「靖國神社を想う・平成14年8月15日編」
またこの日がやってきた。どうしても今回は文章を書く気になれない。私ははっきりいって「熱意」を消失している。ネット上で、さまざまにうごめいていることがある。本来の意図するところとは別の「興味本位的」な「つまらない」ことが横行している。
本来、この8月15日という「大切な節目」を、私は「歴史を知る者」として接している。私は靖國の遺族でもないし、靖國に親族もいない。だからこそ、客観的立場でもってあの社頭の前で、先人たちが立ち向かった栄光と国難に想いを抱きつつ、「国の靖らかなること」を感謝するために靖國神社を参拝するだけである。
もちろん、人それぞれに「やしろ」に願うこと、拝することの意味は違うだろう。ただ、私は信じていた。この日、この時に、靖國で社頭の対面を行うという行為を大切に思っている人たちの深層心理は同じ所、それは「国の靖らかなることを感謝する祈り」に繋がっているはずであると・・・。
どうしても文章を書く気がしない。気力がない。それはネット上での巨大掲示板サイトでのイベント的「お祭りさわぎ」が私の気力を殺いでしまったからかもしれない。
以下、散発的に出来事を記したいと思う。
* 午前9時。思ったほど人は多くなかった。冷静に考えれば小泉騒ぎの「平成13年」が異常なだけだったかもしれない。
* 午前10時15分。ちょっとは人も増え始める。私はもうバカバカしいほどに疲れたので「靖國会館」で麦茶を頂きつつ休む。これ以降の外の様子は一切わからない。
* 午前11時前後。11時に大村益二郎像前に集合予定としていた同志が、私の責任(!)で「靖國会館」集合となってしまう。つまり私はもう外に出る気がしない。暑さと倦怠感とばかばかしさで「8月15日」を意識の外へと追いやってしまっていた。
9時頃の靖国通り
国旗はわかりにくいけど半旗 |
9時30分頃の第三鳥居付近
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9時30分頃の拝殿前 |
9時30分頃の拝殿前 |
10時頃の神門前
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10時頃の「国民集会」今回は「集会」参加せず
靖國会館でお茶を飲みつつ休んでました(苦笑) |
* 靖國会館。なにか不思議な光景を見かける。それはセーラー服の女子高生であった。まちがいなく女子高生であった。ところがいつの間にか「女子高生」が尋常でない姿となっていた。頭には「必勝はちまき」。そして上は「セーラー服」であったが、下は戦時中によく見かけた「もんぺ姿」となっていた。そして、そのままどこかに行ってしまった・・・。
その場にいた同志諸君共々、目を疑う。「足はあったか!」と皆で半信半疑の中で彼女という存在を疑う。しかし確かに皆で見ていた。間違いなく実在のモノであった。
「8月15日」の産物なのだろうか。間違いなく戦時中に「やしろ」に祀られた兄に会いに来た女学生か。もしくは竹槍で武裝した内地女学生の姿、そのものであった。
男性の兵隊コスプレ(!)は何度も見るが、女性の戦時コスプレ(!)は初めてみた。本当になんだったんだろう。
* 午前11時30分過ぎ、。いつまでも「靖國会館」でお茶を飲んでいる場合でもない。これでは個々にいる意味が全くない。同志ともどもに「拝殿前」に向かう。拝殿前は雑踏としていた。去年は拝殿前を見ていないので(国民集会テントにいた)、その壮絶さは見ていない。ただ去年は12時の時点で神門の外まで行列が繋がっていたと聞き、それに比べれば今年は「去年の半分以下」であるという。
警備員と警察(麹町署管内)の意志の疎通が上手くいっていない。警備員は「左に進んでくださーい」と第三鳥居前で誘導し、警察は「列をつくって押さずに」「列をそれて左にはみ出さないでください」と、人波を食い止める。どうにも意志の疎通が上手くいっていないようだと觀察している私はというと「第三鳥居」の内側左の柱に寄りかかりつつ、見物。
どこにいようがやることはひとつ。12時に合わせて「默祷」。ただそれだけのことである。
11時50分頃の拝殿前 |
12時。默祷・・・。 |
* 12時をすぎ、默祷をすますと人の波が活発になる。あとはどうしよう。せっかくだから参集所奧の到着殿に行く。
* 去年はひたすらに「アーサヒは帰れ!」のコールがまきおこった場所。今年はというと「帰れコール」よりも「ヤジ」がすさまじい。そのヤジも普通ではない。普通の「右的な定番ヤジ」ではない。異様なヤジであった。本物の「右翼の人」は、「なんだ、アレは」「あいつらは何者だ」と、その異様なヤジに違う匂いをかぎ取ったようであったが、それは私も同じ事。あからさまに「違う人種」を中心とした作為的な「一方的応酬」がはじまる。それを私は「リアルタイム2ちゃんねる」と呼びたい・・・。
