靖國神社を想う ・平成13年8月15日篇
日本人にとって符号的意味を持つ日。
亜細亜、世界にとっても符号的意味を持つ日。
私たちは、この8月15日をいかに考えているか?
いかに考えるべきなのか?
朝8時過ぎ。帝都高速度交通営団「九段下」。コインロッカーにふと目が向くと、ビラが貼ってある。「…本日は使用禁止と致します」。どうも地下鉄側も不審物が置かれやしないかと戦々恐々、御心配な様子。さっそく今日一日の波乱を予想させてくれる。
この時間であっても、人の流れを感じる。すべての人の流れに方向があるように感じる。すべての人の流れが、導かれているような気がする。すべてが私と同じ目的でもって行動し、そして同じような使命感を持ってこの場に集っていることを実感し希望した上で、地上へとはい上がる。
靖國通りを右手にし、まず目にはいったのが「警官」。その数も予想以上に配備されており、今日一日の波乱を感じさせてくれる。沿道はさすがにまだ静かで活動している団体は見あたらない。
目の先に早速、ビラ配布者を発見する。遠目でうかがうと、残念ながら良く目にする団体の冊子本。あやしい耶蘇教の冊子を受け取るかどうかでためらいがあったが、とりあえず受け取ることにする。その冊子は「生命の光」。もうおわかりかと。ここには、甘い言葉が並んでいる。信条に「日本の精神的荒廃を嘆き、大和魂の振起を願う」などとあるのでうっかり右の団体かと思わせるものがあるが、耶蘇は耶蘇。宗教論をここで展開するつもりもないのでやめておくが、この耶蘇のグループが総計30人程度、靖國神社境内に展開されあちらこちらで冊子を配布しているようでさっそく気分を害す。
「空をつくよな大鳥居」と歌われる鳥居を仰ぐ。人通りが多く、警官が多い。私服から制服までとにかく警官が多い。異常なほど警官が多い。
私はその大鳥居の手前で立ち止まってしまった。作法では鳥居をくぐる前に身を清めねばならない。故に無意識に立ち止まってしまう。人の流れを阻害し、邪魔であることは承知している。しょうがないので、一礼をしてから鳥居をくぐる。
人通りは多く、人の流れも多いが、動きを止めている人間も多い。当然動きを止めている人間は、「参拝」に来た人間ではない。さすがにこの時間は活動家バスも上京バスも少ない。実は私は14日にも靖國神社に参拝していた。この時は夕方に行ったが地方各地からの大型バスで団体さんがひっきりなしのやってきて結構な騒ぎをかもし出していた。この14日ですら一般参拝客VSテレビ朝日というのがあった。といっても一般人がヤジを飛ばすのを朝日が堪え忍び、警官も黙殺するという静かなものであったが、15日ではきっと過激な激突があるだろう。
拝殿にむかう。神道式の祈念を行い、本日の役割をそうそうと終えてしまう。拝礼さえしてしまえばもはやすることはない。結局は「神社」であることには変わりない。ただそれが、日本国唯一の存在である特殊な役割を担わされ、そして騒がれているだけにすぎない。
あとはビラを貰ったり、騒ぎを待ったり、をするだけになる。しかし今年は過激なビラは全くなく、そちらの方は完全なる不作であった。しばらくフラフラとさまよい9時ぐらいに「第15回戦没者追悼中央国民集会」テント会場に腰を落ち着ける。開始予定は10時30分であったが、いかんせん人が多くそうそうと疲れたので、腰を落ち着ける。
9時をまわるころになると、地方からの団体バスも大量にやってきて混乱を極め、人間も大量に参拝にやってくる。右の車は駐車場の侵入が阻まれ周辺道路上に縦列駐車を余儀なくされる。一般人に、神社関係者に、式典関係者に、右に、そして左に、意味のないマスコミ連中があふれ始めるのが9時をまわり30分位過ぎたころだろうか。この時の私の感想は「日本も捨てたもんじゃない」というもの。この雑踏のどれだけが真の参拝者なのか難しいが、物見遊山者も多いだろう。ただ、拝殿前で手を合わしている人だけを鑑みてもその数には驚かされるものがある。
靖國大鳥居と半旗の日章旗。暗くてすいません。 |
愛国的絵画展=英霊に応える会主催 |
この程度なら、まだ少ない方。朝の9時頃。 |
