「銚子電鉄沿線の古社」
<平成18年3月参拝・11月参拝他>
一年以上、更新もせずに放置したままの記事も多い。もういろいろ忘れているので、写真メイン掲載です。
「渡海神社」(3月)/「川口神社」(3月)/「銚港神社」(11月)/「浅間・愛宕神社」(12月)
「銚子愛宕町ノ愛宕神社」(12月)/「大杉神社」(12月)
「渡海神社」<銚子市高神西町鎮座・とかい神社・旧郷社>
祭神:綿津見大神(わだつみのおおかみ)
祭神:猿田彦大神
犬吠埼の南端に鎮座。
創祀は和銅二年(709)とも大同年間とも言う古社。東海鎮護と銚子半島の鎮めとして創建。当初は銚子漁業発祥の地である外川浦日和山に創始されたという。
貞元元年(979年・1674年(延宝2)に遷座)に現在地に遷座。
明治6年に郷社列格。当時は高神村の氏神。
当社の社叢は極相林として千葉県指定の天然記念物として保護されている。
東庄町の東大社と小見川町の豊玉姫神社、海上町の雷神社の三社が銚子外川浜に渡御したことから渡海神社と呼ばれ、現在では20年に一度行われる神幸祭の渡御前日の宿泊社となっている。
銚子電鉄外川駅から、西に約1キロ。
外川漁港を左にみながらのんびりと歩くと、鬱蒼とした重厚な緑におおわれた空間がある。その杜の奧に鎮座している神社。
境内は意外と細長い。参道は樹木によって暗いが、社殿に来れば、ねらい澄ましたかのように太陽が差し込む。
なかなか良い環境。
渡海神社から東の丘をのぼっていけば、そこに「地球が丸く見える丘」がある。その展望台は「愛宕山」という山の山頂。下総地区で隨一の高所とも言われている場所から四方八方を眺めるのも良いだろう。
「川口神社」<銚子市川口町鎮座・旧村社>
祭神:速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)
かつては川口明神・白紙大明神・白神明神と呼称。
創建年代は寛和2年(986)と伝承。飯貝根の川口山山上に鎮座し銚子港を見おろす高台の地。
かつて四日市場の長者の娘に延命姫と呼ばれる姫がいた。姫は陰陽師安倍晴明の妻となったが、容貌が醜く晴明は履き物を海岸に置いて隠れてしまった。姫はそれをみて晴明は死んだものと思いこみ海に身を投げて死んでしまったという。やがて姫の歯や櫛が川口に流れ着き土地の人がこれをあわれんで、この丘に埋め祠を建てて「白紙(歯櫛)明神」と名付けたという。
このために櫛や鏡を納めて祈願すれば美しくなり、当社の「白粉」をつけるとアザがきえると信仰されてきた。
当社はその立地条件から漁師の崇敬を受け多くの鮮魚が奉納されてきた。
明治3年に白紙明神から現在の社名「川口神社」とし、明治12年に村社列格。
銚子電鉄本銚子駅の北東約1キロ。笠上黒生駅からだと北に1.5キロぐらい。そんなに遠くなさそうだけど、意外とアップダウンがあって歩くとつかれる。すなおに銚子駅前から川口方面のバスに乗るのが賢いのだろう。
私は大真面目に歩いたけれども。
神社は北面。利根川の河口に面した高台に鎮座。もはや利根川でも太平洋でも大差ないぐらいの環境下。
参道だけで100メートルほどあり、そしてほどよい高さの丘をのぼるとそこに社殿があるという、極めて理想的な神社。そんな環境が心地よい空間なのだ。
「銚港神社」 <旧郷社・千葉県銚子市馬場町鎮座>
祭神
闇淤加美神(くらおかみのかみ)
相殿神
級津彦神(しなつひこのかみ)
級津姫神(しなつひめのかみ)
明治2年までは龍蔵権現と呼称。利根川を眼下に見おろす高台に鎮座。
創建年代は応永2年(1395)とも、奈良時代ともいわれている。
銚子発祥の祖神。歴代の領主の祈願社として崇敬。銚子の産土様。
龍蔵権現と称していた頃の御神体は板東三十三箇所第二十七番霊場の円福寺本堂にあるという。
明治2年に現在の社名に変更。明治16年8月に郷社列格。昭和20年には県社昇格の内意をうけていたが、昭和20年7月の銚子空襲によって戦災消失。
現在の社殿は昭和33年に復興。社殿正面の書は当時の総理大臣吉田茂が揮毫。
銚子電鉄観音駅から北に300メートル。駅名物のたこやきやたいやきを片手に歩くのが良いだろう。途中には円福寺があり、そして神社の隣には飯沼観音がある。現在では観音のほうが有名。
観音のとなりゆえに、少々息苦しい境内。ひときわ目立つ吉田茂揮毫の「銚港神社」の文字に風格を感じる。そこはさすがに銚子隨一の産土神。
「浅間・愛宕神社」<銚子市後飯町鎮座・>
愛宕・浅間・天神社
浅間神社・木花乃佐久夜毘売命
愛宕神社・火産霊命(カグツチ神)
天神社・菅原道真公
由緒由来等は不明
飯沼観音の裏手に鎮座し「浅間神社」は、地元では「浅間様」と呼称。
銚子電鉄・本銚子駅から2西に向かうとすぐ右手の丘陵上に鎮座。電車からでもその社叢をうかがうことが出来る。丘の上からは利根川の河口が遠望できる。
銚子電鉄の走る音を耳にしながら、ゆったりと参拝。
祈願することはただひとつ。
銚子電鉄、そして銚子の健やかなる毎日。いつまでも銚電がある風景を祈願しつつ。
ゆっくりと利根川を眺めつつ、銚子の風を身にうける。
「愛宕神社」<銚子市愛宕町鎮座>
愛宕神社・火産霊命
由緒由来等は不明。明治42年に銚港神社に合祀される。その後。愛宕神社は浅間神社に祀られる。
東京芝の愛宕神社から御分霊し昭和59年に現在の地に奉斎。
銚子電鉄本銚子駅の南西側すぐ。位置的には浅間愛宕神社の南の高台陰に鎮座している。
愛宕町の愛宕神社。あたりまえの地名だけど、いままで愛宕さんはよその地に合祀されていたために、昭和59年に勧進しなおしたらしい。
「銚子外川ノ大杉神社」<銚子市外川鎮座>
由緒由来不明。
境内には源俊頼歌碑があるも、銚子との関係は不明。
外川漁港は、紀州和歌山から移住してきた崎山治郎右衛門により、1658年(万治元年)築港。銚子漁業発祥地である外川港開祖として記念する石碑も建っている。
銚子電鉄外川駅より南に300メートル。海の気配を濃厚に感じる場所に鎮座。
本殿は小祠ではあるが、境内地は樹木に覆われ、規模としては広め。小さいながらも、とてもよい佇まいを感じる。
参考文献・サイト
案内看板、由緒書き等
角川日本地名大辞典・千葉県
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