「讃岐高松・金刀比羅詣で その2」
<平成16年12月参拝>
目次
その1・田村神社
その2・金刀比羅宮
11時4分。琴電琴平駅到着。駅を降り立てば、象頭山が横たわり、大鳥居が私を迎えてくれる。いよいよだな、という気配に気が焦る。
11時10分。門前町をぬければ、石段がはじまる。予想以上に狭い参道石段に、一歩を踏み出し、金比羅へと駆け登っていく。狭い中でも、店棚が並び活気のある石段は、なかなか興味深いものがある。
「金刀比羅宮」(国幣中社)
<香川県多度郡琴平町・朱印>
祭神
本座:大物主神
相殿:崇徳天皇
由緒
創立年代は不詳ながら地方を代表する古社。
往古は大物主神を祀り「琴平神社」と称された。中古は本地垂迹の影響を受けて「金比羅大権現」として崇敬。永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀し、明治維新後に神仏分離。明治7年に宮号を許され「金刀比羅宮」となり「国幣中社」列格。
琴平山(象頭山)の地は瀬戸内海の海水が奧深くまで湾入していた地であり、大物主神は琴平山に行宮を設け西日本を統治されたといわれている。その行宮跡に大物大神を祀ったのが当社という。<日本神社総覧>
一説に大宝元年(701)に一竿旗が空中から飛び来てこの地に墜ちたとされ、祠をたてて旗宮と呼称したともいう。<神社辞典>
長保3年(1001)に藤原秋時が勅を奉じて社殿を建立し、神社としての体裁を整えたとされる。
崇徳天皇(崇徳上皇)は保元の乱後に故あって讃岐に配流され、長寛元年(1163)に当社を参詣。没後の永万元年(1165)に相殿に合祀。
金比羅は薬師十二神将の一つである般若守護十六善神の一つであり仏法の守護神。神仏習合信仰として琴平山には松尾寺や称名寺や滝寺などの寺院が鎮座していた。
天正12年に四国を制覇した長宗我部元親が松尾寺に仁王門を建立。江戸初期に松平頼重が新たに仁王門を寄進してから、元親寄進の門は金毘羅社の二天門(現在の賢木門)となっている。
江戸期には金比羅信仰は爆発的に流行。
明治4年に国幣小社に列格。明治18年に国幣中社に昇格。
本殿
明治11年に改築。御本宮には大物主神と崇徳天皇を祀る。
御別宮・三穂津姫神社
大物主神の后神たる三穂津姫神を祀る。明治9年造営。
末社・旭社
天保8年(1837)に竣工された天保建築の雄。国の重要文化財指定。江戸期の金比羅権現時代の金堂にあたる建物。
摂社・白峰神社
第七十五代崇徳天皇と、天皇の御母待賢門院の二柱を御祭神として祀る。
奥宮・厳魂神社(いづたまじんじゃ)
俗に「奥社」される。祭神は厳魂彦命(当宮の別当であった大僧正金剛坊宥盛)。古くは現在の絵馬堂付近に鎮座していたとされるが、明治38年12月に現在地に遷座された。
大門
大門から先が金刀比羅宮の境内。創建は慶安二年とされ、讃岐国の初代藩主松平頼重が奉納。
楼上にかかげられた「琴平山」の三字の額は有栖川宮熾人親王殿下の御筆。
書院
金刀比羅宮の表書院・奧書院は金比羅権現時代の客殿建物。内部絵画は円山応挙の筆であり建物及び絵画は国の重要文化財指定。万治二年江戸時代初期の建物で、四国で最大の書院造り建物とされる。
高燈篭
琴平街道の最着地を印す燈篭で、高さ27.6Mの建物。慶応元年建立。当時瀬戸内海を航行する船の目印のために建立されたものという。
高燈篭 |
大鳥居と象頭山 |
ここから金刀比羅宮への石段がはじまる |
大門を仰ぐ |
大門<石段365段> |
大門内参道 |
書院下の鳥居 |
表書院・奧書院の特別公開 |
旭社<石段629段> |
上:奧書院が125年ぶりに一般公開。
狙っていたわけではないが、巡り合わせの不思議さ。
左:重厚な建築を誇る旭社。 |
賢木門 |
本宮の直下石段 |
本宮拝殿<石段785段> |
拝殿 |
拝殿横姿 |
本宮と回廊 |
本宮本殿 |
本宮「金刀比羅宮」と別宮「三穂津神社」は
社殿を回廊で結ばれている
本宮の脇奧の禁足地には
睦魂神社<大物主神荒御魂>が鎮座 |
三穂津神社 |
