銚子大神幸祭三社 探訪記 平成二〇年一二月三〇日
目次
「雷神社」「東大社」「豊玉姫神社」「式年三社銚子大神幸祭」
12月30日。この日は大洗からフェリーに乗って北海道苫小牧に行く予定だった。
出航時間は18時30分。
銚子から大洗に赴くのもありかなあ、ということで、せっかくなので銚子に行こうかと思う。
銚子電鉄をはじめとして、銚子の皆様にはいろいろとお世話になっていたし、年末のご挨拶をかねて。
実はサイトの常連さんであるハンドルネーム:赤城おろしさんが銚子で「シジミ」を買うというご用事があるとのことで、せっかくなのでご一緒の神社詣でになります。銚子でお会いするというのも不思議な気もしますが、これも銚子で結んだ人の縁かもしれません。
サイト休止中に銚子に足繁く赴いていて、いまは銚子での人々の絆もたくさん出来ました。みんなに感謝してきた平成20年の締めの12月という意味でも、はじめましてで、お会いするサイトの常連さんとの神社詣でというのも、なかなか楽しげなものです。
そんなこんなで、私と嫁と、そして赤城おろしさんの三名が銚子で合流して、まずは「猿田神社」、次いで東総御神幸三社を巡ってきました。
今回は赤城おろしさんのナビで公共交通機関ではなかなか訪れる事が難しい神社に行く事が出来ました。ありがとうございました。
「雷神社」 旧郷社・海上郡十三郷総鎮守・旭市(海上郡海上町)見広鎮座
ライジンジャ
祭神:天穂日命(アメノホヒノミコト)
別雷命(ワケイカヅチノミコト=玉依姫命が母君)
三社御朱印はこちら
伝承では3社ともに同じ創建伝説を持っている。
、今から1900余年前の西暦123年に景行天皇が皇子日本武尊の東国征討の跡を巡幸し、椿の海(香取の海)の東端に立ち東国鎮護の一社を創建した事に始まるという。三社は姉妹親子神社である。
祭神のうち、天穂日命は出雲の素戔嗚尊の御子神であり、その御子の建日良鳥命(タケヒラトリノミコト)の曽孫にあたる久都伎直(クズキノアタエ)が古代下海上地域を統治する国造になった際に祖先神であった天穂日命を東国鎮護として祭ったものという。
別雷命は793年に京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)より勧請したもの。時の桓武天皇より「雷大神」の称号を賜っている。
神社周辺は要害山といわれ、見広城址に隣接し、戦国期には嶋田氏が居城していた。
氏子地域は古代には海上郡千潟四十六郷の時代を経て、江戸期以降は海上郡十三郷の総鎮守。
現在の社殿は明治43年造。旧社格は郷社。
正面参道 |
第二鳥居 |
参道 |
拝殿 |
拝殿 |
本殿 |
拝殿 |
拝殿 |
境内小祠 |
境内小祠 |
境内小祠 |
飯岡駅から北東に2キロの地に鎮座。
古式ゆかしい木造鳥居(台輪鳥居)が出迎えてくれた。社叢の杜が冬の季節であれど鬱蒼と茂っている環境。木漏れ日の参道を歩くと社殿前の空間が一気に広がる。境内は古木が多く、とてもすがすがしい気配にあふれる。
ちょうど、宮司さんが御炊きあげをおこなっていたようで、赤城おろしさんともどもに御朱印をお願いする。お仕事の最中であれど、時間を割いて御朱印を取りに家まで戻ってくださり、さらに式年御神幸や神輿の話などの貴重なお話をお伺いする。宮司さんありがとうございました。
境内にある小さな祠、頒布していた資料等、事細かにまとめられている様子が、大切に愛されている神社の風格を感じる事が出来、非常に好感触。
「東大社」 旧県社・海上郡総社・香取郡東庄町宮本鎮座
トウタイシャ
祭神:玉依毘売命(タマヨリビメノミコト=海神の娘君・神武天皇御母君)
相殿:鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト=神武天皇御父君)
三社御朱印はこちら
伝承では3社ともに同じ創建伝説を持っている。
今から1900余年前の西暦123年に景行天皇が皇子日本武尊の東国征討の跡を巡幸し、椿の海(香取の海)の東端に立ち東国鎮護の一社を創建した事に始まるという。三社は姉妹親子神社である。
現在は東大社または東大神と称されているが、かつては東宮・八尾社と呼称。堀河天皇の康和四年(1102)に総社玉子大明神の称号を賜り、玉子大明神(タマゴ大明神・オオジ大明神・オオジン様)とも呼称されてきた。
