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「郷土の鎮守様〜千葉県銚子市内の神社」その1

2007−2008年初見

以下、「銚子電鉄の風景」ブログからの神社関連記事の転載を含め、再編集します

銚子桜井ノ菅原大神」/「銚子桜井ノ御産宮」/「小畑池ノ石尊様」/「銚子ノ川口神社
銚子ノ若宮八幡神社」/「銚子長崎ノ西宮神社」/「銚子長崎ノ長九郎稲荷神社」/「都波岐神社



菅原大神(菅原大神天満宮神社)
<銚子市桜井町鎮座>

菅原道真をまつる。古来よりの桜井里の鎮守。1131年(天承元)11月の創建とされる。
現在の社殿は昭和62年に建立されたもの。

以下、『すきっちょくるっちょ』の記述を借りる。
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 菅原大神は、史料などによれば1131年(天承元)11月の創建とされ、その名の通り、学問の神様として知られる菅原道真<すがわらみちざね>が祀<まつ>られています。
 この神社には、子宝石<こだからいし>或いは子産石<こうみいし>と呼ばれる大小90個の球形の石があり、この石を抱<だ>くと子宝に恵まれると言われ、1985年(昭和60)4月から半年間、銚子を舞台にして放送されたNHKの連続テレビ小説「澪つくし」<みおつくし>で、主人公のかをるが子宝石を抱くシーンで登場して以来、全国的に脚光を浴びる様になりました。
 この石は、もともと菅原大神から北へ約700mの所にあり、玉依姫命<たまよりひめのみこと>を祀る御産宮<ごさんのみや>に納められていましたが、社殿が損壊<そんかい>した為、菅原大神に移されて現在に至っています。
 菅原大神で行われる2月25日の春の例祭と11月25日の秋の例祭には、子供を授<さず>かりたいと願う多くの若い夫婦が訪れます。また、以前に参拝して子宝に恵まれた夫婦が、赤ちゃんを連れて “御礼参り”に訪れる姿も見られます。
 尚、子宝石を抱けるのは、年2回の例祭の時だけで、例祭は、隣町の香取郡東庄町にあり、玉依姫命を祀る東大社<とうだいしゃ>の宮司が執<と>り行います。
 菅原大神は、「澪つくし」放送終了後、本殿が桜井町の人達によって新築され、見違える程きれいになりました。
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境内はこじんまりとしつつも、神域としての気配が濃厚に保たれており、非常に居心地が良かった。ほのかに咲いている梅の花が、天神様の例大祭にはうってつけの彩り。
今年(2007年)は例大祭2月25日も11月25日も日曜日とあって、神社祭礼としても非常に喜ばしい年だという。



銚子桜井ノ御産宮(ごさんのみや)
<銚子桜井鎮座>

祭神:玉依姫命<たまよりひめのみこと>

由緒由来は不明。
桜井の菅原様に納められている子宝石は、もともと当社の神宝であったというが、社殿が損壊した際(すでに江戸後期には天満宮に子宝石の記録有り)に、菅原大神に移されて現在に至る。


御産宮の社叢。社地後方は利根川河岸。

復興した石祠社殿。

最寄り駅は、下総豊里駅。北に約1キロといったところでしょうか?
銚子桜井の菅原大神の地から、約700メートル北に鎮座。
ちいさな社ではあれど、東大社と深い縁があり、千葉県神社庁海匝銚支部所属の神社。

(参考:銚子市役所 旧ホームページ リニューアル後ページ消失の模様?)



おまけ
東庄町に鎮座している「東大社」より2年に一度の祭礼で利根川にお浜降りする「桜井御神幸」の祭礼場となる鳥居が銚子市桜井町にある。
撮影は2007年7月
朝4時ぐらいからヤケ具合を楽しんでみたり
 





「銚子小畑ノ石尊様」
<銚子市小畑鎮座>

犬吠駅と君ヶ浜駅の間に小畑池という池がある。 その畔は遊歩道となっていて、ちょっとしたウオーキングには最適。

小畑池は愛宕山のわき水を水源とする池で、池の南側には「石尊様」とよばれる小さな神社がある。
「雨乞(あまご)いの神」を祀る大山阿夫利神社を勧進したという「石尊様」からもわき水が溢れている。

