「信仰の島。女神宿る竹生島へ」
<平成17年5月参拝・5月記載>
目次
「竹生島へ」「都久夫須麻神社」「宝厳寺」
「竹生島へ」
京都に行く用事があったが、私は近江が気にかかっていた。かつて、近江の神社はいろいろと巡ってきたがそれでも行きたいところはまだまだ豊富。
そんななかでも「島」に行きたかった。琵琶湖に浮かぶ竹生島しまには寺院と神社。それだけがある島。まさに古来いらい信仰のための島であった。
東京から夜行列車「ムーンライトながら」号に乗り込んで、大垣。そこから東海道を乗り継ぐのはもはや定番ともなり面白くもなければ新鮮さもない。ただ、島に向かうという、その心意気だけは早駆けをしていて、島に行く以外の計画は皆無でもあった。
米原で乗りかえて長浜に向かう。長浜の港から船が出る。第一便は0900。充分すぎる時間のゆとりはあったが、それでも長浜の街を散策するほどのゆとりはない。素直に待合室で佇むのみ。
船は高速船。波を切り開き、一直線に北上する。穏やかなる琵琶湖はそこが湖であることを忘れるぐらいに水がひろがり、そして空が青い。贅沢な湖面の上をすべるようにすすむ船。そして甲板で太陽の光を目一杯に受けて、空の色と湖の色をただ一人で満喫する。十人ぐらいの乗客は、みんな客室内。さすがに船甲板に出っぱなしというストイックな奴もいない。そもそもご年配な方しかいない。私のような若造が一人寂しく島に行くのも珍しいのだろう。
それでも。どう思われようとも。そこに神社が鎮座し、信仰を集めている。名だたる神社が島にある。そして僻地なわけでもなく船にさえのれば到達できる。私は「竹生島」にいかねばならなかったのだ。
長浜港 0900
今日の竹生島行きの第一便
島までは約30分 |
眩しい日差しと、湖面の色、空の色。 |
ぼんやりと竹生島が見えてきた。後方には賤ヶ岳も。 |
竹生島 |
右に神社。中央は寺院。 |
信仰の島。 |
徐々に近づく島はひょうたん型。二つの峰が浮かぶ。島の後方には賤ヶ岳。そんな景観が徐々に近づく。
ゆっくりと確実に。私は島に赴いていた。なんとなく待っていた。行く予感はあったが、まさかこうもはやくに行くことになるとは思っていなかった。
「なんとなく行きたい」が実現するのが実に慌ただしく、私の行動力に呆れつつも、こんな時は満足する。
9時30分。船は約30分で到着する。
島の港は一カ所。この港に各方面から来る船が接岸する。港からあがれば土産物店が数点。その前に「入口」があり、そこで入島料400円を払うシステム。
いわば関所。鳥居をまっすぐに進めば「寺院」。このあたりが神仏習合。この島では寺院と神社をわける意味は全くないのだ。そして鳥居の右側に「神社」。もちろん私は真っ先に神社に向かう。右に折れる。そのほかの上陸者の多くは西国霊場巡礼者のようであり寺院を目指す。
左上に「重文・宝厳寺観音堂唐門」をみあげ、そして船廊下をみあげる。そこまでは寺院の持ち物らしい。そのまますすまば神社の横姿をとらえる。西から歩いてきたので、神社は湖面に向かって南面しているのだ。
朝一番の参拝者となった私。このまま戻る時間までこの場所に佇んでいてもよかった。ゆっくりと参拝し、そして国宝社殿を堪能する。歴史の息吹が漂うふすま絵は、琵琶湖の島にあるのが贅沢すぎるようでもあり、一番ふさわしいような気もしてくる。
「都久夫須麻神社」(式内社・県社・つくぶすま神社・竹生島神社)
<滋賀県東浅井郡びわ町早崎鎮座(竹生島)・朱印>
祭神
市杵島比売命(弁才天・宗像大神)
宇賀神(龍神)
浅井比売命
琵琶湖の竹生島に鎮座。
竹生島は1400u、周囲2キロの孤島。最高点は標高198m。
伊吹山の神<多々美比古神>が浅井岡の神<浅井比売命>と山のたけくらべをした際に、浅井の岡が一夜にして高さを増したことに怒った多々美比古神が浅井比売命の首を切り放ち、その首が琵琶湖に落ちて竹生島になったとも、浅井比売命は竹生島に逃げたとも伝説されている。
また大己貴命と久延産命が龍神に命じて国土を五つの神杭に結んだとされるのが竹生島ともいう。
創建は雄略天皇3年。
延喜式では小社列格の古社。湖中に浮かぶ島は古くから信仰の聖なる島として女神を祭ってきた。
中世期には近江比叡山の影響を受け神仏習合がすすむ。本地を弁才天として「厳島」「江ノ島」と並んで日本三大弁才天の一つと称される。
明治社格では県社列格。
現存の社殿は豊臣秀頼寄進で国宝指定。
