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「近鉄南大阪沿線途中下車詣で・1」
<平成17年3月参拝・5月記載>


目次
その1・土師 「黒田神社」「志貴県主神社」「国府八幡神社」「土師ノ里八幡神社」「道明寺天満宮

その2・古市 「誉田八幡宮」「白鳥神社」「杜本神社」「飛鳥戸神社」「錦織神社」



この日の夕方。「近鉄長野線川西駅」に用事があった。もっともその用事は4時過ぎにちかくのホールにいればよいのであって、それまでの時間をどう使うかを考えていた。こんな機会でもなければ、このあたりの沿線にも用事がないだろう。せっかくだから沿線の目ぼしい神社に途中下車する。
もっとも午前中はどうしても行きたかった国宝「桜井神社」に赴く。

それゆえにスタート地点とした「近鉄土師ノ里駅」に到着したのは11時45分。朝から行動していれば、もうすこし計画も変わるのだが、まあ成り行きで行動している私は、このあたりは無計画でもある。

土師ノ里駅。言霊の響きがよい駅は、歴史心をくすぐってくれる。さすがに古代の舞台。近隣には巨大古墳が集中している。駅の南東には仲津姫皇后(応神天皇皇后)古墳、そして北側には允恭天皇古墳がある。さしあたり、北側の允恭天皇陵古墳に赴く。もっともこの辺りの神社を巡ろうと思えば片手間ですむ規模でもないから、行きたい場所と行けそうな場所に赴くだけである。

さしあたり駅から北に100メートルのところに允恭天皇陵古墳後円部があり、400メートルほど北上すれば前方部がある。

允恭天皇陵古墳
允恭天皇陵
允恭天皇陵古墳
允恭天皇陵古墳

もっとも古墳には際限がない。結論からいえば、なぜか私は允恭天皇陵を一回りしたようであるが、それだけのこと。さしあたり、古墳は古墳。夢ロマンはふくらむが、とにかく先を急ぐ。

土師ノ里駅から約1キロ北上したところに「黒田神社」という神社が鎮座している。到着時間は12時ちょうど。古墳に寄り道したので、駅からは15分の道のり。



「黒田神社」(式内社・村社)
<大阪府藤井寺市北條町鎮座>

祭神
天御中主大神・天照皇大神・
武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比売大神

延喜式神明帳記載では河内国志紀郡の小社。
神武天皇の御子神である神八井耳命(志貴県主の祖神)の隠し廟所といわれ、仁徳天皇のころに神社として祭祀されたという。
中世期は北條天神・天王と称され、「稲霊」を祀っていたとされる。

明治5年、村社列格。明治40年に近在6社を合祀しているも、合祀社は戦後に旧地再建されている。その中には同じ式内社の志疑神社(黒田社の約500メートル西)もある。

黒田神社
黒田神社
黒田神社
拝殿
黒田神社
拝殿
黒田神社
本殿

近鉄南河内線沿線を途中下車するにあたって、目についた神社。駅から15分ほど歩いて到着。
北側から参道をすすむと、西におれる。つまり社殿は東を向いている。社地の前は公園になっており、長閑な気配に溢れている。
比較的新しめの社殿。景観も整っている。

この先、志疑神社にいくべきかどうかを悩むが、なにやら疲れた身。駅から離れるのも億劫だったので南下する。
約200メートル南下すれば「志貴県主神社」が鎮座している。



「志貴県主神社」(しきあがたぬし神社・志貴縣主神社・式内大社・河内国総社・村社)
<大阪府藤井寺市惣社鎮座>

祭神:
神八井耳命(カムヤイミミ命・神武天皇皇子・志貴県主の祖)

配祀:
天照皇大神・武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比売大神
表筒男命・中筒男命・底筒男命(住吉三神)・神功皇后

鎮座地付近は志貴県と呼ばれる朝廷直轄地。その管轄者は神武天皇長男の神八井耳命を祖とする志貴県主一族であった。
河内志紀郡内の有力豪族であり、雄略天皇が生駒山から河内に来られたときに山の上からはるか南方に「志畿の大県主」の大邸宅が目につき、それが天皇の邸宅と似ていた為に「地方豪族の身分であるのにけしからん」と立腹して詰問したという逸話がある。

律令時代には付近に河内国府があり、当社の創建は不明であるも奈良時代にはすでに創建していたとされる。
延喜式では河内国志紀郡の式内大社(月次・新嘗)。
河内国の惣社。春日名神・惣社明神と称された。
中世期には楠正成の祈願所となるも、楠氏の衰亡と共に、衰退。
明治5年村社列格。