銚子小畑池の石尊様は水の神様。
大山阿夫利神社を勧請。

わき水は以前は、右の竜の口からも溢れていたそうな。祭事の時とか限定なのかもしれません

水がきれいな神社が何よりも大好きな私は、ここでぼーっとするのが病みつきになりそうです。
地元の人いわく「水不足の時は結構みなさんが水を頂きにきてますよ」とのこと。
小畑池も周遊ウォーキングコースとしてはかなり良い環境。
もっと整備して、犬吠駅から歩こう!でまたーり散歩したい人を案内するのに最適な場所なのに、なんかもったない。



川口神社
<銚子市川口町鎮座・旧村社>

祭神:速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)

かつては川口明神・白紙大明神・白神明神と呼称。創建年代は寛和2年(986)と伝承。
飯貝根の川口山山上に鎮座し銚子港を見おろす高台の地に鎮座。

かつて四日市場の長者の娘に延命姫と呼ばれる姫がいた。
姫は陰陽師安倍晴明の妻となったが、容貌が醜く晴明は履き物を海岸に置いて隠れてしまった。
姫はそれをみて晴明は死んだものと思いこみ海に身を投げて死んでしまったという。
やがて姫の歯や櫛が川口に流れ着き土地の人がこれをあわれんで、この丘に埋め祠を建てて「白紙(歯櫛)明神」と名付けたという。
このために櫛や鏡を納めて祈願すれば美しくなり、当社の「白粉」をつけるとアザがきえると信仰されてきた。
当社はその立地条件から漁師の崇敬を受け、当社には漁師から多くの鮮魚が奉納されてきた。

明治3年に白紙明神から現在の社名「川口神社」とし、明治12年に村社列格。

参道、石段。
銚子の大潮まつりの際には、
お御輿が一気に駆け上がるのがみものらしい。 

利根川の向こうには波崎の風車も見れる。

第一鳥居は利根川に面しています。
付近には銚子第二漁港あり銚電から銚子の街を知る道しるべのひとつになればと思いつつ。
銚子市内にある神社で、漁港近隣ではもっとも規模が大きく、漁師の信仰が厚い神社。境内をあるけば、漁師寄進の灯籠等が目につく。

銚子電鉄本銚子駅の北東約1キロ。笠上黒生駅からだと北に1.5キロぐらい。
第二漁港が眼の前。
参道だけで100メートルほどあり、そしてほどよい高さの丘をのぼるとそこに社殿があるという、極めて理想的な神社。
そんな環境が心地よい空間。頂上の社叢の木陰で身を休めつつ、河口を眺めるのが贅沢なひととき。

私のおすすめの場所です。



銚子ノ若宮八幡神社
<銚子市三軒町鎮座・旧社格は村社>

明治社格は村社。由緒由来は不明。

銚子駅北東約1キロ。銚子大橋を西にして、利根川河岸の近く、銚子市役所の南側に鎮座。社殿は東向。
境内には枝社として厳島、境内社として、八雲・浅間・三峯・笠間稲荷・鐵工神社あり。
昭和55年6月に現在の社殿が修復されている。


東参道

若宮八幡拝殿

社殿横姿

社殿裏の小祠

北参道

安永年間(1772年から1780年)造営の鳥居

境内社


境内社の鐵工神社は、美濃の南宮大社を勧請。
近隣の鉄工所が寄進をしており、
ここにも港町の姿を感じることが出来る。

鎮座地は市役所の南側。郵便局の隣。市役所の朝市をひやかしたあとに散歩するにはうってつけ。
境内は比較的ひろく、社叢もにぎやか。若宮八幡を中心に境内社もいく社か。なかでも鐵工神社が眼をひく。
神社境内の木漏れ日の中でベンチに腰掛けて、利根川から吹き寄せる潮風を感じるのも贅沢な時間。



銚子長崎ノ西宮神社
<銚子市長崎町鎮座>

御祭神:事代主命

渡海神社所蔵の古文書によると、享保8年に長崎西宮大神宮が遷宮したという記録がある。
これは延宝5年(1677)10月の津波を指しているとされ、外川長崎の漁船や民家に大損害を与えたという。
その際に、当社も損害を受けたとされ、少なくとも1677以前から鎮座していたことが確認されるも創建年代は不詳。
慶安3年(1650)に西宮浜(兵庫県)では綿作りが盛んで、特に鰯や干鰯を肥料として大量に必要としていた。
そこで鰯を求めて西宮漁民が房総銚子に進出し、長崎の地にて故郷を偲ぶ西宮神社を建立したとも推定できるという。
現在の社殿等は平成15年の再建。(境内碑文参考)