不思議な垂れ幕。日蓮ってすばらしい(笑) |
12時30分頃の混雑。 |
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しかし、世の中何があるものかは分からない。何もないのかと想った瞬間、いずこかで騒ぎが始まる。私は、朝から何度も拝殿と大鳥居の間を往復しいい加減疲れていたので「国民集会」テントで休んでいた。なにやら道路が騒がしい。とにかくカメラだけを持って駆けつける。こういうときは本能的に行動するに限る。駆けつけてみても状況は分からない。ただ「街宣車」がなにやらスピーカーで騒いでいる。人の波を押し分け、野次馬をかき分け駆ける。どうにも「右」と「警官隊」が激突しているようだ。私は交差点の反対側から回り込んでみたが分からない。もういちど靖國側の歩道に迂回し、見晴らしの良いところを確保。落ち着いてあたりを見渡すと見えてきました、プラカードやらの一団が。なになに「不戦」「都知事閣僚へ!侵略を反省するなら靖國ではなくアジアへ」などと掲げて行進している一団。それをヤジる右に見物の野次馬。マスコミと警官隊と機動隊。入り乱れての大混乱がそこで展開されていた。
左の行進集団はいかにも弱々しく細々と歩いている。そこに食ってかかる「右」の戦闘団はさすがに威勢がよい。しかしもっと動きが良いのが警官隊で、早速人垣を築き、両者を引き離しにかかる。靖國通りの交差点はこの騒ぎで完全に閉鎖され、色とりどりの人で埋め尽くされる。早速機動隊指揮車が到着し、隊長が車上から号令をかける。「右!旋回!」「前へ進めえ!」「左!誘導」。さらには「交差点上に立ち止まるものはすべて撤去せよ!」と命令も激しくなり、そうこうしている間に「左」は靖國通りを無事?に横断し千鳥ヶ淵方面に警官隊の護衛付きで強制誘導。右もあれよあれよと押しのけられ、騒ぎは続くも鎮火へと向かう。時間を見ると10時15分。この騒ぎは30分は続いていたようであった。
抗争其の壱 |
抗争其の弐 |
抗争其の参 |
撮影ポイントに注目。
なぜか横ではなくて、斜め上方からの撮影
撮影場所は秘密(笑)
見ての通りに交差点が閉鎖されています。 |
私は急ぐ。こうしている間に「集会」が始まってしまっては元も子もない。席に戻りしばしすると予定に反して5分前の10時25分に式典は開始された。テント内を見渡してみても私と同世代の人間は居らず気後れするが、精神年齢と心構えは負けていないつもりで私も体勢を整える。これ以降、境内の様子は私には分からない。故に「第15回戦没者追悼中央国民集会」の様子をレポートすることにする。
まずは司会者である國學院大學教授大原康男氏の「開会の辞」で幕をひらく。「小泉総理の決断に敬意を表し」たうえでまずは「起立」をする。なぜなら続いては参列者全員による「国歌斉唱」。これには度肝を抜かれた。幾多の君が代の中でも私はこの会場以上の君が代を歌った事も聞いたこともなかった。魂がふるえ、ただ一生懸命に心を込めて歌う。君が代を二回繰り返す。
君が代は 千代に 八千代に さざれいしの 巌となりて 苔の 蒸すまで
君が代は 千代に 八千代に さざれいしの 巌となりて 苔の 蒸すまで
続いては「靖國神社拝礼」。難しいことはなく二拝二拍手一拝を行う。この間、道路上では先ほどの騒ぎの延長もあり、盛んに軍歌がながれているようで、境内には何ともいえない空間が完成しつつあった。
まだ「起立」のままで次に迎えるのは「終戦の詔書の玉音放送」。当時の録音テープをそのまま拝聴するという、なんともいえない瞬間を迎える。ところが、この瞬間にケータイ電話に入電する。「やばっ、不敬罪だ」ということで当然黙殺。頭を垂れて君が代を再度聴き 陛下の玉音放送を待つ。セミの声がこだまし、あの昭和20年8月15日という、まさにあの瞬間を私は迎える。そして心境を感じる。ただ緊張し、心がふるえる。 昭和天皇陛下の肉声を聞き、頭の中で状景が駆け抜ける。あの瞬間を経験したことはないが、気持だけは私も昭和20年8月15日を生きていた。あいかわらずいずこではバカなヤツらが騒いでいる。警官のピーっという笛の音がこだまする。この瞬間を心得ていない不届きものが…。
