| 「神々の出雲を詣でる・日御碕神社編」
 <平成15年12月参拝・平成16年1月記>
 
 
 1.「出雲へ」/「出雲大社」
 
 2.「稲佐海岸へ」/「日御碕神社」
 
 3.「八重垣神社」「神魂神社」
 
 4.「六所神社」「真名井神社」
 
 
「稲佐海岸へ」出雲大社から稲佐海岸まで歩みをすすめる。手元の地図を見ると「出雲の阿国」関係の史跡と墓があった。
 そういえば「阿国」は出雲だ、ということを思い出す。出雲大社までなかなか連想がわかなかった。説話では出雲大社の巫女出身という阿国は大社本殿修復資金勧進を目的として諸国巡業したという。
 
 阿国寺連歌庵という庵がある。一世を風靡した「出雲の阿国」は晩年に出雲大社にほど近いこの地で余生を過ごしたとされている。初代「連歌庵」は文化年間に火災で焼失。二代目「連歌庵」は明治4年の廃仏毀釈のあおりで破壊され、現在の建物は昭和11年に再建された三代目。
 
 この向かい側の高台には「出雲の阿国」墓もある。せっかくあるのだからちょっとだけ寄り道をしておく。
 
  
    
      |  出雲阿国にちなむ連歌庵
 |  出雲阿国墓
 |  出雲大社から海岸へ向かう道を歩く。一キロほどあるくと潮風を感じる気配に到達する。途中にある境外摂社を散策しながら日本海を垣間見る。久しぶりに海を見た。
 
 
  
    
      |  荒神社
 |  大歳社(出雲大社境外摂社)
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      |  上の宮(仮宮)・大社境外摂社・素戔嗚尊・八百万神
 神在月に境内で「神在祭」が行われる
 |  下の宮・大社境外末社・天照大御神
 
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      |  国譲りにちなむ屏風岩
 タケミカヅチ神と大国主神が会見した場所
 |  稲佐の浜と弁天島
 |  境外社に寄り道して、稲佐の浜で、ぼーと冬の海をながめる。もっとも一分もしないうちに寒さに負けてしまうわけではある。海まで来たけど、この先は未定。選択肢が二つある。バスがあれば「日御碕神社」に向かう。バスがなければ一畑電鉄で出雲市駅に向かう、という選択肢。バス停を確認し、時間を確認。驚いたことに一時間に一本のバスが3分後にやってくる。11時55分にバス停に到着し、11時58分にバスに乗り込む。
 タイミングが良すぎることを出雲の神々に感謝して、私は日御碕神社に向かう。
 
 暖かな日差しがさしこむバス車内。日本海の荒海を横目に、風光明媚な世界に浸る。さすがに眠くなる。うとうとと揺られていると終点だった。バスの乗客は私を含めて三人だけ。二人の女性はどうやら灯台に行かれるらしく神社に向かうのは私一人。
 私も時間があれば灯台に行っても良いのだが、折り返しのバスは12時45分頃にでるわけで、到着時間が12時であることをふまえると、そんな餘余裕はない。
 
 
 
 
「日御碕神社」 (国幣小社・式内小社・ひのみさき神社・重要文化財)<朱印・島根県簸川郡大社町鎮座>
 
 「日沈宮(下の宮)」祭神:天照大御神
 「神の宮(上の宮)」祭神:素戔嗚尊
 
 由緒
 日沈宮は、神代以来現社地にほど近い「経島(文島)」に御鎮座されていたが、村上天皇天暦2年(948)に現社地に遷座。素戔嗚尊の御子神である天葺根命が清江の浜(社地前の浜辺)に居られたときに島上の松が輝き「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮まりて天下の人民を惠まん。汝速やかに吾を祀れ」と天照大神の御神託を賜ったことにはじまるという。
 