三穂津神社横姿 |
絵馬殿 |
睦魂神社<大物主荒御魂神> |
白峰神社<石段951段> |
白峰神社 |
奥宮にいたる参道 |
奥宮<1368段> |
奥宮拝殿と崇徳上皇御参籠旧跡である威徳巖 |
本殿。右側は山肌の崖 |
威徳巖には天狗面が彫られている |
奥宮から讃岐富士をのぞむ |
11時10分に登り始めて、11時17分に「大門」到達。ハイペースな私は足に自信があるので、ズンズンと登っていく。
11時23分。書院入口に到達。書院見物は帰りにすることにして、まずは一目散に本社を目指す。
11時27分。旭社に到達。神社建築らしからぬ迫力は、もともと寺院として建立されたもの。その神仏習合の象徴を迎えて、さすがに私も足を止めて、息を整えて参拝する。
11時35分。ようやくに本宮拝殿前に到着。琴電琴平駅からは約30分の道のり。健脚な私ゆえのスピードであり、一般的にはもっと時間がかかるだろう。何れにせよ本宮拝殿に到着。ゆっくりと参拝して、回廊を眺めて、別宮を参拝して、展望台から讃岐富士を楽しみ、札所で琴平独自の紺紫袴な巫女さんを見物して、いろいろぼーっとして体勢を整える。
11時55分。奥社への道のりを踏み出す。
12時ちょうど、白峰神社に到着。讃岐国で没した崇徳上皇を祀る神社。京都白峰神宮と同じく御霊を慰める社である。
12時10分。奥社・厳魂神社に到着。一般的な所要時間は本宮から20分の所を、どうやら15分で駆け上がったようである。何を急いでいるかは知らないが、やはり琴電の帰り時間を考えると、いろいろ慌ただしい行動をとらざるを得ない。
改めて、拝して、天狗を眺めて、讃岐富士を遠望して、深呼吸。札所で「厳魂神社」の朱印を頂戴して、心落ち着けて、琴平の空気を吸い込む。整備されているとはいえ、ここまで登ってくれば感慨もひとしお。
本宮に改めて戻ったのが12時35分。降りる方が時間がかかっているが、時間的目途がついたためにゆっくりと歩んだため。
その足で書院に戻ってきたのが12時50分。素通りした書院見聞。表書院と奧書院。なかでも奧書院は125年ぶりの一般公開というから、その緊張感は格別なものである。円山応挙の絵画を愛で、楽しむ。もっとも私には絵画鑑賞の趣味はないのだが、それでも迫力を感じる襖絵の数々に魅了され、建築美を味わう。
13時25分。最初の石段スタート地点に戻ってくる。11時10分のスタートからみると2時間15分で巡ったことになる。なかなか密度の濃い行動力。さすがに私も疲れたので、昼食の讃岐うどん屋をハシゴなどしたりする。
14時12分。琴電琴平駅から高松方面にむけて電車が出発する。どうやら時間的にこの時間帯で帰路につかないと帰れないらしい。そんなところが慌ただしくて、嫌になるが、そんな旅を計画したのだから致し方がない。
15時6分。瓦町到着。琴電志度線に乗り換えて15時22分発車。琴電志度駅到着が15時54分。志度線沿線はなかなか風光明媚な土地。屋島の山を楽しみ、瀬戸内の浪打際を楽しみつつの琴電志度線。
16時2分。すっかり夕方の志度駅からJR高徳線の振り子特急にのりこんで、一番前車両の一番前座席(JR琴平駅で指定券予約したら一番前を確保)で、右に左に振り子振り子で振られつつ、特急気動車の迫力を楽しむ。
そんなこんなで徳島駅到着が16時53分。さすがに日も落ちつつあり、もう私も素直に帰宅に向かうのみ。我ながら呆れる所存。高松から琴平を詣でて、慌てて徳島へ向かうという理不尽な行動で東京に帰るだけ。
神社は二社のみだけれども、密度が高い一日。そんな旅も時々は良いのかも知れない。日常を急激な勢いで脱却して、そしてまた日常に帰るという変わり身。それにしてもで、神社紀行はいつもいつも慌ただしいのだ。
参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
角川地名大辞典
日本「神社」総覧(新人物往来社)
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