私は汗を拭うこともできず、手を動かすこともできず、こうべをひたすら下げたまま、 先帝陛下を想う。「玉音放送」が終了し再度「君が代」を拝聴したところでやっと着席。次はお約束の「主催者挨拶」。最初に「英霊に応える会」会長堀江正夫氏が挨拶する。以下、執筆者による部分要約意訳抜粋。
「…8月13日小泉総理が執拗な内外の圧力を断固として排除し、日本国の総理大臣としての自覚と信念を持って毅然として靖國神社に公式参拝いたしたことは、現下の日本にとって…246万有余の御霊もどんなにか喜んでことかと胸の積もる想いであります。」(盛大な拍手)
「…しかしこの参拝が…8月15日でなかったことは、期待が大きかっただけに我々にとって大きな失望でありますけれども(パラパラと拍手)当の総理自身にとってもさぞかし無念であったことであろうことは推測されるところであります。ただ我々としては16年間中断してきた総理の公式参拝に小泉総理が決然として終止符をうたれたことはあきらかに大きな前進であることはまちがいなく(拍手)したがってこの際はっきりとこれは評価すべきものではなかろうかと思っております(盛大な拍手)」
「残念ながら8月15日という総理の公約を(中国に対して)変更したことは今後の対中外交に依然として問題を残すものであり(パラパラと拍手)、小泉総理の聖域無き改革断行にも一抹の影を落とすものであり、…これ(支那の意見)を重用した政治家の大罪は万死に値すると(盛大な拍手)私は思っておると申し上げておきます(拍手喝采)」
「…実に憲法上の不義を唱え、あるいはいわゆるA級戦犯を問題とし、中韓両国の内政干渉を国際主張と主張する与野党の政治家や、これを煽るマスコミの主張はまさに外交・国益のなんたるかを知らない…(言語不明瞭)…洗脳され戦後半世紀以上すぎなお一歩も抜け出していないものいうことろでありまして、日本人として恥ずかしく、また残念であります。(拍手)」
以下総理の参拝に関する話、靖國に関する演説、戦犯に関する演説等々は中略。
「…それを(戦犯合祀)、外国に言われていまさらのように強調することがいかに歴史を無視し、バカにした愚かなことであるかはいわずもありません。(大拍手)さらにいつわりの国際協調に事寄せて、中韓両国に謝罪外交を繰り返し、その内済干渉を良しとしていることが独立国家として如何に問題のことであるか言うまでもないことであります(拍手)」
「…この際3つの点をこの席でお願いさせて頂きたいと思います。その第一は小泉総理には来年の8月15日はもとより、春秋の例大祭や戦後独立を勝ち取った4月28日といった日も視野に入れた参拝を続行することによってぜひとも 天皇陛下が御親拝するという(以下、大拍手にて言語不明。)運動を展開する必要があるということです。」
「第二は、本年10月のブッシュ米大統領の訪日の際に是非とも靖國神社に表敬参拝(以下、大拍手にて不明。)…内務省をはじめとする、これに反対する勢力に対するあらたな戦いをすぐに開始しなければならんということです(大拍手喝采)」
「三にはこの度表明された外国要人の参拝を求めるための慰霊碑の建設問題でありますがわれわれはこれに対しては断固たる反対をすることを…(大拍手喝采にて言語不明)」
「この新たな目的の達成はけっしてたやすいことではありません。…是非とも決意を新たにしてさらなる強力な運動を展開して、目的を成就達成をし、…御心に応えたいと心から思うものであります(拍手)」
というような感じで演説が行われた。この演説で場内はヒートアップ。勢いってこわいですよねえ。司会者の大原先生も「具体的なご提案を交えながらの熱烈のご挨拶でございました」と一言。さらに次の挨拶は「日本会議国会議員懇談会」会長代行衆議院議員中川昭一先生とのこと。盛大な拍手喝采。でも、プログラムでは次は「日本会議」副会長小堀桂一郎先生とある。どうも飛び入りで中川議員がやってきたようだが、熱くなりすぎたこの会場では、中川昭一議員と聞いただけで拍手喝采。もう司会の声なんか聞こえて来なかった。以下は同じく要約抜粋。