 神の宮は、神代以来現社地背後の「隠ヶ丘(古墳)」に鎮座していた。安寧天皇13年に現社地に御遷座。のちに「日沈宮」とともに日御碕大神宮と称された。
 素盞鳴尊は出雲の国造営後に「熊成峯」に登り、終生鎮まる地を求めて柏葉を風で占うと社殿背後の「隠ケ丘」に柏葉が止まったために、御子神である御子天葺根命は素戔嗚尊の御魂をこの地で奉斎したという。
 日御碕は素戔嗚尊の神魂の鎮まる霊地、根の国の根源として篤く遇されてきた。
 
 現在の社殿は徳川家光の命により幕府が直轄して建立したものであり寛永21年竣工。国の重要文化財指定。
 祭神は出雲大社の父神にあたり、出雲大社の奥院・親神として信仰。また伊勢神宮は昼を、当社は夜を護る神としても信仰されている。
 <神社由緒書・神社辞典・神まうで参考>
 
 
  
    
      |  日御碕神社
 | 日御碕神社は潮風に吹かれていた。 
 冬の青空。出でる雲が、神々の国であった・・・。
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      |  日御碕神社楼門
 |  楼門
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      |  下の宮
 |  下の宮本殿
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      |  上の宮
 | 参拝時は上の宮は修復工事中であった |  
      |  下の宮横影
 |  下の宮社殿
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      |  | 経島は下の宮最初の鎮座地。 現在はウミネコ繁殖地。
 
 |  バス停からおりてすぐのところに神社があった。神社のすぐ先は、小さな漁村。ほほえましさにあふれている、そんな静かな風景が広がっていた。どうやら境内は工事中らしい。気配でわかる。来るべき時を間違ったかもしれないが、今この瞬間に来ようと思ったのだから致し方がない。
 境内には人の気配がない。下の宮で拝する。下の宮と向かい合う高台に上の宮が鎮座しているも、その上の宮は修復工事の真っ最中。社殿の全体像をつかむことができないのが残念だった。下の宮もかなり神さびれていた。古色然たる社殿を眺めていると冬の風が身にしみる。でも、こういう気配は嫌いではない。
 
 朱印を頂戴する。境内を散策する。一連の行動をすましてしまうと、あいかわらずにすることがなくなる。
 潮風がここちよい。小さな漁村の向こうに小さな小島(=経島)がある。経島の上には鳥居が見える。社歴によるともともとはその経島で祀られていたらしい。
 
 
 そろそろバスの折り返し時間が迫る。昔から良く経験している心苦しさ。鉄道乗りつぶし旅をしていたころ。終点から戻るときに同じ運転手というオチは、今回も健在。わざわざ日御碕まで来た客が名所たる灯台にいかないで、すぐにバスで折り返すという不自然さ。私としては神社が目的なのでいっこうに問題ないのだが、運転手さんにとっては奇怪極まりないことだろう。
 来た道を戻る。真新しい風景も、一度見れば見飽きた風景になる。見飽きたといっても日本海の荒海。海を見ない埼玉県人にとって、海ほど面白いものもない。
 
 出雲大社前のバス停を経由し、出雲市駅へと向かう。あっけないけど出雲の地から離れつつある。
 まどろみの世界の中で、心地よい日差しにつつまれて、うつらうつらと睡魔にのみこまれると、駅前に到着であった。
 
 出雲市駅。これから松江駅に向かおうと思う。ところが困ったことに、電車が走っていない。走っているが普通電車ではなく特急電車のみというすばらしさ。つまり特急が二本きたあとに、やっと普通電車が到来。さすがに一時間に一本の普通電車を待つ精神的ゆとりはなかった。ゆえにやむなく特急券を購入して特急電車にて松江駅に向かう。
 出雲駅も松江駅もなじみはある。なじみはあるはずだが、いまいち記憶はない。なんとなく使ったことがあるな、という程度。
 
 松江方面にかんしてはサイト的に次ページにて。
 
 参考文献神社由緒看板及び御由緒書
 神社辞典・東京堂出版
 
 
 
 「八重垣他」
 
 
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