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                  「秩父の古社「その5」・秩父鉄道沿線めぐり 
 
<平成17年5月> 
 
                   
「武野上神社」「下野上神社」「金崎神社」「末野神社」「玉淀水天宮」 
 
 
なにげに秩父鉄道の沿線が好きだ。そして、このサイトでも秩父を扱うページは5ページ目だったりする。そんなわけで秩父鉄道沿線の古社。今回は郷土鎮守社が沿線のメイン。由緒も由来もわからない神社もあるが御了承下さい。 
 
 
「武野上神社」       
(埼玉県秩父郡長瀞町本野上鎮座) 
 
御祭神:罔象女神(ミズハノメ神)他5柱 
                   
もとは「丹生明神」と呼称。 
中世期に本野上の普光山総持寺の開山である法灯国師が高野山から丹生明神を勧請したとされる。 
明治の神仏分離までは「丹生明神社」であり丹党野上三郎が祀った氏神であるともされる。 
丹党白鳥氏の流れくむ野上三郎は白鳥基政の子である白鳥政広の子である白鳥政経のこと。政経が野上を治め、野上三郎を名乗ったことにはじまる。 
 
明治42年に近隣4社を合祀し「武野上神社」と改称。境内には樹齢800年以上のケヤキ木が8本そびえる 
現在は宝登山神社の管轄社。 
                  
  
    
        
      武野上神社社叢 | 
        
      正面 | 
     
    
        
      拝殿 | 
        
      本殿脇のケヤキの神木 | 
     
    
        
      オオカミ様 | 
        
      オオカミ様 | 
     
    
 
秩父鉄道野上駅の400メートルほど西側に鎮座。付近はのどかな田畑住宅地帯。 
ケヤキの大木に囲まれるように社殿が鎮座。正面鳥居には狛犬がいて、拝殿前にはオオカミがいた。社殿のすぐ脇にケヤキの御神木が生えている。開放的な社地空間と、鬱蒼とした境内空間のバランスに神々しい気配を感じる。 
 
                   
「下野上神社」       
(埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷鎮座) 
 
祭神:タカオカミ神(貴船様) 
 
由緒由来は不明。長瀞町野上下郷宮沢地区の鎮守。江戸期にはすでに崇敬されていた。 
現在は宝登山神社の管轄社。 
秩父鉄道野上駅から約1.2キロ北上。社殿地のすぐ前を秩父鉄道が走る。そして後方は荒川が流れており、河川丘陵の高台に位置している。 
境内には古風な岩積の石碑もある。そして時々、電車がかすめていく。そんなのんびりとした場所。 
由緒も由来も不明ながらに、ぼーっと佇むには居心地の良い空間。私は秩父鉄道を撮るためにこのあたりを歩いて来て、この神社まで到達したら野上駅に戻ろうと思っていた。 
 
 
「金崎神社」       
(埼玉県皆野町金崎鎮座) 
 
祭神:知知夫彦命 
 
付近には金崎古墳群があり、知知夫国造が居住し、古墳群は国造埋葬地であるともされている。 
知知夫彦命が崇神天皇期に知知夫国造として開拓。近くには大銀杏の古木がある国神塚があり知知夫彦命の墳墓ともされている。 
 
古来、現在地よりも東方に野栗三社権現(800年以上前の創建という)をまつった社があったが明治維新に社名を地名の「金崎神社」に改称。 
旧鎮座地の社中山は地滑り地帯にあり、社殿が老朽化したので、これを奥社として、現在地の八坂神社跡地に新社殿を建立。 
祭神を知知夫彦命以下23柱を奉斎。 
  
    
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      金崎神社 
      社地隣も古墳あり。後方の山麓にも古墳あり | 
     
    
 
上長瀞駅の600メートル西側に鎮座。付近には荒川ライン下り乗り場などもあり、観光客行楽客などで賑賑しい。 
駅から西に進めば山に近づく。付近には金崎古墳群もあり、古くからの開発地であることをうかがい知ることが出来る。神社は山を背にしており、古墳に隣接もしている。知知夫国造にもゆかりのありそうな地域と、その鎮守。良く整備された境内は、崇敬の篤さを感じさせてくれた。 
 
 
 
「末野神社」       
(埼玉県大里郡寄居町末野鎮座) 
                   
鎮座地の「末野」は須恵器を生産した野であったという。付近山麓には埼玉三大窯跡のひとつである奈良期の「末野窯跡群」もある。 
また、荒川扇状地の行き詰まりの地であるという地形意味での末野ともされる。 
 
末野町内には鉢形城の出城である藤田氏の花園城もあった。 
 
末野神社の由緒由来は不明であるが、末野地域の鎮守であることは間違いないだろう。 
 
 
近くには「西行戻り橋」伝承もある。 
道行く子供に西行が「どこへ行く」と問いかけると子供は「冬ぼきの夏枯草を刈に行く」と返答し、西行は「冬ぼきの夏枯草」(麦)が何のことかわからずに困ってしまう。 
また娘が橋のたもとで絹を織っているのにみとれて西行は絹が欲しくなり「その絹を売るのか」と尋ねたところ、娘に「ウルカとは、川の瀬にすむ鮎のはらわた」と禅問答のように返答されてしまい西行は、「秩父路では少年少女も難しい歌をたやすく作る、自分は恥ずかしい」といって、この橋から引き返してしまったという。 
  
    
        
      西行戻り橋 
      唄の修行のために秩父に訪れる途中の西行が 
      寄居町末野のこの橋で来た道を戻ってしまったという由来 | 
        
      末野神社 
       
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      末野神社拝殿 | 
        
      本殿 | 
     
    
        
      拝殿彫刻 | 
        
      ちなみに社地の脇は秩父鉄道線路。 | 
     
  
 
秩父鉄道波久礼駅から約700メートル南の線路沿い。 
由緒も由来もわからなかった。ただ秩父鉄道乗車中に、神社が鎮座していることが眼に止まり、そして曲線区間でもあったので「電車を撮るのによさそうだ」と思って訪問。 
道行く途中に伝承ではされど「西行戻り橋」があることに驚きを感じ、神社拝殿の彫刻にしばしみとれてしまう。 
SLが来るまでのんびりと休息をさせてもらい、境内脇から撮影したりする。 
                   
 
 
「玉淀水天宮」       
(埼玉県大里郡寄居町寄居鎮座) 
 
昭和6年に当地が「玉淀」(県指定名勝)と命名された際に、神社建立の話がもだされ、建立地を探したところ川面に石の宮があるのが発見された。地元の漁師が水神として祀っていた水神様を基としてのちに水天宮が建立。 
埼玉県内の大祭である「玉淀水天宮祭り」が有名(8月第一土曜日) 
秩父ではない。しかし寄居駅のほどちかくであるから「秩父鉄道」としては許容範囲。 
実際は東武東上線玉淀駅の南300メートル。寄居駅からだと600メートル南東の荒川沿いに鎮座。対岸は鉢形の地。 
神社としては新しいほうではあるが、埼玉県内、東武東上線沿線では「水天宮の花火」が有名。そんなわけで東武東上線沿線住民としては、水天宮の存在がなんとなく気になっていたのだ。 
境内は荒川に面しており、なるほど「水の神様」だな、という気配。こじんまりと整っていて好感触であった。 
 
参考 
各神社由緒案内等 
角川日本地名大辞典・埼玉県 
 
 
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