「…日本における国会議員は自らの信条とともに国民大多数の気持に対して、国政の場で仕事をさせていただいているつもりでございます。その気持とは国を愛し、そして国のために戦って頂いた英霊の皆さん、ここにいる皆様方のお父さんやお母さん、ご親族の皆様方、そういう皆様方のお気持ちを、我々は対して、国のために仕事をしていかなければなりません。であるとするならば、国会議員として少なくとも国を愛し、そしてこの立派な日本をさらに立派に少しでも努力をして、次の世代に渡していくことが、日本の国会議員の仕事であります…(拍手喝采により以下不明)一部国会議員は近隣諸国の言動に対し、おろおろとし一体どこの国会議員なのか…(拍手喝采により以下不明)」
「小泉純一郎内閣総理大臣、16年ぶりに靖國神社に内閣総理大臣として参拝をされました。いろいろ議論もあります。私もいろいろ思うところがあります。しかし、その16年ぶりの参拝を、内閣総理大臣小泉純一郎としての参拝の意義というものは、決して少なくない、と思うのであります。(拍手)さらに小泉純一郎総裁とともに英霊のお気持ち、国民の皆様のお気持ちをしっかりと受け止めて、我々国会議員は皆様方の代表として責任をもって国家の繁栄と、その日本を次の世代にしっかりと手渡して、内外の敵と戦っていくことを誓いたい…(拍手喝采)不当な圧力と断固戦うべく皆様方の圧倒的な力を我々にさらにご指導いただきさらに前進をしていくためにお力を下さい。我々は真剣に力を尽くして頑張っていくことをお誓いをいたしましてご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。(拍手大喝采)」
「…本当の国会議員の声を聞かせていただきました。」と司会の大原先生が述べているあいだも拍手は鳴りやまず、興奮のるつぼとなる。だんだんと司会者も熱が入ってきたところで「英霊を大切にしようと動きを重ねてきた」出席の国会議員の先生を紹介する。衆議院議員自由民主党中川昭一氏・平沢勝栄氏らに自由党でおなじみの西村氏他、拍手喝采でほかに誰を紹介しているかはわからないが、とにかく5〜6人は来てるらしい。
いよいよこの熱した会場をさますべく、私が一番聞きたかった「日本会議」副会長であり東京大学名誉教授小堀桂一郎先生のお話が次に始まる。私がテントの中に座っている3分の1は小堀先生の為であり、もう3分の1は「 陛下の玉音放送」、そして残りの3分の1が「英霊のみたま」のためであった。いままでとはひと味違う知的なお話が聞けるという予感のもとで私も膝を正し、耳を傾ける。小堀先生はさすがに「堀江さんがもう存分にいいたいことをおっしゃたので簡潔に話します」と遠慮気味に、だが品のある口調で、落ち着き払って口を開く。
「昭和62年の8月15日此の場所で第一回の戦没者追悼中央国民集会が催されたのではありますが、そのときから早くも15年の歳月が経過いたしまして、本年は第15回でございます。この昭和62年というのはさきほど司会の大原先生の方からもご指摘がありましたけれども、前年の昭和61年中国からの内政干渉に屈服いたしました内閣総理大臣が靖國神社公式参拝を中止してしまったという国辱的な事件の翌年にあたるのでございます。平和条約締結の昭和26年から昭和60年まで35年に渡って続いて参りました総理の春秋の例大祭やこの停戦記念日の靖國神社参拝という慣例が一外国政府の干渉によって中断に追い込まれてしまったというその事態を踏まえてのことでございます。この国辱的な状態が15年続いたのであり、この昭和61年の外交的な敗北があらわになりましたその年、 先帝陛下、 昭和天皇は、『この年の この日にもまた 靖國の みやしろのことに 憂いはふかし』との御製を詠まれましてその御心のうちを国民にひそかに漏らしていたのであります。御在世の最後の年でありました、昭和63年の停戦記念日には『やすらけき 世をいのびしも 意にはならず 悔しくもあるが きざしゆれど』との御製を賜っております。( 陛下の御製、私は音で聞いただけなのでこの通りかは不明。)