* 一部、再現をしてみよう。
「アサヒさーん。もう充分撮影したでしょう。邪魔です。帰ってください。」
「アサヒさーん。アサヒさんのせいで、見えませーん。座ってくださーい。」「アサヒさーん、見えませんよ。国民の知る権利を剥奪するんですかあ。アサヒさんのせいで、私たちは知ることができませーん。だからアサヒは邪魔です。帰ってくださーい。」
「国民の声を無視し背を向けるマスコミ!」
「テレ朝の社員が婦女暴行をやった件についてどう思いますかあ? テレ朝社員の婦女暴行は、公式ですかあー 私的ですかあー」
「朝鮮日報、略してアサヒー!!」
「アサヒは反省しる!」「2ちゃんねらーだ!」
2ちゃんねるが私の目の前でリアルタイムとなっている。おもしろいけど、とりあえず疲れてくる・・・。
とりあえず、朝日の悪口を言いたい放題、といったところ。
あまりにも激しい「アサヒ」ヤジに警官も業を煮やして「静かにしてください!!」いうと、「靖国の英霊に挨拶したら了解してくれたぞー!」・・・。
しまいには、警備側から「みなさん、お気持ちは分かりますが、あまり騒がないで下さい」と。そうか、気持ちはわかるか(笑)
別に「ヤジ」レポートが書きたいわけではない(笑)
12時半過ぎ。この観衆も、マスコミも、そして受難の朝日もひたすらに「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」で、待っていた瞬間がやってくる。それは「石原慎太郎東京都知事」。とりあえず「バンザーイ!」「バンザーイ!」「石原らあ〜!!野中に負けるなよお〜!」「石原〜〜! 総理になれよお〜!」
で、石原都知事の昇殿参拝がおわり、マスゴミのくだらない質問が応酬されているとき、観衆は最高潮にたっし「いーしっはら!! いーしっはら!!」の大石原コール。
石原都知事が帰ったあとは例の如く「アサヒは帰れ!!」が続くだけであった・・・。
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左:国民の声に背中を向けるマスコミ(笑)
左下:石原コールのなか苦心してめくらで撮った
石原慎太郎東京都知事
下:アップです |
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* 完全にマスゴミが「2ちゃんねらー」を中心としたネット勢力に完敗した瞬間を垣間見る。別に私は「2ちゃんねらー」ではない。私が2ちゃん風「8月15日まつり」に便乗しているわけではないことは、このコンテンツを見てくれる賢明な読者はわかってくれているだろう。
マスゴミが、アサヒとマイニチそしてサヨク集団が意図していた構図が「ネット勢力」によって、完全に屈服させられた瞬間であった。
なにやら、新しい動きが始まっている。私はこのような動きを、若干知りつつも、まさかこれほどのチカラを持つものとなるとは予見できなかった。
「2ちゃんねる」の躍進は心得ていた。しかしそこのエネルギーは実在、実像を伴わない空虚なものであると思っていた。しかしどうだろう。現実として確実にエネルギーを有していた。実体化した「ネット勢力」はどれだけのチカラを有しているかは、わからないが。聞けば、2ちゃん有志の靖国参拝企画は約200名もの人員を集めたという。
私は靖國に参拝していた。しかし意識は英霊に対してよりも「ネット世界」の動きに多くがそそがれていた。「靖國」とは別の問題を考える。今後ますます「ネット(2ちゃんねる)」と「マスコミ」に着目せざるを得ないだろう。私は気が付くのが遅すぎたようだった・・・。はたして、これが今の世論なのか。時代は動いているのだろうか。それはわからない。ただ、マスコミも必死であることはいわゆる「報道番組・ニュース風番組」を見ればわかる。15日の久米・筑紫ちゃんねるは、どうしようもなかった・・・。
* あとはもうどうでも良いこと。同志らと供に茶店で休んで解散。今回は「えせ病人」が居たために、きわめてシンプルな「後始末」となった。
* 夕方の地元の駅。思えば今日初めて「日本共産党」の演説を見かけた。そういえば靖國では一人も見かけなかったが、それはわたしが「活動」せずに、靖國神社の最深部である「靖國会館」でお茶などをのんでくつろいでいたからだろう。「靖國会館」で休息する奴は「靖國神社参拝者」のなかでも上級レベルで、さすがにここには「2ちゃんねらー」はいなかった。
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