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「伊豆相模の神社風景・小田原と川匂神社編」
<平成15年3月参拝・平成15年5月記>

目次
小田原城報徳二宮神社川匂神社

伊豆山神社編」「鎌倉の神社編


 伊豆山神社を参拝したあとは、東上しつつ戻るだけ。さしあたって熱海駅でぼーっとしつつ、小田原駅で途中下車をする。別に格別に小田原に行く用事があるわけでなく、重要度の高い神社があるわけではないが、城でも眺めてこようかと思った。

 小田原に来ると私鉄に乗りたくなる。もつとも小田原の私鉄は何度か乗っているのだが。
 箱根登山鉄道に乗るのも良いだろう。そう思って箱根登山電鉄の窓口で聞いてみる。「箱根神社のあたりに行きたいのだが」と。窓口嬢は箱根への行き方と所要時間を教えてくれる。箱根湯本からバスが良いらしい。しかし時間がたりないことが判明。どうやら箱根神社はまたの機会となったようだ。
 伊豆箱根鉄道に乗るのも良いだろう。そう思って伊豆箱根鉄道の窓口で聞いてみる。「足柄神社のあたりに行きたいのだが」と。窓口君はところが「はぁ?」という顔。どうやら場所を知らないらしい。私が説明する。「終点の大雄山駅からバスは走っているのか」と。結論は最乗寺にいくバスしかないらしい。歩くほどのものでもないし、ここは素直に小田原城に行こうかと思う。



小田原城
 べつに格別な思いがあって小田原城を眺めにきたわけではない。なんとなく、という気持ち。城というものは外から眺めるのが愉快なわけであって、中の天守閣から市街地を眺めても意味はない。
 天守閣を眺めつつも、私は象の嘶きが気になる。すぐそこに象がいる。こんな風に象を眺めるのは小学生以来かもしれない。なんか愉快だ。少なくとも日常生活で予期せずに象に出逢う確率はかなり低い。その予定外の「ゾウ」というシチュエーションにはまり込み、ベンチからゾウの生態でもぼーっと眺める。

 小田原城は室町以来の平山城。東海道の要所である箱根を背後に抑え、関東の入口たる好立地に築城されている。
 応永22年の上杉禅秀の乱の際に、駿河の大森頼顕が西相模に進出し上杉方を攻略。その後に小田原城を築城。
 明応4年に伊勢親九郎(北条早雲)が伊豆韮山城を拠点に大森藤頼を滅ぼし、以来小田原城は北条早雲−氏綱−氏康−氏政−氏直の五代に渡って関東一円の小田原北条氏の支配勢力の中心地となる。
 永禄4年には上杉謙信、同12年には武田信玄の軍勢を小田原城にて退け、絶大な防御力を誇っていた小田原城も天正18年の豊臣秀吉の軍勢によって落城。北条氏は滅亡。
 以後の小田原城は縮小。のちの徳川幕府期には直轄領として、また大久保氏などの支配を受けた。
 明治3年、廃城。建物は破却されたが、昭和36年に江戸期の天守閣を模して復元された。

小田原城
小田原城天守閣
小田原城
城址公園としてかなりの広さを有している
小田原城
小田原城小峰曲輪北堀
小田原北条を偲ぶ土塁遺構
左側に報徳二宮神社がある
小田原城
北条氏政・氏照の墓
(小田原駅の近くにある。城内ではないがここに掲載)
中央が氏政、左が氏照、右が氏政夫人

 小田原城の脇にミニ遊園地があって、その脇に「報徳二宮神社」がある。どうやら私は神社にいきたかったらしいので、あまり面白くもないが二宮尊徳さんに会いに行こうかと思う。


「報徳二宮神社」(神奈川県小田原市城内鎮座・県社)
御朱印

御祭神:二宮尊徳

 江戸末期の農政家・思想家であった二宮尊徳(にのみやたかのり)を祀る。二宮金次郎尊徳は天明7年(1787)に相州栢山村(小田原市栢山)に生まれた。酒匂川の氾濫のために生家は没落し、一家離散の優目をみながら、勤倹努力し一家再興。
 文政3年(1820)に小田原藩家老職服部家の財政再建に成功し、同5年に小田原藩士に登用される。小田原藩主大久保忠真の抜擢により身を起こし、豊富な農業知識、独特の政治能力を有する農政家として、各地の産業振興に尽力。のちに老中水野忠邦に見出され、幕臣として御普請役格に登用されて活躍。
 安政3年(1858)、日光神領開発事業従事中に今市で病没。
 明治24年(1891)に従四位が追贈され、神社創建が検討。明治25年に許可を得て、社殿を建築。明治27年4月14日に小田原城内の地に鎮座した。明治42年に本殿幣殿を新築し、神苑を拡張し、現在に至る。
 なお、二宮尊徳を祀る同名社は小田原の他に栃木県今市市と北海道中川郡豊頃町にある。