私どもはこの 先帝陛下が最後のかすかな望みを託されました、御製によるきざしの開眼者たらんと、やたらけきぎょを祈るこの日の催しを続けて参りましたし、あるいはさらにこの英霊たちの『後に続くものを信ず』として逝かれた、その御霊の御遺志に応えて、まさに『後に続くことをお誓い申し上げる』この催しを続けてきたのであります。その念願の自然な帰結といたしまして内閣総理大臣による靖國公式参拝という行事の復活を願って参りましたし、公式参拝の復活を要望して参りましたし、またその日は 天皇陛下が武道館にて、今開催されているであろうと思います『全国戦没者追悼式』行事に行幸されるその8月15日当日が一番ふさわしいとも主張してきたのであります。残念ながら、小泉総理はこの日付にかかわる自らの誓いと国民への約束を守ることができませんでした。その破約にいたる政治的な動機であるとかいきさつについては説明がなされております。やがてはまたその心証というものが明らかになる日がやってくるとも思っております。ただ、一国民として見逃すことのできない問題が総理の靖國公式参拝を終えた後の談話にございます。ひとつは靖國神社参拝の心境を語るというその御霊への鎮魂の言葉よりも先に先の戦争への反省という言葉を口にしていることであります。これは英霊に捧げる言葉としてはあまりに非礼ではないかと思うのであります。(ここで初めて拍手)この反省という文脈は平成7年のまがまがしき村山談話の引き写しであり、さらにその自虐の度を強めたものであること。次にまたしても国立墓苑構想などをほのめかしていること。そしてこの靖國神社に参拝された直後において、神社をないがしろにするような構想を口にしていることであります。これは本当に私どもが注意しなければならないことであります。(拍手)しかしそれにもかかわらず、でありますが私どもはやはり、現在のこの総理大臣を支持し、そして秋の例大祭、来年の春の例大祭、そしてただいまも御言及がございましたけれども、本来の終戦記念日であります4月28日、来年はそれがまさに満50周年にあたっているわけでございますが、満50年の終戦の記念日にはぜひ、また靖國神社への公式参拝を連行していただきたい、そしてそのことが成就してこそ私どもも本来の念願でありました、 今上陛下の靖國神社御親拝への道をひらくことができる、ということを信じております。(拍手)そのためにはやはり私どもももちろん続けて参りますけれども、国民の皆様の御支持ということがなければ、到底考えられないことであります。どうぞ引き続いてたとえば本日のこの日の催しを通じて国民の皆様も私どもの運動へのかわらぬ御支持をお願いしたいのであります。どうもご静聴有り難うございました(盛大な拍手)」
思わず、小堀先生の演説を全文書いてしまいました。外野も静かで拝聴しやすく、物腰もさわやかで、熱弁ではない、まさに大学での講義を連想させるもの言いはまことに明瞭としていて前の2人の理解不能な言葉より(失礼。聞き取れなかった言葉)断然、良い話が聞けたと思う。「中曽根参拝中断以来の16年間の歴史を振り返られながら、…」とは大原先生の弁。その通りで、簡潔に状況が理解できた。
続いて「各界代表の提言」として3名が講演をする。一人目は台湾出身の評論家で拓殖大学客員教授の黄文雄先生。黄氏は正論8月号に論文を掲載しているので、そちらもごらんになると良いだろう。私にはもう講演内容を文章に直す根気がないので申し訳ないけれども、紹介だけにとどめる。二人目は元陸軍特別攻撃教官であった田形竹尾氏。三人目は陸軍士官学校60期生であったアサヒビール(株)名誉顧問中條高徳氏。三者とも熱弁を奮い、小堀先生が鎮定した熱気が再び上昇し、ボルテージも最高潮となる。実は私はこの間に某氏に呼び出されて会場不在だったりもするが…。大村益次郎像前に招集され某氏らと顔合わせをしていると「○ちゃんねるの方ですか」などと知らぬ奴から声をかけられる。「アホかこやつは…」と思いつつ黙殺。どうも○ちゃんねるのやからもこの場を集会場としていたらしい。まったく失敬な話だ。わたしは崇高な使命感をもってこの場に参拝しているというのに。
