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「相模の古社詣で」
<平成16年8月参拝>


1.「前鳥神社」/「平塚八幡宮」/「寒川神社



午前中に武蔵国式内社「杉山神社」巡りを敢行していた私であったが、すでに12時過ぎには横浜駅に戻って来るという効率の良さに、逆に呆れつつ、この先をどうすべきか悩む。
せっかく横浜にいるのだから、足を伸ばせば相模の神社を詣でることぐらいは出来るだろう。

12時30分東海道線に乗り込み、車内で慌ててノートパソコンを開く。さしあたり東海道線に乗り込んでみたが、行きたい神社への行き方がわからない。ゆえに慌ただしい調べ方をする。

13時04分に平塚到着。平塚駅からバスに乗れば、「前鳥神社」に行くことが出来る。ただ神社に到着したのは13時40分過ぎ。手元の地図が古すぎて、道を完全に間違えていたらしい。最新地図をノーパソで開けば良いのだろうが、さすがに歩きながら開くものではない。

なにはともあれ、前鳥神社に到着。ちなみに「さきとり神社」という。


「前鳥神社」 (延喜式内社・相模国四之宮・郷社)
<神奈川県平塚市四之宮鎮座・朱印>

祭神:菟道稚郎子命
合祀神:大山咋命
合祀神:日本武尊

由緒
延喜式内社。「埼取」「前取」「左喜登利」とも表記した。
創始は仁徳天皇のころとされる。祭神の  は応神天皇の皇太子であり頭脳明晰で応神天皇からも愛されていたが、応神死後に皇位の座を兄の仁徳帝と譲り合い、苦悩して自殺された皇子。当社が  を祭神とする由来は不詳。
養老年間(717−24)に相模国国府祭(相模国の六社が集う祭礼。)がはじまったとされ、そのころから当社は「相模四之宮」とされ、「四之宮大明神」とも称されてきた。また中世近世においては鎌倉幕府や江戸徳川幕府の崇敬をうけている。
昭和43年には創始1600年祭がとりおこなわれた。

相模国六社
一ノ宮・・・寒川神社
二ノ宮・・・川匂神社
三ノ宮・・・比々多神社
四之宮・・・前鳥神社
一国一社八幡宮(五之宮)・・・平塚八幡宮
総社・・・六所神社

前鳥神社
前鳥神社参道
前鳥神社
前鳥神社脇参道
前鳥神社
参道正面
前鳥神社
拝殿
前鳥神社 左:前鳥神社本殿

道の迷ったのが、腹ただしいほどにわかりやすい鎮座地。道をあゆめば、そこにこんもりとした「緑の空間」があった。
いちもどおりに静かに参拝して、社務所に顔を覗かせ朱印を頂く。ちょうど、タイミングが悪かったらしく「朱印がかける人」が書けるようになるまで、かなり待った。おそらくは私の神社参拝歴のなかで最長待ち時間だったろう。時間は計っていないが撮影写真データからすると10分〜15分程度待っていたようだ。
ひさしぶりのまったりとした時間をすごして、14時10分すぎに神社をあとにして、今度は迷わずにバス停に到達。平塚駅まで戻るバスに乗り込み、市役所前で降りれば、そこに平塚八幡宮が鎮座している。


「平塚八幡宮」(県社・相模国一国一社八幡宮・相模五之宮ともいう)
<神奈川県平塚市鎮座・>

祭神:応神天皇・神功皇后・武内宿禰

仁徳天皇68年、相模地方に地震があり人民の苦難のさまを伝え聞いた仁徳天皇が、国土安穏祈願のために応神天皇を祀るように勅されたのが当社の起源という。
古くは鶴峯山八幡宮と称した。
当社は一国一社の八幡宮としてあつく崇敬され、総社六所神社の国府祭にも参加する神社。
明治6年に政府の指示により「八幡神社」と改称。昭和53年に「平塚八幡宮」の旧名に復した。
明治社格では県社。現在は神社本庁別表神社。平塚市総氏神。

平塚八幡宮
平塚八幡宮正面
平塚八幡宮
参道とハト
平塚八幡宮
参道正面
平塚八幡宮
参道とニワトリ
平塚八幡宮
拝殿
平塚八幡宮
石燈籠に休むネコ
平塚八幡宮 左:神池に遊ぶコイと甲羅干しで休むカメ

平塚八幡宮に到着したのが14時30分。予想以上に広く、緑あふれる境内に足を進める。参道では鳩が休んでいる。当然、参道がふさがっているわけで、私が足を進めれば一斉に飛び立つ。社務所が脇にあるが無人のようなのでそのまま拝殿にて参拝をすます。気が付けば参道脇に鶏がいて、さらには末社脇の石燈籠ではネコが昼寝をしていた。神池ではカメがお約束のように甲羅干しをしていて、鯉が泳ぐ。なんとも長閑な神社であった。
改めて社務所に行けば巫女さんがいたので、朱印をお願いする。朱印を待つている時間も、長閑すぎて、暑い最中であるのに心が涼やかであった。

15時に八幡をあとにして駅前に戻る。徒歩5分の距離なのですぐさまに駅に戻れる。改めてこの先の行動を考える。このまま帰路についても良いが、相模川対岸には相模一之宮「寒川神社」が鎮座している。ちょうど3年前に訪れている神社であれど、3年前の私の知識では納得のいかない点が多すぎた。サイト的にも再掲載したかったし、再訪問をしようかと思う。

茅ヶ崎で相模線にのりかえて「宮山駅」で下車。駅から500メートルほど南にあるけば、寒川神社に到着。



寒川神社 (延喜式内名神大社・相模国一の宮・国幣中社)
<神奈川県高座郡寒川町宮山鎮座・>

祭神
寒川比古命・寒川比女命(寒川大明神と総称・相模国の開拓神)
中近世期には八幡神・素戔嗚尊・大己貴命・菊理媛命・沢女神の諸説が生じた

由緒
創始は明かではないが、1500年前の雄略天皇のころにはすでに著名であったという。延喜式では相模国唯一の名神大社とされ、相模国一の宮として崇敬。
中世期以降、源氏、北条氏、武田氏、小田原北条氏、徳川氏の歴代東国為政者によって篤く信仰されてきた。
明治社格では国幣中社列格。現在は神社本庁別表神社。
現在の社殿群は平成9年10月に造営されたもの。

寒川神社
寒川神社
寒川神社
寒川神社正面
寒川神社
楼門
寒川神社
楼門
寒川神社
楼門
寒川神社
拝殿
寒川神社
拝殿
寒川神社
社殿遠望
寒川神社 左:末社 宮山神社

鎮座地は寒川町宮山。最寄り駅名も宮山。
詳細不明ながら宮山神社は、土地神か?

寒川神社着は15時50分。ほどよく夕方になろうかという時間であれど夏の日差しはまだまだ強烈であった。私の記憶もまだ定かであり3年前とおなじ雰囲気と感覚でもって参拝する。さすがにそうそう変わるものではない。すがしがしい境内で、神の住まう社も新しく、心も一新させる。古い社殿に歴史的おもむきを濃厚に感じるのがすきな私も、端整で新鮮新築な社殿も良いものだな、とあらためて認識。

16時30分ごろに、改めて帰路につく。帰り道、もう寄るところもないし、寄る元気もないのであとはゆっくりと家路に着くだけ。


参考文献
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・神奈川県

各神社境内案内看板・由緒書き等。


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