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「銀座八丁神社めぐり」の神社


オータム銀座2011の一環として11/3から11/6の4日間で「銀座八丁神社めぐり」が開催された。

せっかくなので専用の「集印帳」を片手にまわってみる。

所要時間はゆっくりまわっても約2時間程度。

ちなみに先着2000名限定で毎年「干支の土鈴」が頒布されています。




銀座周辺の神社地図(中央区の神社 google地図より)



1.幸稲荷神社 (銀座1-5鎮座。並木通り1丁目)

京都の伏見稲荷神社から勧請。江戸期から銀座一丁目の護り神。その昔、太刀の市がたったことから太刀売稲荷とも呼称。
縁結びの御利益があるとされている。




2.銀座稲荷神社  (銀座2-6鎮座。銀座トレシャス。銀座ガス灯通り1階。)

銀座のおいなりさんとして崇敬されている。火防・盗難除・商売繁盛の信仰あり。
関東大震災後、越後屋が預かり普段は越後屋ビル屋上に鎮座。公開期間中のみ1階にてお披露目されている。


越後屋さんの脇に特設

普段は屋上に鎮座しているのをこの期間のみ特別公開



3.龍光不動尊  (銀座3-6鎮座。松屋銀座屋上。)

鎌倉期につくられた高野山龍光院の不動明王御尊像を昭和4年5月に銀座松屋が念持仏として安置。
龍光が流行に通じるとしてファッションにご利益があるといわれている。


松屋銀座屋上に鎮座

松屋銀座屋上に鎮座



4.朝日稲荷神社  (銀座3-8-10鎮座。大広朝日ビル一階に遥拝所。屋上に本殿。)

倉稲魂命

創建年代不詳。
古来より銀座鎮座の稲荷神社。安政の大地震により社殿倒壊し三十間堀川に埋もれ沈み、以来社地荒廃のまま大正期に至る。関東大震災により三十間堀川の川底が隆起し埋もれたる御神璽あらわれ町内崇敬者神威をかしこみ、旧社地に社殿再建。昭和20年4月空襲により社殿焼失。昭和39年に境内を整備。昭和60年に現在の朝日ビルを建設し屋上にに安置された。商売繁盛、家内安全の神。


地上の拝殿。

ビルの一階。

ビルを見上げる

こちらは屋上の本殿



5.銀座出世地蔵尊  (銀座4-6鎮座。銀座三越9階。)

銀座三越屋上に鎮座。明治のはじめ三十間堀より出世した当時の地元鳶職が銀座の空き地に安置したことに始まったとされる。
銀座三越が新築をした際に屋上に遷座。

銀座三越の三囲神社

宇迦之御魂命を祀る。三越前身の三井家守護神として三越本支店の屋上に祀られている。ご本社は向島言問橋近くに鎮座。(こちら


三越9階のテラス

地蔵尊と三囲神社が並んでいます



6.宝童稲荷神社  (銀座4-3鎮座。和光並木館裏。)

江戸期に名主弥左衛門が子育て祈願の分祠として建立といわれている。縁結びや子育てに御利益あり。


整備された小道

馴染んでいました



7.あづま稲荷神社  (銀座5-9鎮座。あづま通り。)

戦後メインストリートして発展してきたあづま通り付近で火災が相次ぎかつて稲荷が祀られていたことが判明。そこで町内で伏見稲荷講中をつくり「あづま稲荷」と命名し伏見稲荷大社より分霊、氏神山王日枝神社に神職により現在地に鎮座。
火伏せ・盗難の神として信仰されている。


あづま通りに面して。

道行く人の参拝多し。



8.護稲荷神社  (銀座6-10鎮座。銀座松坂屋屋上。)

文化12年、伏見稲荷大社より勧請。根岸に奉安されたという。豊川稲荷大明神神像を奉じ祀る。火伏せの神として大正12年の関東大震災、
年後の日暮里大火から町内をまもった。
昭和4年、日枝神社宮司の手により松屋銀座屋上に遷座。今日に至る。


松坂屋の屋上。

ただしいデパートの屋上といった景観

隅の方に鎮座

綺麗に整った境内



9.成功稲荷神社  (銀座7-5鎮座。資生堂本社ビル。平成23年現在、建て替え工事中。)

昭和二年に資生堂初代社長が豊川稲荷から勧請。商売繁盛、事業成功に御利益ありとされる。


建設工事中でした。平成25年8月に完了予定。

ご覧の状況でした。



10.豊岩稲荷神社  (銀座7-8-14鎮座。銀座すずらん通り路地。)

宇気母智神(うけもちのかみ)

創建年代不詳。明智光秀の家臣であった安田作兵衛により当地にお祀りされたと伝承。
江戸期より火伏せの神、縁結びの神として信仰をあつめる。


幟がなければ気が付きません。

ビルの谷間に鎮座。

氏子さんの手入れが手厚く行われている気配

ここはなかなかの穴場です



そのほか

八官神社  (銀座8-4鎮座。単立神社。)

由緒由来不明。


ビルの1階に鎮座。芝大神宮のポスターが貼ってありました。



宝珠稲荷神社  (銀座3丁目鎮座。単立神社。)

1615年頃に三河国深溝領主の板倉内膳匠重昌の江戸屋敷神として勧請。板倉重昌は京都所司代、江戸町奉行を歴任した板倉勝重の次男。島原の乱で追討軍令として指揮をとるも戦死。重昌の兄であった周防守重宗が屋敷を引き継ぎ、のちに板倉家から津和野の亀井家に譲渡される。
大正7年に屋敷地は岡山の岡崎家に売却されるも神社敷地は町内に寄進され1950年に境内地を整備。こんにちに至る。



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