20年に一度、式年三社銚子大神幸祭が執り行われ、それとは別に銚子桜井の利根川浜にて小規模な御神幸が二年に一度執り行われている。
10月19−20日には秋祭があり、20日には流鏑馬神事も執り行われている。
現在の本殿は文政9年(1826)、拝殿は翌10年に造営。昭和31年に草葺きから銅板葺きに吹き換えをしている。
明治6年に郷社列格。大正8年には県社に列格。
正面参道 南 |
参道 |
拝殿 |
本殿 |
狛犬 |
狛犬 |
本殿 |
本殿 扁額 |
北参道 |
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次いで、東大社を参拝。下総橘駅南西約2キロ。267号線沿いに鎮座。
年末の忙しいときなのでこちらの神社御朱印は、同行の赤城おろしさんが先だってご連絡をして宮司さん宅で御用意をしていただいた。私ひとりの神社参拝ではそこまで事前準備をしたことがないので、素直にさすがだなあ、と感服を受ける。
境内は広い。南参道から、まっすぐに社殿。社殿後方からは北参道があり裏参道となっている。北側は開放感あふれる参道と境内、南側は重厚な樹木に囲われた参道。気持ちの良い日差しがさしこむ境内で、のんびりと佇むひととき。
たまたま参拝に来ていた地元のお人から、20年に一度の大祭の話をお伺いしたり、昭和初期のころの神社での盛り上がりの話お伺いする。地元の人が「この神社は県社なんだよ」と誇らしげにいうのが印象的だった。
「豊玉姫神社」 旧郷社・海上郡総社・香取市貝塚(香取郡小見川町)鎮座
トヨタマヒメジンジャ
祭神:豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト=海神の娘君・玉依毘売命の姉君・鵜葺草葺不合命の母君)
三社御朱印はこちら
伝承では3社ともに同じ創建伝説を持っている。
今から1900余年前の西暦123年に景行天皇が皇子日本武尊の東国征討の跡を巡幸し、椿の海(香取の海)の東端に立ち東国鎮護の一社を創建した事に始まるという。三社は姉妹親子神社である。
笹川駅の南方約4キロの地に鎮座。県道266号線と255号線が交差する付近。
訪れてみたら、氏子さんたちがちょうど境内の掃除を終えて、うちあげみたいに集まっているところだった。赤城おろしさんの事前情報で「今日は境内の掃除をしているはずです」という預言?が見事的中。新年を迎えるにあたっての年の瀬の大掃除といったところでしょうか?
宮司さんがいらっしゃったので、御朱印を戴く。その間に、氏子さんから、20年に一度の大祭のお話をお伺い。都合3社で、形は違うけれども「銚子大神幸祭」の話を伺った事になり、地元の誇りたるべき大きなお祭りがいよいよ迫っているなぁというのを実感。ここにきて、私も平成22年のお祭りががぜん楽しみになってきました。
東総三社、いずれも楽しくまわれ多くの収穫がありました。今回はサイト常連の赤城おろしさんのご厚意で、車での参拝となり普段はなかなかいけないところにいけたのがなによりも嬉しいことでした。この場を借りて、改めて「ありがとうございました」と感謝です。
以下、参考資料
「式年三社銚子大神幸祭」
堀河天皇の康和4年(1102)、銚子高神の高見の浦一帯で大津波が起きこの大規模な東国の天変地異の模様が海神の怒りとなって遠く京都まで恐慌を伝えていた。京都朝廷はこの災害を鎮めるために勅命を発し、銚子への御神幸祭がこの年に初めて斎行された。以来、9回までは毎年執り行われ、10回目以降の以後900年の間は20年周期で「御神幸」が執り行われてきた。
御神幸祭の三社ともに創建は景行天皇に由緒をもつ共通性を持っている。このような複数社の神社による式年御神幸祭は全国的にも珍しい。
次回の銚子御神幸祭は平成22年4月10(土)11(日)12(月)日。第54回式年銚子大神幸祭となる。
この神幸祭は古式豊かな行列となって銚子街道を一路外川に向かう。銚子市内には18カ所の関所も設けられ全国屈指の大神幸祭として知られる。
ハイライトは4月11日、銚子外川浦のお浜降り(船による海上渡御と御潮汲みの祭典。)
<<略図>>
『式年三社銚子大神幸祭』特集 はこちら
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