会場に戻る。プログラムでは次は「正午にあわせて黙祷」となるが、まだ時間がある。どうするのかと思っていると、まずはその他紹介がおこなわれる。さきほどの国会議員とは別に都議会議員の紹介が3名行われるが、あいにく私は埼玉県民なので知らない。続いてフランス人作家ボリビエ・ジュルマントマ氏のメッセージが伝えられる。あいにく私は存じ上げていないが…。なまじな日本人より日本を知っており、日本人より日本を考えているありがたいメッセージを拝聴する。この間はすべて大原先生の独壇場。大原先生は続いて閣僚18名のうち参拝された方を紹介する。「8月4日竹中経済財政大臣、11日塩川財務大臣、14日柳沢金融大臣、尾身沖縄北方大臣、15日午前中に中谷防衛大臣(大原先生は防衛大臣と発言、拍手)以後予定として片山総務大臣、平山経済産業大臣、村井国家公安委員長、17日には建部農水大臣が参拝される予定であります。その他には本日、綿貫衆議院議長、橋本元首相、堀内総務会長、そして(一呼吸おいて声をひそめるように)山崎幹事長(場内失笑がわき起こる)以上の方が参列なされております。」云々を言おうとして「失礼しました。扇大臣も参拝されているそうでございます。」愛国婦人会会長を忘れてはいけませんな。ここで盛大な拍手喝采が行われる。
続いて、恒例のこととして参加者団体有志の青年合唱団による「英霊に捧げる日本の歌」の合唱を拝聴する。恒例ならプログラムに記しておけばよいのに、そのような記載はなし。とにかく歌である。なにが流れるのか、大いに楽しみであった。
33名もいるらしい。合唱曲は「同期の桜」「ふるさと」「赤とんぼ」「富士の山」の四曲。なんともいえない味のある選曲。徐々にわき起こる手拍子とともに「同期の桜」の合唱が始まる。大まじめに奇妙奇天烈な空間。熱気というものは不思議なもので全くの違和感はなし。深々と「貴様と俺とは同期の桜…」が続く。そして「うさぎおいしかの山…」の「ふるさと」、「ゆうやけこやけの赤とんぼ…」の「赤とんぼ」、「頭を雲の上にだし…」の「富士の山」。こみ上げてくるものも多く、私は至福の時を過ごす。歌を拝聴しながらあの時代に想いをはせる。まだまだ考えるべき事は多かった。
大原先生はいう「突然のお願いで申し訳ありませんが、最後にもう一度『同期の桜』を歌っていただけませんでしょうか。皆様もご一緒に歌っていただければ幸いです。」ということで、拍手喝采。膝を正す。会場は手拍子と共に「同期の桜」の大合唱が始まる。もはや酒宴の席上の様相をかもし出してきた。
貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 みごとちりましょ 国のため
貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 血肉分けたる 中ではないが なぜか気が合うて 分かれられぬ
貴様と俺とは 同期の桜 離れ離れに 散ろうとも 花の都の 靖國神社 春の梢に 咲いて会おう
奇妙な空間であった。ご年輩の方々と一緒に歌ってしまう、若造の私。不謹慎なようで気も引ける。第一この席上で椅子に座っているのが不謹慎の極みのようにも思えるが…。
大原先生は「さぞ英霊もおよろこびのことでしょう」と発言してから、司会業を進める。続いて英霊の想いを偲ぶために「英霊の御言葉」のテープ朗読を拝聴する。失礼ながら、私もいささか疲れはじめ、へばってきていた。
バックミュージックのように沿道では街宣車からけたたましい曲が流れる。なにやら聞き知った曲も流れる。なにやらそちらも気になり始めてしまった。
これから、武道館待ちとなる。しばしの休息。武道館での黙祷と 陛下の御言葉を賜るための待ち時間。
鐘の音がなる。正午の時報の合図とともに、ラッパの音が鳴り響く。頭をたれ、戦没者に黙祷を捧げる。ただセミの音だけが規則的に鳴く。
陛下の御言葉を賜る。
