「武蔵の古社を想う/総社と一の宮編」
<平成13年8月参拝・平成13年9月記>
目次
大國魂神社(官幣小社・武蔵総社)/氷川神社(官幣大社・武蔵一の宮)
氷川神社に関してはこちらもどうぞ(氷川神社の風景)/参考(武蔵国の延喜式内社解説)
「大國魂神社」 <朱印>
<その2>
(武蔵総社・旧官幣小社・東京都府中市宮町鎮座)
当神社は第12代景行天皇41年(111念)5月5日大神の託宣によって創立せられ、武蔵国造が代々奉仕して祭務を司ったという。その後、孝徳天皇の御代に至り、大化改新(645年)により武蔵の国府がこの地におかれて、当社を国衙の斎場して、国司が祭祀を奉仕して国内の祭政を司った。国司が武蔵国内諸社の諸神を配祀したので「武蔵総社」と称し、又両側に国内著明の神社六社を奉祀したので「六社明神」「六所宮」とも称された。
本殿中殿には
大國魂大神
御霊大神
国内諸神
本殿東殿は
小野大神(一ノ宮小野神社・東京都多摩市)
小河大神(二の宮小河神社・東京都あきる野市)
氷川大神(氷川神社・埼玉県さいたま市=旧大宮市)
本殿西殿は
秩父大神(秩父神社・埼玉県秩父市)
金佐奈大神(金鑽神社/かなさなじんじゃ・埼玉県児玉郡児玉町)
杉山大神(杉山神社・場所不明)
を祀る。
現在の本殿は徳川四代将軍家綱の命によって寛文7年(1667年)三月に完成したものである。
また明治18年には官幣小社に列せられている。
大國魂神社社号と大鳥居 |
大國魂神社神門 |
大國魂神社拝殿 |
大國魂神社鼓楼(嘉永7年=1854年再建) |
夏の日差しも弱まってきた8月のある日、私はふと思い立つ。この日は「大宮」に行く用事があった。しかしただまっすぐに「大宮」に向かうのでは味気ない。私の家から「大宮」に行くには「JR武蔵野線」に乗らなくてはいけない。その武蔵野線の大宮方面の反対側に行こうと思う。用事のためにさらなる用事をまとめて片づける。そんな心境で、遠回りをする。なぜかは知らぬが、気楽に行き先を決めてしまった。おもえば、地方の地味な神社を鉄道紀行の方でレポートした気もするが、近代史の範疇ではないそれこそ日本古来の純然たる「神社」を紀行するのは初めてではないだろうか。知らぬ存ぜぬで、気も引き締まる。なにはともあれ「東京五神社」に名を連ね、なおかつ他の四神社以上に歴史上の格が高い神社である「大國魂神社」に向かうことにする。
「府中本町」。この駅のイメージは劣悪である。私にとっては、ただ汚いとしかいえない駅だった。地味な武蔵野線からホーム中央に降りると、頭の上には高架線路が交差しているため昼間でも薄暗い。さらに土日はゴミが錯乱し、新聞は飛び散り、なおかつアルコール臭い。これは私の偏見も弱冠は含んでいるが、どのみち良いイメージはない。幸いにしてこの日は月曜日。劣悪な条件をかもし出している「東京競馬場」は休みであり、駅ホームは静かにただ汚いだけであった。
駅本屋から外を望む。なにやら行列だ。なんだなんだと思うが、どうやらバス待ちのようだ。しかし尋常ではない。なにがというと人種がである。つまり新聞を片手に…、というギャンブラースタイルであった。詳しくは知らない。たぶん多摩川競艇だろうとは思うが、どのみち私にとっては邪魔なだけである。とにかく用があるのは「地図」である。駅前で、方向を確認して適当に歩みを進める。駅のすぐ近くらしいから、これで間違いはないだろう。
ごちゃごちゃとした道を進むと、鳥居がある。もう間違いない。でも、なんか変だ。変なのもそのはずで、横道だった。目の前に参道が横に広がり、右手に拝殿、左手に並木が続く。
まずは、左手に拝殿がある。当然、足はそちらにおもむく。比較的新しそうだけど、自然と協調している門の向こうに朱色が絶妙に剥げた門がある。この狭い空間での門の二重構造とは珍しいように感じる。少なくとも私の少ない神社経験では初めてのパターンだった。
手水舎にて身を清め、拝殿で二拝二礼一拝して、うろちょろ。邪魔なカップルが二人いたりするが、気にせず、退くまでカメラを構えたり、本殿を覗いたりとしたりする。ちょうど、私の後ろに札所があり、お約束事として御守り購入。これで用事はなくなった。
私は、ここでひとつ疑惑が起きてしまった。既成概念として「武蔵一ノ宮」は「氷川神社」と決めつけていたが、どうやらここの神社では三ノ宮としての格付けらしい。これは意外というか、なんというかで、埼玉人としては少し寂しくなってしまった。どうやら「氷川神社」が一ノ宮に昇格をするのは聖武天皇年間らしいので、まあその前は格が低かったのだろうと、とりあえず納得。
境内を散歩しながら、正面の大鳥居に向かう。参道の両脇にはいろいろとお約束の碑がある。大きな神社どこでも必ず大きくある碑が「日露戦争」関係の碑。これは、とにかくどこでも大きくて、「大東亜戦争」関係の碑の規模ではない。おおかた勝ち戦と負け戦の違いが碑にも現れているのだろうが…。
大鳥居を潜ると、そこは都会だった。それくらいギャップが激しかった。正確には「京王電鉄府中駅」につながる目抜き通りらしいが、私はそちらに行く用事もなく、再び生命の息吹あふれる神の杜へととって返し、薄暗い「JR府中本町駅」へと来た道を戻ることにする。
「氷川神社」 <朱印>
(延喜式内名神大社・武蔵国一の宮・旧官幣大社・さいたま市高鼻町鎮座)
御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