都久夫須麻神社本殿<国宝>・・・慶長年間(1596−1615)の伏見城日暮御殿を豊臣秀頼が移築し神社建築としたもの。桃山期の建造物として貴重。
竹生島には旧神宮寺の宝厳寺と都久夫須麻神社が鎮座している。
「神社紀行」ではあれど、神仏習合の島。寺院にふれないわけにもいかない。それが信仰の姿なのだから。
「宝厳寺」
真言宗宝山寺派厳金山宝厳寺。俗に竹生島観音。西国札所第三十番。
神亀元年に聖武天皇の勅命によって行基が開基。弁才天をまつったことにはじまるという。
平安期には都久夫須麻神社の神宮寺として弁才天は本地仏としてまつられ宝厳寺が機能。
宝厳寺はいくたびが焼失し、戦国期にも戦火に見舞われた。
慶長八年、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として伏見城の遺構を竹生島に移築。
宝厳寺観音堂唐門<国宝>
宝厳寺観音堂<国重要文化財>・・・豊臣秀頼が秀吉の遺命によって豊国廟から移築。
宝厳寺観音堂船廊下<国重要文化財>・・・宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社を結ぶ約30Mの渡り廊下。豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用したとされる。
宝厳寺弁天堂は明治の神仏分離によって都久夫須麻神社の本殿とされ分離。宝厳寺内に新たに弁天堂が設けられている。
竹生島参道 |
奧に宝厳寺本堂(弁才天堂) |
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すすめば都久夫須麻神社へ。
左上は宝厳寺観音堂唐門。 |
国宝「都久夫須麻神社」本殿 |
国宝「都久夫須麻神社」本殿 |
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南面する本殿の先。琵琶湖の湖面に向けて
竜神拝所が鎮まる。
こちらで朱印も頂戴できます
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竜神拝所から「かわら投げ」 |
竜神拝所から琵琶湖面をながめる |
放生会斎庭の神域 |
放生会斎庭の神域 |
国宝「宝厳寺唐門」 |
国宝「宝厳寺唐門」 |
国重要文化財「船廊下」
宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社を結ぶ
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重要文化財「船廊下」 |
国重要文化財「船廊下」 |
「船廊下」をぬけると「都久夫須麻神社」につきあたる |
宝厳寺本堂<弁才天堂> |
国重要文化財「宝厳寺五重石塔」 |
都久夫須麻神社を堪能する。朱印を頂戴し、本殿昇殿拝観をする。しずかにぼーっと本殿彫刻と襖絵を眺める。
島には80分間の滞在。折り返し時間は10時50分。時間は存分にあった。
神社を詣で、湖面をながめ、寺院に足を運び、そして湖面をながめて、神社にもどって、神社でやすらぐ。
もしかして、私は贅沢すぎるのかもしれない。充実の時間をすごす。朝一便ということもあり、島にいる人の絶対数もすくない。
そんななかで、神宿る信仰の島で、雑念を抱きつつ、無心を志しつつ、ただひたすらに都久夫須麻神社と向き合う私。
やっぱり贅沢なひととき。神社詣での醍醐味でもあった。
竹生島の港。
右端が神社。中央が宝厳寺観音堂。中央上が宝厳寺本堂。
左は宝厳寺本坊。 |
さらば竹生島。
次ぎ来る日まで。
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そろそろ帰らねばならない。
竹生島。
予想通りに、そして期待以上に、美しい島であった。この神社と寺院しかない、まさに信仰の孤島は、美しく貴賓をただよわせて、静かな琵琶湖に身をゆだねていた。
そんなに遠い場所でもない。
また、来たい。また訪れるだろう。
いつまでも。島が見えなくなるまで、高速船の甲板から、見つめ続ける私がいた。
参考文献
案内看板、由緒書き等。
神社辞典・東京堂出版
角川日本地名大辞典・25滋賀県
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