「本日、戦没者を追悼し平和を祈念する日にあたり、全国戦没者追悼式に臨み、前の大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たに致します。終戦以来すでに56年。国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時を偲ぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に戦塵に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国のいっそうの発展を祈ります。」
謹んで 天皇陛下の御言葉を拝聴する。もうこれで私は満足であった。このためだけに私はここにいた。
この間も、沿道はやかましく、警官の吹く笛の音がやかましい。笛どころか警官隊のスピーカーがやかましい。またどこかで大規模な衝突が会ったらしいが、私は知らない。おそれおおくも 陛下の御言葉を賜っているときに、不敬な輩もいたものである。
あとは集会の声明文朗読が行われた。この声明文は大体堀江氏と小堀先生の話された内容に沿ったものであった。
最後に待っていたものがあった。プログラムには「海ゆかば」斉唱とある。おおっ、歌えるのかということで、膝を正す。「英霊の御霊」追悼の為、心を込めて歌う。追悼の想いが靖國の杜をこだまする。
海ゆかば 水漬くかばね 山ゆかば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ
海ゆかば 水漬くかばね 山ゆかば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ
熱い一日も終わりに向かう。歌いながら、魂がふるえ胸に想いがこみ上げる。感無量であった。この空間。日本もまだまだ未来は明るかった。憂国の志は熱く、人々の想いに伝わったであろう。
この集会には3000人もの人が集まったという。これだけの空間であった。そして8月15日にこれ以上の空間はなかったであろう。
さて、ここでまだ終わるわけではない。本来、私は靖國神社で行動を共にしなければならない同志がいたのだが、個人的に勝手に集会参列をしたため、彼等と合流しなければならなかった。先行部隊に電話連絡すると、まだ拝殿にたどり着かないとのこと。1時間も行列にまみれていたのかは不明だが、確かにテントをでてみるとひどい人手で、予想外に混乱の様子。私は拝殿に行く用事はないので、裏の到着殿に向かうことにする。なぜなら、さきほど「石原先生」が靖國神社に来るようです、と発表があった。それなら行かねばなるまい。どうせ小泉総理と同じ口から来るに決まっているということで、押し分けるように突き進む。
思った以上に時間がかかり、目的の場所はもう人垣しかなかった。これでは、来たのか、来ているのか、帰ったのかがわからない。しかし厳重警戒がしかれているようなので、まだ期待はできた。しばし、待つ。そんな中急に騒がしくなる。おおっ石原先生。しかし見えない。いや見えるのだけど、遠すぎる。とにかく、石原先生はマスコミカメラの前で、ニュースに写し出された「小泉批判発言」と公的私的の「バカなことをきくな」の一喝をいつもの調子で行った後、われわれ大衆に一礼をなさり、黒塗りの車に乗り込む。その車をSPが取り囲み、ゆっくりと立ち去る。私も立ち去って同志と合流しなければならなかった。ところがなにやら騒がしい。何かと思うと「アーサヒ帰れ!!」のコールが鳴り響く。どうやら売国奴の朝日がのうのうと我々の前に現れたらしい。よりによって「石原慎太郎先生」を出迎えに来た我々の真ん中にである。「帰れ!」コールは一段と激しくなったところで、ようやくこの到着殿、靖國会館前で本来の落ち合うべき同志と合流。
石原慎太郎都知事のお出迎え。 |
アップしてみると、こんな感じ。
わかるかなあ。 |
このあとは靖國を立ち去って、神保町で昼飯。五反田の海軍愛あふれるお店で食事会という流れ。あとのことは余事の些細なことばかり、私が語ることもないだろう。
ちなみに、靖國神社に参拝した人は12万5000人だったそうで、例年の5万人程度からすると約3倍というところらしいです。あっ、12万の中には参拝者以外の人間もいるか…。
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