報徳二宮神社
境内入口
報徳二宮神社
正面
報徳二宮神社
拝殿
報徳二宮神社
二宮金次郎像・・・

 二宮尊徳という人物の政治的社会的役割はあまりよく知らなかった。知っているのは「マキを背負って・・・」という逸話だけ。
 二宮金次郎像がある。少年期のお馴染みの像。最近は、この像もあまりみかけない。境内の二宮金次郎は昭和3年の 昭和天皇の即位御大礼記念として製作されたものという。のちに同タイプが約1000体、全国の小学校などにむけて製作されたが、戦時中にほとんどが供出されてしまった。なおこの像はメートル法普及の意図を反映させ丁度1メートルの高さで製作されているという。

 社殿は予想よりもしっかりとした造り。近代の神社ではあるが、自然と歴史的息吹を感じてしまうのは「神社」という構造的な理由なのだろう。神社として存在していれば、あとの由緒は関係ない、神様も関係ない。ただ手を合わせるのみという俗的な発想もあるのだろう。
 社殿脇の小さな札所の中で巫女さんが下を向いている。なにかと思ったらケータイメール使用中らしい。ゆったりとした気配で「暇」を厚塗りをしているような空気が漂う。私も暇だし、時間をもてあましている。巫女さんも気持ちもよくわかる。

 このあとは小田原城をゆっくりと散策しつつ北条氏政・氏照の墓を詣でてから、駅に戻る。
 氏政・氏照の墓はなぜか「幸せの鈴」とやらがあふれていた。
 看板抜粋をしよう。「箱の中の鈴に、民を思う領主の優しい心が、きっと宿っています。ここに眠る北條氏政、氏照は、長引く秀吉との攻防戦の中、戦渦にまみえる領民を思い、開城を決意されたと伝えられています。願い事をかけて鈴を持ち帰り、かけた願いがかなったら、幸せの鈴を結びに来て下さい。幸せの鈴がいっぱいになれば、ここに眠る領主への、なりよりの供養となることでしょう。」
 どうして鈴なのかは、いまいちわからなかったが、なるほどと感心はしてしまった。

 さて、小田原駅からどこに行こう。このあとは鎌倉にいく予定であったが、まっすぐ鎌倉に行くのも面白くない。どこか寄り道をしたい気分。相模国の由緒ある神社は、東海道にそって点在している。地図を眺めていると「相模国二の宮」に無性に行きたくなった。駅から離れているのが面白くないが、足を運んでみようと思う。


 JR二宮駅は神奈川県中郡二宮町にある駅。二宮町には当然のように「相模国二の宮」がある。駅前で観光地図を眺め、手元の地図を眺める。どうあっても西に2.5キロは歩かなくては行けないらしい。歩きたくはないけど「相模国二の宮」なのだから、ここは歩こうと思う。途中、道がわからなくなり、道を訊ねつつだが。

「川匂神社」(かわわ神社・式内小社・相模国二の宮・郷社・神奈川県中郡二宮町山西宮山鎮座)

祭神
大名牟遅命・大物忌命・級津比古命・級津比売命・衣通姫命

 当社は相模国二の宮であり、古くから二宮明神と称され、延喜式にも記載されている古社。十一代垂仁天皇(崇神朝ともいう)の頃、相模国は相武国と磯長(師長)国とという二国に別れており、当社は磯長国国造であった阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護の為に奉祀したことにはじまるという。祭神の級津比古命・級津比売命は磯長国を開拓した神々。
 社家の二見氏は永延元年(987)に藤原景平が伊勢国二見より移り住んで神官となって以来、今日まで代々当社に奉職している家柄。
 明治6年、郷社列格。昭和7年には県社昇格の御内示を受けるも、戦後の社格制度廃止によって昇格はならず。
 現在の本殿は春日造、昭和28年の造営。

川匂神社
川匂神社正面入口
川匂神社
川匂神社鳥居
川匂神社
川匂神社神門
川匂神社
境内
川匂神社
拝殿
川匂神社
本殿

 愚痴りたいように歩いて、意外に激しい勾配に疲れつつ、目の前に「神社」の森を感じる。なんか疲れたのですけど。
 大きな看板に「延喜式内社・相模国二宮 川匂神社」。その脇の石標は「郷社 川匂神社」とある。大正7年の社号標は海軍中将・上村翁輔が揮毫。
 石鳥居を抜け石段を登ると、古風な藁葺きの門。なんかこの門だけで、絶妙に気に入ってしまった。縦長の境内はこんもりとした丘のなか。あたりは神威的な雰囲気に満ちており、ここまで歩いてきた疲れも不思議と消えてしまう。結局、参拝中は人の気配を感じなかった。それでも県社内示をうけた相模二の宮。こんな静かな神社らしい神社が好き。

 このあと、二宮駅から東海道を東征し、鎌倉に向かう。本来なら「鎌倉」に一日いても問題ないのだが、あまり鎌倉という街が好きではないのと、鎌倉の目的が「鎌倉宮」と「鶴岡八幡」のみに限定させていた関係上、ちょこっとだけの寄り道。
 鎌倉は、さらに続編にて・・・。


<参考文献>
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版
式内社調査報告 第11巻 東海道6 皇學館大學
日本地名大辞典 14 神奈川県 角川書店




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