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「郷土の鎮守様〜下総国の総社散歩」

<平成23年12月参拝記載>

国府神社
六社神社跡地
六社神社




googleマップ


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下総国の総社散歩。朝7時過ぎに国府台駅に到着して散歩開始。今回は下総国の総社へと。
約5キロ、1時間30分の散歩。

まずは国府台駅からスタート。今回はGPSロガーで記録しながらの散歩。上記の地図はロガーのデータを落としたものです。
和洋女子大の道を折り返しているのは曲がる道を間違えて折り返したからゆえ。

国府台公園のなかに総社跡。須和田に遷座した六社神社。線が濃くなっているのは滞留時間が長いことの現れですね。



「国府神社」<市川市国府台鎮座>

御祭神:日本武尊

景行天皇の皇子、日本武尊が下総の賊を平定しこの台地に陣を張った。そして武蔵国に向かおうとするとくに下総と武蔵の間には多くの河川がデルタ地帯を形成し渡るのに難儀してしまった。
この時、一羽のコウノトリが現れ尊の前にかしこまり道案内を名乗り、日本武尊一行はコウノトリの後についてなんなく武蔵国にたどり着くことが出来た。
尊はコウノトリの功績を褒め、下総の台地をコウノトリに与えることにした。このことからこの大地を「鴻之台(こうのだい)」と呼称されたとも伝承される。
実際には下総国付がおかれた台地であるから国府台と呼称されたことにはじまる。

当社は鴻之台伝承に基づき、御祭神を日本武尊、そしてコウノトリのクチバシとし、寛治元年(1087)に創建。
一時は「鳳凰大明神」とも呼称されていたが、下総国府に建てられた神社であることから国府神社と称された。


国府台駅から総社跡に向かう途中に鎮座。駅からゆっくり歩いて10分ぐらいの場所。
江戸川を見下ろす台地に鎮座。なるほど対岸が武蔵国です。

この台地から北上して、いよいよ国府の台地を目指す。



「下総総社跡(六社神社跡)<市川市国府台鎮座>

下総国国府は市川市国府台にあり現在の野球場付近にあったと推定されている。

下総総社(六所神社)は明治19年に当地が軍用地となったために須和田に遷座。のちの発掘調査では神社の遺構はなかったものの六所神社を区画していた溝跡が発見されている。また千葉商科大学内にはこの溝と共に参道跡も見つかっていることから初期の境内地は府中の範囲にあたり。、国衙の北東に設置されていたとされている。


いまでこそ大学が集中している界隈がかつての下総府中。歩いてみただけでも水っぽいこの界隈で安定した地盤があることがわかる。府中の台地の北西には北条里見合戦で有名な国府台城もあるが、今回は時間が無いので割愛。純粋に総社の跡をたどる散歩。

国府台公園の中。体育館と野球場に挟まれた空間に総社跡の碑があった。
昇りたての朝日につつまれる境内跡地。
下総国一の宮は香取神宮。そして総社はこの地にあった。東西に細長い下総国としては国府国庁は西端においておくのが便利であったことは想像に難くない。そのなかでもこの台地が古来より魅力的であり交通の要衝を担っていたであろう場所。
付近を歩いてみて実感できた。



「六社神社」<市川市須和田鎮座>

御祭神:大己貴尊・伊弉諾尊・素盞嗚尊・大宮売尊・布留之御魂・彦火瓊々杵尊

創建は景行天皇の時代とされている。
景行天皇の詔勅によって6神を祭礼した宮として国府台府中の六所の森に鎮座。
下総国総社として祭礼が行われてきた。
昭和19年に境内が陸軍軍用地として接収され、当地に遷座。


総社跡の国府台公園から東に歩む。この国府台が台地であることは東に歩けばすぐに低地となり一気に下に降りる道へと連なっていたことからも体感できた。地図を見れば台地の南端。
そのまま高低差を気にせずに東に進んでいく。遷座先はそんな低地にあった。

境内は晩秋の気配。イチョウが色づき銀杏が落ちる。黄色に包まれる中で境内を一巡。さほどには大きくなく村鎮守。
かつては下総国総社の格を誇っていた社であるが、いまではそんなことは関係ないといわんばかり。そうであってもなんとなく趣を感じさせるものがあった。





参考文献等
各神社境内の案内板等

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