志貴県主神社 志貴県主神社
志貴県主神社 志貴県主神社

社殿は南面。黒田神社と允恭天皇陵のちょうど中間に位置している。
北の黒田社から歩いてきたので、社地の後方から回り込む。静かな神社。正面の参道は道路を兼ねていて、神社規模に比べても大きかった。
歴史の重さと深さをかみしめて、惣社としての敬意を表して参拝。

ここまで来れば允恭天皇陵古墳のちょうど北東角に位置。
そのまままっすぐに南下すれば古墳の東縁を歩くことになる。



国府八幡神社
(大阪府藤井寺市国府鎮座)

由緒等不明

鎮国府の八幡様。境内の左には允恭天皇陵の陪塚古墳がある。

国府八幡神社 国府八幡神社
国府八幡神社 国府八幡神社

境内の左側に允恭天皇陵陪塚古墳がある。
社地の後方は允恭天皇陵古墳。

志貴県主神社から真っ直ぐに約400メートルを南下。
允恭天皇陵古墳の東縁をあるくと、中間付近の陪塚の近くに「国府の八幡様」が鎮座。このあたりはさすがに「応神天皇陵」が近くにあるので、八幡様が多いのだ。
比較的、新しめの社殿。良く整備されていて、境内は綺麗。左側の倍塚が社殿と並んで、視的に楽しめる景観。

国府八幡から近鉄土師ノ里駅まで、古墳縁を歩く。約400メートル。
駅のすぐ南側にも八幡様が鎮座していた。



土師ノ里八幡神社
(大阪府藤井寺市道明寺鎮座)

由緒等不明

鎮座地は近鉄土師ノ里駅の約30メートル南。

土師ノ里八幡
土師ノ里八幡
土師ノ里八幡
拝殿

土師ノ里駅のすぐ南。その名も「土師ノ里の八幡様」。土師ノ里という言霊的な響きの美しさと八幡様がマッチした気配におもわず心惹かれる。

11時45分に散策をスタートして「允恭天皇陵」「黒田神社」「志貴県主神社」「国府八幡」「土師ノ里八幡」と歩いてきて、現在時刻は12時30分。約45分で巡っているのは、結構ペースが速い。
このまま私は道明寺天満宮まで歩く。土師ノ里駅からは真っ直ぐに南下して約500メートルで正面鳥居。実際は約300メートルで神社に到達するが、そこから200メートルほどを南面している参道まで回り込まなくては行けない。



道明寺天満宮(郷社・土師神社・式外社)
(大阪府藤井寺市道明寺鎮座・朱印

祭神:
菅原道真公
天穂日命(天照大神の御子神)
覚寿尼公(かくじゅに・道真公の母がたのおば)

当社の前身は天穂日命を祀る土師神社。
河内土師氏は野見宿禰を祖を始祖とし、天穂日命・天夷鳥命を祖と仰いでいた。のちに土師氏の土師古人が聖武天皇から菅原姓を賜り菅原氏を称す。祭神の菅原道真公も、河内土師氏の流れをくむ。

当社は用明・推古天皇の頃に土師連八鳥が自宅に建立した土師寺(道明寺)に隣接。
道真公が太宰府で没したのち、天暦元年(974)に北野天満として祀られると、土師氏菅原氏の出身地であり、道真公の叔伯母覚寿尼公が住する道明寺に道真公を祀ったことに始まる。

明治5年に神仏分離によって道明寺と天満宮は完全に分離させられ、道明寺が西隣に移転。当所は「天満宮」と称していたが、昭和27年に「道明寺天満宮」と改称。

道明寺天満宮
道明寺天満宮
道明寺天満宮
参道
道明寺天満宮
拝殿
道明寺天満宮
本殿
道明寺天満宮
本殿
道明寺天満宮
本殿後方の梅園

近鉄道明寺駅からだと約300メートル西側に鎮座。神社社殿は南面している。
神社に到達した時間は12時35分。

格別に狙っていたわけではないが「梅」が咲いている。天満宮でみる梅は、ひとしおの感動を呼ぶ。そして梅園と社殿が一体になる敷地に、ありがたさを感じる。得てして梅園と社殿を動同時に鑑賞することができない神社が多いので。
なにやら不安定な天気。ときどき、雪が舞ったり、日が射したり、と。あわただしい陽気の中で参拝。


近鉄道明寺駅にむかう。このあとは「古市駅」まで南下するのが正しいだろう。時間の確認と調整をしながら南下をするのみ。


参考文献
境内案内看板・由緒書
角川日本地名大辞典・大阪府
神社辞典 東京堂出版
日本の神々 神社と聖地3 谷川健一




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