稲荷山紅葉寸景 平成18年11月25日
上賀茂神社の紅葉に次いで、伏見稲荷の紅葉も見物していました。
せっかくなので紅葉の写真を掲載します。
「伏見稲荷大社」(官幣大社・稲荷社総本社・延喜式内名神大社・22社のひとつ) <京都府京都市伏見区深草藪之内町鎮座・朱印>
祭神 宇迦之御魂大神(下社・中央座) 佐田彦大神(中社・北座) 大宮能売大神(上社・南座) 田中大神(田中社・最北座) 四大神(最南座) 五柱を「稲荷大神」と称する。
元明天皇の和銅四年(711)二月初午の日に、深草の長者・伊呂具ノ公が勅命によって三柱の神々を伊奈利の三ヶ峰に祀ったことにはじまる。以後、秦氏一族によって祭祀される。 伊呂具ノ公が的にして射た餅が白鳥と化して飛び立ち、その留まった山の峰に「稲」が生じたことから「イナリ」ともなったという。 淳和天皇の天長4年(827)、天皇のお身体が不健のために占ってみると、先朝の御願寺「東寺」の塔木として稲荷社の樹を伐られた罪たたりであることがわかり、このときに始めて「従五位下」の神階を授かり、天慶5年(942)に「正一位・稲荷大明神」となる。 延喜式内の名神大社、祈念・月次・新嘗・祈雨に預かる。 村上天皇の応和三年(963)に皇城の巽(東南)の守護神と定められる。 後朱雀天皇期の長暦三年(1039)に二二社の上七社に列格。歴代朝廷から特に篤い崇敬を受けてきた。 後三条天皇の延久四年(1072)に稲荷社と祇園社に行幸があり、これを「両社行幸」と称して、歴代の慣例として鎌倉時代まで及んでいる。 中世期に熊野信仰が盛んになると、稲荷明神が熊野参詣の道中を守護する誓いがあると信仰される。
明治四年(1871)に官幣大社「稲荷神社」として列格。昭和21年に宗教法人「伏見稲荷大社」となる。
稲荷大神は五穀を始め、すべての食物・蚕桑をつかさどる神として信仰。神仏習合によって稲荷社は東寺の守護となってからは、その信仰も一段と広まる。 農業神から殖産興業神・商業神・屋敷神と拡大し、各地に勧請。現在では稲荷社は三万余社とされ、全国神社の三分の一を占めるるうえに、屋敷神を含めればそれこそ無数に近い。
境内地は稲荷山を含む85万八千uという広大な領域。山中と山頂の神蹟周辺は一万数千基の御塚がある。山上に至る参道には一万余という朱鳥居が奉納されている。
当社はもともと稲荷山下社・中社・上社があったが、のちに田中大神と四大神がまつられて五社となった。応仁の乱によって社殿が焼失し、現在の形式となる五社相殿の本殿が建立される。 現在の本殿は明応八年(1499)に建立された「稲荷造り」と呼称される社殿。 明治42年に国宝に指定され、現在は「国重要文化財」指定本殿。
<詳細は「稲荷の雪山詣で」にて>
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