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「郷土の鎮守様」 〜埼玉県新座市の神社・その1〜

<平成16年5月記>

目次:
その1:馬場ノ氷川神社武野神社西堀ノ氷川神社

その2:野火止ノ若宮八幡神社/野火止ノ氷川神社/野火止ノ神明神社/大和田ノ氷川神社

郷土の鎮守様も第四弾です。今回は新座市。新座市を自転車でかけぬけ七社を一気に訪問です。
掲載順は、私の参拝順によります。



「馬場ノ氷川神社」    
(新座市馬場四丁目鎮座)

祭神:素戔嗚尊

由緒:
鎮座地付近は中世期の片山郷の中心であったとされ、鎌倉御家人で開発領主であった片山氏が付近に居住していたとされる。
創建年代は明らかではないが、中世期であろうとされている。この付近は江戸期は幕府直轄領でもあった。

氏子地域は馬場1−4丁目、池田1−5丁目、栄町1−5丁目、畑中1−3丁目、道場1−2丁目、堀ノ内1−3丁目。

馬場ノ氷川
参道
馬場ノ氷川
参道
馬場ノ氷川
拝殿
馬場ノ氷川
社殿

和光市内の神社、そして膝折ノ氷川神社を詣で終えたあと、新座市に足をふみいれる。朝霞膝折の地からはすぐ先が新座市。関越の高架下、距離にして1.2キロほど南西に鎮座していた。

参道が長いようだ。細長い参道をすすみ、左右に林立する目出度そうな巨石に関心を寄せていると、300メートルほどで社殿に到達する。あいかわらずの静寂の中で参拝をすまし、地図を片手に次に進むべき進路を頭に入れる。

2キロほどさらに南西に進んだ地、西東京との境目近くに「武野神社」という社が鎮座している。


「武野神社」     
(たけしの神社・新座市野寺三丁目鎮座)

祭神:誉田別命

由緒:
当地の鎮座地である「野寺」は満行寺の別称に由来する。鎮座地は八幡山と呼称される丘陵地であり、その下に旧別当である満行寺が鎮座。
創建年代は明らかではない。
社伝によると永承6年(1051)に勃発した前九年の役に八幡太郎源義家は父の源頼義とともに阿倍氏の反乱を鎮めるために奥州に向かった。その途中に当社に立ち寄って戦勝祈願を行い社殿を奥州対座の北向きに改めて再建したとされている。
平安期の康平六年(1063)に社殿修復の記録があり、それ以前の創建だろうとされる。

現在、社殿の東側に安置されている旧八幡社本殿は寛永年間の建立という。

明治社格では村社。明治41年に栗原ノ浅間社をはじめとする社を野寺の八幡社に合祀した際に武蔵野の「武」と野寺の「野」から「武野神社」と改称された。

武蔵野の面影を色濃く残す当社は雑木林に包まれ、八幡山からわき出る清水は近隣を潤してきた。八幡山の傍らには清水を司る弁天社が池のなかにまつられている。
氏子地域は野寺1−5丁目・石神1−5丁目・栗原1−6丁目・片山1−3丁目・池田1−5丁目に及ぶ。

武野神社 武野神社
武野神社 野寺の武野神社

上:武野神社境内

左:弁天社

このあたりは水が豊富であるらしく、驚いた事に隣接して「釣り堀」までもが併設されていた。
神社は小山の上に鎮座している。この小山のふもとは水が湧いており、池の中に弁天社がまつられている。もっとも池といってもコンクリで固められた正円の輪であるが。
ちょっとした小山は、さわやかに緑につつまれており、水の音が心地よい環境。


「西堀ノ氷川神社」    
(村社)

祭神:素戔嗚尊

江戸初期に河越藩主松平信綱によって開かれた野火止新田四ヶ村のうちの一村が西堀。
当社は古くから西堀の鎮守とされていたが、創建年代は明らかではない。おそらくは野火止ノ氷川神社の創建が承応年間(1652ー55)とされることから、それ以降であろうとされる。

西堀ノ氷川
西堀ノ氷川
西堀ノ氷川
西堀ノ氷川

野寺から1.8キロほど北上する。新地開拓されたような区画の中に「西堀ノ氷川」は鎮座していた。古くからの土地ではあれど、周りには畑が多く、逆に古さを感じさせない区画地域を感じさせる。
社殿もかなり新しめの建築。新興住宅地のような気配のなかで、あたりは武蔵野らしからずにひらけていた。


<参考文献>
『埼玉の神社』北足立・児玉・南埼玉郡編 平成10年3月 埼玉県神社庁
神社由緒書及び案内看板。



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