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「武蔵の古社を想う・番外編」

ここでは、地域的に分類できず紀行が出来ない単発的な神社を掲載。

目次
国渭地祗神社
阿豆佐味天神社
八幡神社


「国渭地祇神社」     
(平成15年3月参拝・式内論社・村社・坂戸市森戸鎮座)

祭神:八千矛命他

 当社は高麗川の西岸、旧鎌倉街道に面して鎮座。創建はあきからでないが、古社であることは確認されている。もとは国で一番のやしろという意味で「国一熊野大権現」と称していた。創立には越生の本山派修験山本坊と結びついていた別当三宮山大徳院が関係していたものとされている。
 延暦年間には坂上田村麻呂が社殿を再営し、のちに奥州藤原秀衡が再建したと伝わっている。

国渭地祇神社
神社入口。奧は八幡社。
国渭地祇神社は境内の右奧。
国渭地祇神社
神社社殿
国渭地祇神社
神社社殿
国渭地祇神社
「延喜式内・国渭地祇神社」扁額


 当社は延喜式内論社。同論社として「物部天国渭地祇神社」があり、そちらのほうが有名。私も当社は坂戸の当社を完全に無視していたが、社殿内や社号標に「延喜式内」とかかれていると、もっともらしく感じてしまう。
 東武東上線の支線である越生線「西大家駅」から徒歩30秒という立地環境。表の道路が旧鎌倉街道という。交通量は今でも豊富。
 寒風が吹きまくる中で、参拝もあっという間に完了してしまう。
 拝殿は拝殿らしくない格子の建物。本殿にも格子の覆い殿。なにやら隙間だらけな印象。



「阿豆佐味天神社」     
(平成15年3月参拝・式内社・郷社・東京都西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷鎮座)

祭神:少彦名命・素戔嗚命・大己貴命
 寛平4年(892年)従五位下上総介高望王の創建という。高望王が桓武平氏高望王流の祖であり、村上党の上祖にあたることから潤色されたものか。
 瑞穂町殿ヶ谷は中世期に村上郷と称せられ武蔵7党の村上党の本拠地であり、村上党の祖である村上貫主は当地に根拠をかまえていたという。
 現社殿は明治27年に改修。 明治6年郷社に列格。
 社頭前参道には「文久3年(1863)」の社号標がある。
 それ以外の由来は不明。

阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社参道
阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社拝殿
阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社本殿

 
 JR八高線「箱根ヶ崎駅」と立川や西武柳沢を結んでいるバス路線の途中に鎮座。青梅街道に面している。
 予想以上に参道が長め。桜並木のようで、季節になればなかなかの見所となりそうな気配が漂う。神社境内では祭礼を行っており、私のような部外者が立ち入るのには若干の勇気が必要であった、開設してくれる看板の一つもなく、ないやらよくわからない、というのが本音。
 社頭前参道に「文久3年(1863)」とかかれた古い社号標があった。その社号標がまさしく歴史をものがたっている、ようであった。



「所沢糀谷ノ八幡神社」
(平成21年5月参拝・村社・所沢市糀谷鎮座)

祭神:応神天皇

創建年代は不詳。推定するに江戸初期。宇佐八幡、鶴ヶ岡八幡を勧請して「若宮八幡」と号したとされる。
江戸幕府の御鷹司であった新藤但馬守が崇敬したと「風土記稿」に記載。
寛文12年(1672年)に社殿朽廃し慶応3年(1867年)に糀谷名主が発起し再興した記録がある。
明治45年に社殿新築。
社家は「中家」。木曽義仲の老臣であった源兼氏を初代とし、宮司は中筑後守資信から33代を数える。

   

 友人らと付近をドライブしていたら見つけた神社。格別に意味があっての訪問ではない。
神社に到着した時間も19時過ぎと、もう好い加減に暗くなる直前。写真もかなりの補正をしているのだ。社叢が豊か。近隣の豊富な森と清廉な水は「糀谷みどりの森・八幡湿地」として地域で大事に保存をされている。かなりの好感触。
神社向かいの空き地には「トトロ」を模したモニュメントも置かれている。氏子とともに参加するというトトロが自然の魅力を存分に表していた。
「所沢のとなりのお化け」がトトロになったとされるいわれをもつ付近には「さいたま緑の森博物館」や「狭山湖」がある県内有数のネイチャースポットでもある。


<参考文献>
各神社の解説看板。

 
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