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靖國神社を想う〜靖國と桜花〜


草稿版(まだまだ触れねばならないことがあるはずだが、現時点では力不足のため完全版ではなく草稿版とする)


 毎年、桜の開花する時期になると世の中はにわかに浮かれ始める。それは新年度への節目という意味合いもあるのだろう。桜のつぼみの中継から始まり、どこそこで開花宣言と繰り返される。「東京ではいつ頃咲くでしょう」と開花時期に世間が振り回される。
 桜を観賞する。桜は観賞されるために咲く。日本人と桜。そこに難しい関係を持ち込むのは邪道なのかも知れない。深い意味を鑑みても意味はないだろう。

 気象庁が各地域に「開花基準木」をもうけている。東京における染井吉野(ソメイヨシノ)の開花基準木は靖國神社境内に3本ある。そのうちの2本に数輪の花が咲くと、気象庁は「東京開花」を発表する。世間一般では「靖國の桜」は、この程度の認識なのかも知れない。各放送局もこの宣言を受けて報道することにはなっているが、あえて「上野恩賜公園」や「隅田川」を独自基準木としている放送局もある。それらの局では、たとえ靖國が桜の名所とされていようとも「靖國の桜」が映像として放送されることは決してない。(そこにはあからさまな作為すらも感じられるが。)

 靖國神社の桜は満開だった。靖國通りから國神社、千鳥ヶ淵から北の丸公園まで、あたり一帯は桜の木々におおわれ華やかな賑わいであった。例年30万人ほどの見物客が訪れるという。
 純白に覆われた境内を行く。空はあいにくの曇り空。しかし桜の白と雲の白。空を見上げれば雪のような空間が広がる。いまにも雨が降りそうな天候の中でも、人々は桜を楽しむ。思い思いに楽しむ。本来の感覚なら「花見」という行為に「靖國神社」という意識を持ち込むことが邪道なのかもしれない。この場にいる多くの人々は千鳥ヶ淵−北の丸公園−靖國神社と散策しながら桜見物をしていることは人の流れをみればわかる。それだけで充分である。改めて「神のやしろ」を意識する必要はない。
 桜散策を楽しむおばちゃんたちはいう。「せっかくだからお参りしていく?」と。私は参拝に来た。おばちゃんたちは桜見物に来た。この空気の違いが意識の違いである。すくなくとも今の靖國をとりまく空気は「桜見物」である。あえてこの空気に逆らう必要もない。このおばちゃんの行為こそが正当なのかも知れない。このような「お祭り」騒ぎのときは、難しいことを考えない方が良いのかも知れない。
 人が込み合う拝殿前で一般客に対しての嫌味の念も込め、ことさらに正統的な参拝を行う。そして拝殿前でいつもの通りに心の中で奉歌する。
 『海ゆかば、水漬くかばね、山ゆかば、草むすかばね、大君の、辺にこそ死なめ、かえりみはせじ』と。

 境内を散策する。靖國の純白の桜、そして靖國の純白の鳩。白鳩たちは桜の木々でくつろぐ。現在境内には染井吉野600本、山桜350本、寒桜・寒緋桜・四季桜・野中桜・枝垂桜・ウコン桜等50本の、合計1000本を越えるという。そして自然環境では1万羽に1羽しか生まれない白鳩を靖國神社では600羽飼育している。桜の木を見上げる。白く染まった木々のなかに白鳩が楽しむ。
 あまりの人の多さに閉口する。人の居ない方向へと歩んでいく。ふと、桜に名前がついていることを意識し始める。例えば「鉄兵の櫻」と札の付いた桜は「支那駐屯歩兵第一連隊戦友会」献木。「神雷桜・海軍神雷部隊戦友会」「海軍特別攻撃隊・第二〇一海軍航空隊・ラバウル海軍航空隊」、他にも幾多もの「献木札」のついた桜の木々を見かけ、そして私は必死になってそれらの献木桜を追いかける。
 忘れていたことがある。そして泣きたくなってくる。やはり靖國の桜は、一線を引かざるを得ない。この桜は間違いなく「花の都の靖國神社」と歌われた桜である。そして桜となって散り、桜となって会いに来た靖國神社である。そして戦友への想いを込めて献木された桜である。私は人生を桜のように考える処世観は好きではない。好きでないと言っても、桜のような人生を歩まざるを得なかった時代がある。それこそ、桜のように散らざるを得なかった時代がある。不可抗力であれども、時代のうねりの中でどうしようもないことがある。そのいかようにもしがたい想いを、桜に、靖國の桜に託し散っていく。『花の都の靖國神社、春の梢で咲いて会おう』と桜に想いを託し、そして託されたものはせめてもの想いを桜に託して「献木」する。
 人々は桜を観賞する。お祭りのように鑑賞する。たとえ桜を愛でている人々が「靖國神社」に関心を抱いていなくとも、これらの人々と同じように、この季節を待ち続け桜を愛でる戦友がいて、桜を愛でる御祭神たちがいる。この桜の咲き遊ぶ空間で、幾多の想いと共に再会する。
 「祭り」とは「祀り」でもある。桜を祭り、桜で祀る。多くの鑑賞客は神社を意識しておらずとも、靖國の桜で祭をすることで御祭神たちは喜んでくれるだろう。たとえ「桜」に意味があろうがなかろうが、人々が楽しみ生きるというそんな空間が御祭神たちの楽しみでもあるはずだから。
 この桜、一輪一輪に靖國の英霊の御霊(みたま)が乗り移り、後世の我々を見守っている。あの時、想いを歌ったように。私は改めて口ずさむ。『〜花の都の靖國神社、春の梢で咲いて会おう』と。

拝殿前
拝殿前
桜と白鳩
桜と白鳩
神門前
神門前
舞殿前
舞殿前
境内
境内
海軍神雷部隊戦友会献木「神雷桜」
海軍神雷部隊戦友会献木「神雷桜」


 私の親族に靖國の祭神はいない。ほとんどが内地で無事に生活を送り、また戦地に行ったものも無事に帰国している。しかし、私は靖國に参拝する。身内がいるわけではない。ましてや俗に言う「戦争を知らない世代の子ども」であり、20代という若輩である。本来なら、まったくえんもゆかりもない生活を送っているはずである。それで不自由しないはずである。ただ、私は歴史研究の道しるべとして「靖國神社」に接し、また神社信仰を探る過程からも靖國神社に接するようになっていた。
 それだけのことである。いつしか靖國が身近になった。僭越な気が起きるが、靖國に関して駄文を書くようになった。
 ふと「桜」を見物した際に、「桜と靖國」に触れなくてはいけないような気にさせられた。
 それだけのことである。なにも準備できず、またその知識もない。ゆえにこの駄文は「草稿版」とし、時がたったら「日本人と桜」ということも含めて話をふくらませたいと思う。その時が来るかはわからないが・・・。


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