「晴天早朝散歩〜日枝神社の風景」
<平成22年6月参拝記載>
6月の晴れた朝。用事があったので赤坂界隈へ。せっかくなので近くに鎮座している日枝神社を参拝。
ちょうど山王祭の前日だった。
参拝は朝8時過ぎから9時の約1時間ほど。仕事で移動途中にたちよったというあんばいなのだ。
「日枝神社」 (千代田区永田町鎮座)
(官幣大社・東京十社のひとつ・千代田区永田町鎮座)
御祭神:大山咋神(オホヤマクヒ神)
相殿神:国常神(クニノトコタチ神)
伊弉冉神(イザナミ神)
足仲彦尊(タラシナカツヒコ尊・詳細不明な神様)
当社の起源は江戸郷の守護神として江戸氏が山王宮とまつっていたものを文明10年(1478)に太田道灌が江戸の地に城を築くに当たって鎮護神として川越山王社(川越日枝神社)から勧進したことにはじまる。
天正18年(1590)に徳川家康が江戸に入城し、その際に「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、また「江戸の総氏神」として崇敬が篤くなった。
二代秀忠の時に城内(紅葉山)から城外に移転(元山王・隼町国立劇場付近)されたが明暦3年(1657)の大火で社殿炎上、将軍家綱が直ちに赤坂溜池に社殿を造営。ますますの崇敬をうけた。
明治以来は国事の重大事に至る際には常に勅使の参向御奉告が行われ、皇室の崇敬も篤かった。
昭和20年5月に戦災によって末社稲荷神社を残して社殿消失。昭和33年以降順次再興が行われ、翌年に山王高台に大社の偉容を甦らせた。
明治元年11月に准勅祭社に指定され、同5年に府社列格。皇城鎮護たる所以を以て明治15年には官幣中社に列せられ、大正4年に官幣大社列格。戦後は宗教法人として今日に至っている。
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日枝神社 |
いわゆる山王鳥居 |
参道にエスカレータがあります |
まさに大都会の神社 |
エスカレーターの上には「急ぐとも止って拝め宮の前」 |
社殿 |
「夏越の祓」茅の輪 |
そういえばもう六月でした |
山王さんなので御猿像・左側 |
御猿像・右側 |
御神門 |
御神門 |
神門の後ろ手には「皇城之鎮」 |
山王祭に出御を控える神輿群 |
神輿群 |
一之宮 主祭神 大山咋神 |
二之宮 祭神 相殿 国常神・伊弉冉神・足仲彦尊 |
御幣をかつぐ猿 江戸末期の山車人形 |
三之宮 祭神 大山咋神荒御魂 |
奉納酒 |
奉納酒 |
千代田区指定有形文化財「山王稲荷神社」
日枝神社が当地に遷座する前の地主神。
日枝神社が遷座してきた江戸の万治2年(1659)年造と推定。
戦災で日枝神社が焼失した中で唯一残った社殿。
関東地方では希少な縋型式の春日造本殿 |
猿田彦神社(八坂神社合祀)。
奥は山王稲荷神社。
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参考文献等
各神社境内の案内板等
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