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「大阪の神社詣で」
<平成7年3月参拝>

目次
その1「桜井神社」/「大阪天満宮
その2「枚岡神社」/「瓢箪山稲荷神社」


今年の私は、いろいろと活動的だ。紀行文的に線でつながる神社詣でも多い中で、点にしかならない神社詣でもある。唐突に行きたくなって、ピンポイントで行動するとこうなる。
大阪でも時間を見つけてピンポイントで行動。
そんなわけで、今作は紀行ではなく神社単一の扱いとなる。



「桜井神社」(国宝拝殿・延喜式内社・府社・櫻井神社・上神谷八幡宮)
<大阪府堺市片蔵鎮座・朱印

祭神
誉田別命・足仲彦命・息長帯比売命

もともとは桜井朝臣一族が祖先武内宿禰を奉斎した社とされる。
推古天皇5年(597)に八幡宮を合祀。上神谷八幡宮とも称する。

和泉国大鳥郡上神郷の総鎮守。延喜式内社。
明治期に和泉国大鳥郡の式内社である「国神社」「山井神社」を合祀している。

天正5年(1577)に織田信長の紀州根来寺征伐に際して兵火にかかり、のち復興。
明治五年郷社、昭和17年府社昇格。
昭和28年に最古の神社拝殿建築として国宝に指定される。

「桜井神社拝殿」国宝
鎌倉時代前期(1185−1260)の建築。木造切妻造。本瓦葺。内部中央の土間は通路となった割拝殿である。鎌倉建築の簡素明快な建築が各部に現れており、神社拝殿としては最古の建築。

桜井神社
桜井の井戸古跡
桜井神社
桜井神社・正面
桜井神社
国宝 拝殿
桜井神社
拝殿正面
桜井神社
拝殿 横

拝殿 拝所
桜井神社
割拝殿 中央
桜井神社
内部
桜井神社
本殿
桜井神社
本殿

この日は大阪に宿をとっていた。夕方に用事があったがそれまでは空き時間。折角だから大阪方面の神社を巡ろうかと考える。
ふと、そういえば「国宝の神社」があったなあ、と思いだし、目的地との方向は若干違うが「桜井神社」に赴くことをきめる。

大阪市営地下鉄御堂筋線にゆられて終点の「なかもず駅」に到着。そこから泉北高速鉄道に乗り換えて「泉ヶ丘」下車。バスに乗り換えて「片蔵」停留所まで搖られ、そこから徒歩。
なにやらだいぶ手間がかかったようでもある。

古井戸を眺め、その脇を流れる妙見川をみればこんもりと繁る木々がある。間違いなくそこが「桜井神社」の鎮座地であった。

国宝の拝殿、というものにひかれてきた桜井神社。境内にはいてみれば正面に拝殿がある。飾り立てているわけでなく、古風な拝殿が、静かに朱をひきたてて鎮座していた。単純明快な拝殿。割拝殿のなかをすすみ、頭を垂れる。外面の朱と内面の木調が心地よい。いつまでも飽きずに四方を巡る。わざわざ来た甲斐があった。
朱印を頂いて、まどろむ。結構、頻繁に参拝者が訪れるが、地元の方々が多い。観光化されていないのも、神社としては有り難い環境であった。

バスが来ない。しょうがないから、歩く。鎮座から1.3キロほど離れている。それぐらいなら問題なく歩ける距離。
このあとの私は近鉄南大阪線から富田林に赴く用事があった。
もっともその用事の途中で途中下車して神社参拝をする予定ではあるが、それはまた別の話。



「大阪天満宮」(府社)
<大阪府北区天神橋・朱印

祭神:菅原道真公

天歴3年(949)に村上天皇の命によって鎮座。
菅原道真公が摂津中島に鎮座していた大将軍社に参詣後に太宰府に向かったことに縁があった。
菅公没後約50年がたったある夜に、代将軍社に突然七本の松が生えて、その梢が毎夜毎夜に金色に光ったとされている。伝え聞いた村上天皇が菅公にゆかりの奇瑞として、大将軍社の杜に勅命で菅公をまつる天満社を鎮座。大将軍社は摂社として祀られている。

現在の本殿は弘化2年(1845)の建築。
明治社格では府社。現在は神社本庁所属の別表神社。


正面

裏参道

拝殿

本殿

前述の桜井神社の一ヶ月前にも大阪に宿泊。その時はまさに素通りであったが、ちょっとだけ時間を費やして宿泊地近くの天満宮に参拝。
夕暮れ、いやもうすでに暮れようとしていたころに参拝。それでも結構、人の動きは多かった。丁度二月という事もあってやはり「学問の神様」は人気があった。さすがにまだ梅は早かったが、それでも梅祭りのピンクの幟が華やかだった。


参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)




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