今から2400年前、第5代孝昭天皇3年4月の創立と伝えられる。古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足を止めて祈願され、また成務天皇のとき、夭邪志(むさし)国造・兄多毛比命(えたもひのみこと)が出雲族をひきつれてこの地に移住し、祖神を祀って氏神とした。聖武天皇年間のとき「武蔵国一の宮」と定められ、さらに醍醐天皇の延長5年(927年)の「延喜式神明帳」に名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
治承4年(1180)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、土御門天皇の時に正一位に進階したという。武門の信仰も篤く執権北条氏、足利氏、小田原北条氏なども深く崇敬し、また徳川家も尊仰している。
明治元年(1868年)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇自らが親拝なされている。明治4年官幣大社となっている。
現在の社殿は昭和15年6月の改造竣工という。
「氷川神社」の社名は埼玉県大宮を中心に埼玉県下、東京都下、神奈川県下に及び、その数は280社を数えるという。これは武蔵国造の子孫が大宮を本拠に祖神を祀り、武蔵国内に政治的民族的に著しい発展をしてきたことを物語っている。
氷川神社二之鳥居 |
氷川神社楼門 |
氷川神社舞殿 |
氷川神社拝殿 |
「JR大宮駅」。率直に言ってあまり好きではない。根本的には、用事のない街である。埼玉は南部に住んでいる人間にとっては北の大宮よりも当然、南の池袋方面に足が向かう。これは自然の摂理であり、なんてことはない。
大宮駅東口から歩く。この東口から歩くという行為は初めてだった。西口ならたまに使った事もあるし、仙台を似せたであろう空中通路も西口にあるということで、そちらは大宮駅の顔であった。しかし、この東はなんであろう。雑踏として、地味だ。これこそが本来のお宮とともに歩んできた町並みなのであろう。
なにやら行列ができている。まただ。まったく同じだ。その先を見るとやはりバス停があり、行き先は「競輪場」。またまた、そういった関係であった。
「氷川神社」の一の鳥居は実は神社を離れること二キロの距離にある。これはJR京浜東北線・宇都宮線で最近できた「さいたま新都心駅」を出発後すぐのところで、大宮進行方面右側を凝視していると深々とした木々の空間と大鳥居が一瞬だけ見える。ここから歩いても良いのだが、あいにくそれほど歩きたくもないので、大宮駅からショートカットしてまっすぐ歩き、二の鳥居の手前の交差地点から参道に合流することにする。それでも、参道の距離は1キロぐらいあるのだが…。二の鳥居は国道16号沿いにあり高さは13メートルある。これは木造では関東一の高さであるという。
長い。本気で長い参道だ。いや、参道と言うより散歩道だ。とにかく、両側にベンチやら小川やらがミニ公園風に連なり、人々は思い思いにくつろいでいる。
昔きたような気もする。初めてかも知れない。どのみち私の記憶も不鮮明な幼年期の事であり、「神社」として参拝するのはきっと初めてであろう。
三の鳥居を潜る。下乗札がある横を、自転車が走り抜ける。不届き千万ではあるが、街の人は、普通に接している為なのだろう。しかしただの通り抜けにしろ、面白くない。まあ、面白くないのは神社関係者であろうが…。
右手の「神楽殿」と「額殿」がある。左手には社務所と「みこ神楽殿」。進むと、大広間といった空間が広がり、左右双方にさらなる空間が広がり、摂社・末社が見られる。まずは本殿に向かうのが礼儀の様な気がするので、私は右に左に一礼し前を進む。
橋と池がある。正式には神池と神橋である。橋のたもとで親子がコイに餌を与えている。神社らしい、静かな光景だった。
しかし正面はうるさい。いやうるさいというよりにぎやかであった。にぎやかというか鮮やかだった。朱色の門、「楼門」が全面を彩っていた。左手には手水舎。当然、身を清める。ちなみに、神社の境内は基本的には「左側通行」であるという。だから手水舎も左手にある。最近は立地条件から、前提が崩れているところも多いらしいが…。
「楼門」をくぐると拝殿。というのは私の思いこみ。実際には変なものがあった。こういうと語弊がある。門と拝殿本殿の間にあったものは「舞殿」。神に捧げる舞を行う場所であり、重要な場所であるから、変なもの呼ばわりは禁句である。
とにかく、拝殿に到着。参拝して御守りを授かってというのはいつもの流れ。実は、我が家の氏神というか土地神というか、近所の神社も氷川神社。つまり、粗略に扱えないわけである。
さて、拝殿での参拝を終えてしまった。せっかくだから境内の摂社・末社それぞれに頭を下げて来ようかと思う。いちいち名前を挙げるのは煩雑以外の何者でもないので、それは控えて数だけにする。摂社は三社六神。末社は十社十二神。合計で十三社を巡り、頭を下げる。
そんなこんなで、大鳥居に帰ってくる。まだ時間がある。改めて案内板を読みふける。ただそれだけ。
参考文献
○角川日本地名大辞典13・東京都
○角川日本地名大辞典11・埼玉県
○武蔵一宮氷川神社略記(パンフレット)氷川神社社務所
○境内案内板等、その他
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