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「東武東上線越生線の古社詣で」

<平成16年10月>

箭弓稲荷神社」/「出雲伊波比神社

東武東上線沿線でアクセスしやすい神社。いくつかあるが古社名社のたぐいになると選択肢もかぎられてくる。
川越付近に多数があるが、川越を除くとなると、今回の二社を私は取りあげたいと思う。
そんなわけで東上線、そして越生線沿線の名社として二社を掲載。
もともとは平成13年に参拝していた神社ゆえに、3年ぶりの再訪ともいう。カメラを新しくしたということで、いろいろと撮影に行きたい年頃なのだ。きっと。


「箭弓稲荷神社」<県社・別表神社・朱印>     
(埼玉県東松山市箭弓町鎮座)
前回掲載はこちら

御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ/保食神うけもちのかみ)
豊受比売神(とようけひめのかみ)

創建は和銅五年と伝えられ、規模の雄大さと社殿の壮大さは、関東に比なき稲荷大社と称せられ、里人の信仰の的になっていた。
68代後一条天皇の長元元年(1028年)下総国の城主、前上総介平忠常が、下総で反乱を起こし、安房・上総・下総を手中に収め、大軍を率いて破竹の勢いで武蔵国に押し寄せてきた。
長元3年秋、平忠常討伐を命ぜられた冷泉院の判官代甲斐守源頼信(多田満仲の子、頼光の弟)は、武蔵国比企郡松山の野久ヶ原に本陣を張り、当社にもうでた際に敵退治の願書を呈し、一夜祈願をしたという。その晩、白羽の矢のような形をした白雲が起こって敵陣地に飛んでいった。(一説には白狐に乗った神が弓矢を授けた夢を見たともいわれる=稲荷だから?)
源頼信は、これこそ神のお告げと感じ取り、ただちに兵を起こして敵陣に攻め込んだ。平忠常の軍は不意をつかれて敗北し、ついには壊滅してしまった。源頼信は勝利凱旋の際に立派な社殿を再築し「箭弓稲荷大明神」と、以後の社名は箭弓稲荷と称せられ、信仰をあつめたといわれている。
現在の社殿は享保3年(1718年)領主、島田弾正が四方の信徒と図って建築したものであるといわれている。本殿は正面5.43メートル、奥行5.15メートルあり、屋根は切妻単層三重垂木の銅葺でできている。本殿には幾多の彫刻が施されており、また本殿内部は日光廟を模した感じであるという。
また境内には「ボタン園」があり、関東随一の名園ともいわれている。

箭弓稲荷神社
社頭前
箭弓稲荷神社
社殿前
箭弓稲荷神社
境内風景
箭弓稲荷神社
拝殿
箭弓稲荷神社
拝殿
箭弓稲荷神社
拝殿本殿
箭弓稲荷神社
本殿
箭弓稲荷神社
境内末社・彌栄神社(団十郎稲荷)

東武東上線の沿線で駅からほど近い名社古社となると、まず当社が私の中では一番最初に思い浮かんだ神社。
3年ぶりの再訪ではあるが、神社知識がなかった三年前と比べるとやはり新鮮な心持ち。


「出雲伊波比神社」<郷社>     
(武蔵国入間郡延喜式内社・埼玉県内最古の神社建築・国重要文化財)
前回掲載はこちら

御祭神
大名牟遅神(おおなむちのかみ)
天穂日命(あめのほひのみこと)
品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと他16柱

出雲を中心として国土経営・農事・産業・文化を興され、全ての災いを取り除かれたオオナムヂ神、天孫のために出雲の国土を移譲する国譲りに奔走し、オオナムヂ神が杵築宮(出雲大社)に入られたのち、そのみたまをいわい祀る司祭となられたアメノホヒ命(アマテラスの御子)の二柱を主祭神とした神社である。
古くは出雲臣(いずもおみ)が祭祀する社であったという。景行天皇53年(123年)に倭建命(ヤマトタケル命)が東征凱旋の際に、景行天皇から賜った「比々羅木鉾(ひひらぎのほこ)」を神体として侍臣である武日命(タケヒ命=大伴武日)に命じて社殿を創建し、東北に向けて鎮座させたという。今も本殿内で鉾の先を東北にむけているという。
当社は宝亀3年(772)12月の太政官府に朝廷の奉幣が絶えたのを怒り雷神を率いて入間郡の正倉を焼いたとされている神社で、中世に活躍する毛呂氏や越生氏が祭祀した神社だろうとされる。
本殿建築は流造一間社で屋根は桧皮葺形式、大永8年(享禄元年=1528年)9月15日に毛呂三河守藤原朝臣顕重が再建したもので、埼玉県内最古の室町期の神社建築であり、棟札二面とともに国指定重要文化財である。
中世期には茂呂(毛呂)明神、飛来明神、八幡宮とも称されていた。ちなみに八幡宮は源頼義父子が当社を参詣後に凱旋し、八幡宮を相殿にまつったことに始まり、明治期まで二社併立していた。明治4年に八幡宮その他を合祀し明治6年に郷社列格。
 当社は、埼玉県内で「流鏑馬」(11月3日)が唯一毎年奉納される神社でもある。

出雲伊波比神社
東毛呂駅側の入口
出雲伊波比神社
正面
出雲伊波比神社
拝殿
出雲伊波比神社
社殿と馬場。左側の通路が流鏑馬馬場
出雲伊波比神社
社殿
出雲伊波比神社
本殿

東武越生線沿線で隨一の名社。延喜式内論社であり、国重要文化財社殿は埼玉県最古とされる神社建築物。
当社も三年ぶりの再訪。三年という月日は短いようであり、まざまざと記憶がよみがえる。ここ3年間での神社知識の蓄積が濃縮される。社殿をめぐりながら、そんな月日を思いおこす私は夕暮れのなかに身を置いていた。


参考
各神社由緒案内等

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