「千葉八日市場の古社巡り」
<平成21年7月参拝 8月記載>
千葉県八日市場市。銚子に行く電車で途中下車して訪れてみる。そこに式内社があると最近知ったからゆえの途中下車。
武蔵国以外の調査が追いついておらず、ようやくの参拝といったところ。
八日市場駅に9時45分に到着。午前中を使っての散歩となる。
「八重垣神社」「老尾神社」「八日市場ノ浅間神社」「八日市場ノ東照宮」「八日市場ノ愛宕神社」「八日市場ノ星宮神社」
「八重垣神社」(旧村社・匝瑳市八日市場東本町鎮座)
朱印
祭神:素戔嗚尊・事代主命・倉稲魂
嵯峨天皇の弘仁2年(812)に物部朝臣匝瑳連足継公が鎮守府将軍としてこの地を廻り、祖神たる物部小事(もののべのおごと・物部匝瑳連の祖)直筆に係わる八雲の神詠を奉祀するために出雲の神を奉載し「牛頭天王社」として祀った事に始まるという。
正中2年(1314)、永徳元年(1381)に社殿を改修。享禄3年(1530)に社殿を改築し社名を「福岡明神」と改め神輿を新造して祇園祭を執行したのが、今日の「八日市場の祇園祭」の創始とされる。
慶長11年(1606)、元和10年(1624)、寛文6年(1666)と社殿の修改築が行われたが、寛文6年冬に失火により類焼。ご神体は別当寺見徳寺に移祭。
延宝3年(1675)仮宮建立。正徳5年(1715)に新社殿建立。
天保11年(1840)に俗称「按摩火事」によって町の大半を焼失。当神社も再度類焼し、ご神体は再び別当寺見徳寺に移祭。
明治維新のさなか、明治元年(1868)の神仏分離によって明治2年(1869)に社殿を造営し、明治5年に竣工。明治6年に村社に列格し「八重垣神社」と改称して今日に至っている。
参考:神社由緒書
八日市場の八重垣神社 |
神社正面 |
拝殿 |
拝殿向拝 |
本殿覆殿 |
本殿建築一部 |
駅前の大通りを北上する。しばらく歩くと左手にこんもりと杜がみえてくる。いかにもといった感じで神社が鎮座。
距離にして八日市場駅前から350メートルほどの場所。社殿は西面しているので大通りから向かおうとすると本殿に突き当たってしまう。
立派な彫刻が施された本殿を覆殿の隙間から垣間見る。拝殿向拝部も見事なものであった。この手の造形は見ていて飽きないものだ。
社頭では清掃活動が行われていた。ちょうど参拝したときは八日市場の祇園祭(参考・匝瑳市役所)を目前に控えており、それゆえの準備といったところか。
神社の右手に社務所があり、そこに「匝瑳」と名字が掲載されていた。珍しく私は事前学習をしており、次に赴く予定の「老尾神社」の代々宮司が匝瑳氏であると聞きかじっていたので、もしや兼務かなと想像してみる。ちょうど運の良い事に、社務所前を掃除されていたお人がいたのでお伺いしてみると、私の勘が当たり、宮司さんであった。お忙しいところを恐縮しながら「八重垣神社」と「老尾神社」の御朱印を頂戴する。ただし老尾神社に関しては社名表記のみで、印は八重垣神社と共通のものを頂戴したのだが。それにしても、貰えるとは思っていなかった御朱印を偶然のタイミングで戴けたので、かなり幸いがよい。
宮司さんが「このあと老尾神社に行かれますか?」といわれたが、私の目的地が「老尾神社」。力強く「はい、お伺いさせて頂きます」とご返答して八重垣神社をあとにした。
「老尾神社」(延喜式内社・旧郷社・匝瑳大明神・匝瑳郡総社・千葉県匝瑳市生尾鎮座)
(おうお神社・ろうび神社)
朱印
祭神:阿佐比古命(経津命(香取神)の御子神)
配祀:磐筒男命・磐筒女命・國常立命
一説に物部小事を祀るともいう。
創建年代は不詳。一説に崇神天皇7年とされる。
当社の祭神である阿佐彦命は香取神(経津命)の御子神であるという。香取神がこの地を平定した際に、御子阿佐彦命をこの地方に留めて守護神とならしめたとされる。
匝瑳郡の匝瑳一族は物部小事(もののべのおごと・5世紀〜6世紀に活躍した将軍・物部匝瑳連の祖・匝瑳国造の祖)の末裔とされており、物部小事が下総国を平定して匝瑳郡を建郡したと伝えられている。
正平24年(1369)社殿が炎上し宝物等ことごとく焼失。のちに領主千葉満胤らによって再興。千葉氏が衰えるとともに当社も衰退。
明治6年(1873)に郷社列格。
現在は上記の八重垣神社が兼務し、代々の匝瑳氏が宮司を務めている。
老尾神社 社号標 |
老尾神社参道 |
老尾神社 |
老尾神社 |
老尾神社 |
老尾神社 |
老尾神社本殿 |
老尾神社扁額 |
老尾神社本殿 |
老尾神社と大杉 |
老尾神社の大杉 |
老尾神社の大杉 |
10時30分ちょっと前。
八重垣神社から20分ほど歩いただろうか。八日市場駅からは約2キロ北西。
ちょうど匝瑳高校と道を挟んでの高台に鎮座している。あたりは鬱蒼とした樹木に覆われ、夏だというのに足を踏み入れるとあたりが涼しくなったような気がする。緑包まれる参道の両脇には小さな石祠が並んでおり、ついつい見入ってしまう。格別に珍しいタイプではない拝殿であれど、空間にマッチしており引き立っていた。本殿の古びた風格とその後方にそそり立つ大杉の迫力に圧倒され、私は夢中になって境内のあっちこっちをうろちょろとしてしまった。