西宮神社は長崎の集落の中心に鎮座し、南の海に面して鎮座。
銚子長崎にふさわしい佇まいを感じながら、潮の気配を楽しめる場。
たとえ祠はちいさくても、地域に根づいた歴史が詰まっていて、それが、銚子らしさを感じることができるおすすめの場所です。

西宮神社と鰯を調べてみたら興味深いページを見つけました。
江戸時代の西宮と海 鰯を追う、酒を運ぶ。(西宮市立郷土資料館第12回特別展 展示案内図録)

こちらのレポートをよむと、房総半島に点在する西宮神社の関係と、鰯の交流がかいま見れて、銚子長崎の西宮が、兵庫西宮に関係があるという深みも知ることが出来て、ますます銚子長崎が面白くなってきました。

銚子外川は紀州和歌山と縁が深く、銚子長崎は摂津西宮と縁がある。こうした海文化の交流史を紐解くのも楽しいですよね。


銚子長崎ノ長九郎稲荷神社
<銚子市長崎町鎮座>

長崎の街を見下ろす高台の地に鎮座。眼下には太平洋が広がる眺望の地
チョボクリ稲荷と呼ばれる。
紀州の船頭であった長九郎が、子供を授けて貰う祈願を行うとともに子孫繁栄を願って祀ったという。


うっそうとした森をぬけると、目の前に心地よく広い空間が広がる

太平洋と長崎鼻、赤い稲荷の鳥居がまぶしい

海を見下ろす高台の地

社殿

長九郎稲荷神社からみた銚子長崎の街

長崎のリゾートホテルの上の方から行くとわかりやすいです。逆に長崎の街を下から行こうとすると結構苦労します。
高台と鳥居があるのはわかるけど、あそこにどうやっていくのかな?と私は長崎の街で昇り口を探してしまいましたから。

長崎の街を、一度は長九郎稲荷の地から見てみてください。漁村の雰囲気を楽しむのにうってつけのおすすめポイントです。
潮風と海の気配を楽しみながら、この場所でぼーっとするのも良いかもしれません。
朝日や夕日もきっと綺麗に見れるんだろなあ・・・



都波岐神社
<銚子市高神西町鎮座>

享保2年(1717)、銚子は上州高崎藩(8万2千石)の領地となり、飯沼に陣屋が置かれた(現在の観音駅近く陣屋町公園付近)
銚子の支配地域は十七ヶ村五千十石。うち高神村は七三四石であったという。

高神の原から、南にくだると、眼下に愛宕山と高神の畑が広がる。
その高神地区を流れる小畑川の北側の丘の上に「都波岐神社」が鎮座している。

由緒由来は不明ながらも、同名社が伊勢鈴鹿に鎮座。
伊勢国一宮「椿大神社」の祭神が、猿田彦命であること、庚申信仰を考えると、当社も道しるべの神・境界守護の神と容易に推測することができる。

庚申信仰は当初は道教色が強かったが室町期に仏教的変容を遂げ庶民に崇敬されてきた。
当社に集められた庚申塚の多くには明和・安永・天明期の年号が刻まれている。

なお、当社向かい側には銚子陣屋代官庄川杢左衛門頌徳碑がある。

都波岐神社には庚申塚が150−200基ほど集中している。 神社としての規模は小さいけれども、驚くほどの庚申塚が密集している。
高神の庚申信仰の篤さのあらわれを感じ取ることができる神社。 神社建築も小振りながらに彫刻が施されており、見所が豊富。

高神の村民にとって、一番身近な神様が「庚申様」。正月・五・九・十一月の庚申詣で
当社前の道路は人々の往来が盛んであったという。

参考
銚子の歴史と伝説 銚子市郷土史談会
銚子の文化財 銚子教育委員会

写真は魚眼レンズで撮影したものを含みます。(社殿等にゆがみがありますが、ご了承ください)

高神村をながれる小畑川のむこうの高台=写真中央、に鎮座

伊勢国の椿大神社が、道しるべの猿田彦大神をまつり、高神村の入り口のちょっと小高い丘に鎮座している当社は境界守護として道理があります。
庚申塚があつめられたのも都波岐神社ゆえかもしれません。
つばきじんじゃ=伊勢の猿田彦命かと私は単純に思っています。

由緒由来の調査もなにもないけれども、都波岐神社境内には約150−200といわれる庚申塚の林立しており、狭い空間ゆえに圧倒されます。
足を踏み入れたとたんに、異なる気配を感じてしまう当社は、いちど行ってみることをおすすめします。


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