(六世紀後半頃の造営とされる)
土合・大久保地区の「土合古墳群」に属する。

JR埼京線・中浦和駅から西に約200メートルの地に鎮座している。駅から用水路沿いに沿って歩いてみたけれども、森はわかれど入口がわからない状態。結局ぐるりと一回りしてから境内に足を運ぶ。古墳がこんもりとあり、その脇に小さく鎮座。
住宅地のただ中で、こういう神社に足を運ぶ時は意外と緊張する。やはり私はその地域に関係ない人間になってしまうから。地域鎮守であればあるほど、その傾向は強くなる。


「田島ノ氷川神社」     
(埼玉県桜区田島鎮座・中浦和)

御祭神:素戔嗚尊他七柱

創建年代は不詳。慶安2年(1649)には徳川家光から朱印地七石を拝領したとされる。
当社は「下の宮」の氷川社と呼称される。かつては田島地区と西堀地区が一村であり、西堀ノ氷川を「神の宮」、そして田島ノ氷川を「下の宮」と区分わけしたためという。
田島・新開・道場・町谷・西堀・関・鹿手の鎮守。

明治六年村社列格。明治40年には上記の無格社神明社と境内社、鹿手袋の村社八幡社と境内社等を合祀したとされるが、あくまで書類上の合祀であり、それぞれの神社は旧地で祭祀がいとなまれている。

氏子の間では、当社は「下の宮」、西堀ノ氷川を「上の宮」と呼称しているが、この両社は姉妹神で、姉の方が下の宮に祭られ、境内や社殿が妹の宮よりも質素であり、大層仲が悪かったと伝えられている。往時は10月5・6日の「田島ノ節句」と7・8日の「西堀ノ節句」の期間は姉の悔し涙が毎年雨模様となるために、「西堀、田島の泣き節句」と伝えられていたという。

田島ノ氷川神社
田島ノ氷川神社
田島ノ氷川神社
神橋
田島ノ氷川神社
拝殿
田島ノ氷川神社
本殿

JR埼京線・中浦和駅から南西約500メートルの地に鎮座。武蔵野線・西浦和駅からは約600メートル北東。社地は志木と浦和を結ぶ、志木街道に面しており、背後には鴻沼川、社地周辺に水地を配して、空間が公園化されている。荒川河川敷・秋ヶ瀬公園にほど近い地域でもあり、水との繋がりを体感できる良い景観であった。


田島ノ御獄神社     
(埼玉県桜区田島鎮座・中浦和)

御祭神:
国常立尊・大己貴命・少彦名命・猿田彦大神・天宇受売命 他

当社は第九二代伏見天皇の永仁三年(1295)に創建したとされる。
木曽御嶽山王滝口開祖普寛行者が天明年間に本社に於て修行をしたと伝えられる古社。

普寛行者は、享保16年(1731)に秩父大滝にうまれ、三峰山で天台真言両宗の奧義を極め、江戸にて府下修験者の長となる。寛政四年(1792)に江戸の信者を連れて木曽御獄山に王滝口から強行登山し、御嶽山を道者から行者の山へと変革させた人物。
普寛は木曽御獄から郷里に戻る途中の武蔵本庄後で病没。当社は普寛行者ゆかりの古社であり、社宝として御獄滝口開山の御礼として奉納された画が伝わる。

田島ノ御獄神社
田島ノ御獄神社
田島ノ御獄神社
正面
田島ノ御獄神社 左:天神雷鳥が鳥井脇にひかえる
田島ノ御獄神社
拝殿
田島ノ御獄神社
本殿

田島ノ氷川神社から南下すること約400メートル。JR武蔵野線・西浦和駅からは東300メートル。境内入口は西側に面しており、社殿は南面している。神社地と宮司宅が一体化しており、崇敬者の便宜のよさを感じる。この気配は崇敬者の篤さを感じる。ただ一般的な私のような人間にとっては、ちょっと緊張する神社。それでも神社に拝せば、心は落ち着く。天神雷鳥が印象深い神社。私は格別に特定神社の崇敬団体には所属していないが、当社で御獄信仰の強さを感じる。神社としては、良い気配だった。

田島地区からは私は武蔵野線でも帰れるが、せっかくだからバスで家路に着く。田島から荒川を超えれば志木に到達。私は志木の住民。
荒川西岸地区の志木・新座・朝霞・和光・富士見・上福岡・三芳・大井の神社めぐって、次は徐々に荒川東岸も巡ろうと計画中なのだ。


参考
各神社由緒案内等
「埼玉の神社」埼玉県神社庁神社調査団編/埼玉県神社庁

−表紙に戻る−