かなり面白い。
気がつけば、30分ばかりをこの神社で過ごしていた。
それぐらいに、居心地の良い空間がここにあった。
「天神山ノ浅間神社・天満神社・弁財天」(匝瑳市八日市場イ鎮座)
由緒由来は不詳。
浅間神社参道 |
御幣が刺さっていました。崇敬者の篤さを感じ取れます。 |
山頂展望台より、匝瑳市八日市場地区を望む |
展望台より 右手奥に「老尾神社の杜」、左は「匝瑳高校」 |
天神山山頂の展望台 |
天神山ノ浅間神社 |
天神山ノ浅間神社 |
天神山ノ天満宮 |
天神山ノ天満宮 |
天神山下の弁天様 |
天神山下の弁天様 |
11時すぎ。
老尾神社のすぐ南側。県道16号線を挟んで、左に池があり弁天様が祀られていた。そして右手にも鳥居があり登ってみると「天満宮」とある。さらに丘の上を目指して登っていくと「浅間様」。
この丘を通称で「天神山」と呼称しており、中腹に「天神」こと「天満宮」があり、その頂上が「浅間神社」。気になる関係ではあれど、由緒由来はわからずじまい。山頂には見晴台があり、石祠が鎮座していた。
「八日市場東照宮」(千葉県匝瑳市八日市場イ鎮座)
祭神:徳川家康公
由緒
慶長19年(1614)正月。家康公は上総国東金で鷹狩りをしていたところ、愛鷹が空高く飛び去ってしまい行方しれずとなってしまった。そののち、八日市場の医王寺の松の梢に鷹が飛来するのを住僧が祈念をして保護し、家康公のもとに無事に鷹が戻った。この医王寺の松を「御鷹松」とと呼ぶようになったという。
寛永9年(1632)に医王寺が真言宗より天台宗に改宗した際に、天海僧正は松の由来を聞き、松の根本に東証大権現を勧請し天海僧正御真筆の御尊号掛軸をもってご神体とし、東照宮が祀られるようになったという。
天保11年(1840)に俗称「按摩火事」によって町の大半を焼失した祭に、当社も類焼。
明治2年(1869)の神仏分離によって東照宮として医王寺と切り離しを行い門前の社地に遷座。明治5年に神仏混淆廃止によって天海僧正の掛け軸は東栄寺所蔵となった。
平成3年に道路拡張に伴い現在地に遷座。あわせて「八日市場東照宮」と改称した。
天神山を降りて、10分ほど歩いただろうか。天神山の南に鎮座する東栄寺・福善寺の前を歩いて、駅前大通りのズン止まりのような所にくると、そこに東照宮が鎮座していた。道路拡張に伴い移転したという神社は道路に面して東面していた。そんなに大きくもなく、普通に町の鎮守様。
面白いと云えば八日市場に東照宮があるという事実が面白い。家康に関係がなさそうな土地であれど、こうして東照宮が祀られるべき由緒があったりすのが知らなかった歴史の発掘ともなり、興味深い事でもある。
「愛宕神社」(匝瑳市八日市場ロ鎮座)
祭神:国之常立神 ほか天地開闢の神々12柱
創建年代は不詳。
天保11年の大火の際にご神体であった「勝軍地蔵菩薩」が白馬に乗って石段を下り村への延焼をくい止めたと伝わっている。
当時は愛宕山大権現と呼称し、別当は持福寺。明治元年に神仏分離し、愛宕神社と改称。持福寺は廃寺となった。
現在の社殿は江戸後期嘉永二年(1849)再建を昭和59年に改修したものである。
愛宕神社入り口 |
参道石段 |
愛宕神社 |
愛宕神社 |
愛宕神社本殿 |
愛宕神社上から石段をのぞく |
東照宮をあとにした時間は11時25分。実はここで切り上げるかどうするかを迷っていた。かくいうのも、午後は銚子の方に用事があったためそろそろ切り上げないと用事に間に合わなくなってしまうからだ。
でもなかなか八日市場に来る用事はない。そう考えると折角なので神社詣でをもう少ししたい。
そんな欲望が勝ってしまい、足早に追加で参拝を続ける事になってしまった。
11時35分。
足早に歩く事10分で到着。八日市場敬愛高校の東脇から高台にあがる参道がある。息を切らしながら、結構な高さの参道を登っていくと、なかなか立派な社殿が目に入ってくる。由緒をみると嘉永二年(1849)の社殿とあり、歴史的な趣とともによい佇まいを感じる。
「星宮神社」(匝瑳市八日市場ハ鎮座)
祭神:天之御中主命
創建は建久3年(1192)とされる。領主千葉一族の崇敬をあつめ古くは「妙見宮」として慈眼院が別当寺を勤めるも、明治の神仏分離によって「星宮神社」と改称し、現在に至る。
現在の社殿は正徳4年(1714)再建を昭和58年に改修したものである。
星宮神社 |
星宮神社 |
星宮神社 |
星宮神社 |
脇の甲子神社 |
脇の甲子神社 |
11時45分。あいかわらずの足早。愛宕神社の道を挟んで反対側の高台に鎮座している。妙高信仰の星宮神社の奥にさらに石段が延びており甲子神社とある。両社の関係はよくわからないが、いずれにせよ好い佇まい。山の中の神社といったあんばい。
ここから駅まで一目散に戻り、そうして総武線にのりこんで用事のあった銚子に向かう。
ちょっとばたばたした八日市場の神社詣でであれど、老尾神社をはじめ見所の多く雰囲気の良い神社が多かったと感じた。。
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