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「武蔵の古社風景〜谷保・大國魂〜」

<平成16年1月記>

目次・その1
谷保天満宮」/「大國魂神社」/「武蔵国府八幡宮

1月7日に私は高尾の武蔵野御陵に詣でていた。
その帰路、寄り道がてらに神社を散策。今回は谷保天満宮と大國魂神社、境外末社たる武蔵国府八幡宮。



「谷保天満宮」      
(府社・東京都国立市谷保鎮座) 再訪記事はこちら

祭神:
菅原道真公
菅原道武公

由緒
菅原道真の子である道武の創建という。道真には道武という名の子供は存在していないが、父が太宰府に流され子は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(谷保)に配流された際に実名を秘して道武と称したとされている。
延喜三年(903)に太宰府にて道真が薨去され、道武は思慕の情から道真の尊容を刻んで天津島(府中市本宿・国立府中インター付近)の地に社を創建したことに始まるという。
天暦元年に京都北野天満宮造営に際して、当社の威霊を奏上され村上天皇の勅によって神殿が造営され官社に列せられたという。
養和元年(1181)に現在地に遷座。
明治18年府社列格。東日本最古の天満宮とされ、関東第一の天満宮と称せられる。
湯島天神・亀戸天神とともに関東三天神という。

本殿は流造。寛永年間の造営(1624−1643)という。拝殿は江戸末期造営とされる。
甲州街道から表参道を降りると本殿拝殿がある。高台に鎮座する神社が多いなかで、下に降りる神社は珍しい。社殿が街道に背を向けているのは、かつての甲州街道が境内の南を通っていたためという。

谷保天満宮
谷保天満宮
谷保天満宮
本殿
谷保天満宮
拝殿
谷保天満宮
牛と狛犬と拝殿

正月7日の参拝。さすがに神社はまだ賑わいのなかにあった。別に、天満宮に行きたかったわけではないが、近くにあったのでよってみた。
大鳥居から参道をぬけると、石段が下に延びる。その下の方の社地右手に社殿があるという珍しい立地環境。あまりゆっくりと佇める環境でもないので、境内を散策したら立ち去ろうと思う。やはり受験生の邪魔をするのは良くないので。

社殿は府中街道に面している。その府中街道は大國魂神社に続く。ゆえに、もう何度も参拝しているが大國魂神社に行こうかと思う。


「大國魂神社」     
(武蔵総社・旧官幣小社・東京都府中市宮町鎮座)

祭神
本殿中殿:
大國魂大神
御霊大神
国内諸神

本殿東殿:
小野大神(一ノ宮小野神社・東京都多摩市)
小河大神(二の宮小河神社・東京都あきる野市)
氷川大神(氷川神社・埼玉県さいたま市=旧大宮市)

本殿西殿:
秩父大神(秩父神社・埼玉県秩父市)
金佐奈大神(金鑽神社/かなさなじんじゃ・埼玉県児玉郡児玉町)
杉山大神(杉山神社・場所不明)

当神社は第12代景行天皇41年(111念)5月5日大神の託宣によって創立せられ、武蔵国造が代々奉仕して祭務を司ったという。その後、孝徳天皇の御代に至り、大化改新(645年)により武蔵の国府がこの地におかれて、当社を国衙の斎場して、国司が祭祀を奉仕して国内の祭政を司った。国司が武蔵国内諸社の諸神を配祀したので「武蔵総社」と称し、又両側に国内著明の神社六社を奉祀したので「六社明神」「六所宮」とも称された。
現在の本殿は徳川四代将軍家綱の命によって寛文7年(1667年)三月に完成したものである。都重要文化財指定。
明治元年、準勅祭社列格。明治18年には官幣小社に列せられている。

大國魂神社
大國魂神社
大國魂神社
大國魂神社
大國魂神社
拝殿
大國魂神社
本殿

大國魂神社はわたしにとって、比較的行きやすい神社。サイトには特に掲載していないが何度か参拝はしている。参道と市民が一帯となっている気配、参道脇に図書館があるというのがなんともうらやましい環境。
正月ゆえか、確か普段ははいれない本殿後側も今回は開放されていた。三殿にわかれる本殿を間近で見聞でき、摂社群も参拝でたので、散策も有意義なものとなった。
もっとも、神社自体は正月の賑わいを継続中であったが。

この近くにかねてから気になる神社が一箇所あった。一度、大國魂神社から東府中まで歩いたことがあった。その際に通りかかった場所がある。その時の私はコンサートに参加する用事があったためにカメラは持っていなかった。ゆえに今回はカメラを片手に改めて訪問の予定。


「武蔵国府八幡宮」     
(大國魂神社境外末社・一国一社の八幡宮)

祭神
八幡神

由緒
詳細由緒不明。国府八幡宮は聖武天皇(在位724−749)の頃に定められた一国一社の八幡宮として創立したものという。
現在は大國魂神社の境外末社。

武蔵国府八幡宮
武蔵国府八幡宮一の鳥居
武蔵国府八幡宮
京王線が横切る参道
武蔵国府八幡宮
二の鳥居
武蔵国府八幡宮
社殿正面
武蔵国府八幡宮
本殿
武蔵国府八幡宮
境内風景

現在は大國魂神社の境外末社という。いわゆる一国一社の八幡様が当社。境内地はかなり広い。それに比べて社殿の小ささが印象に残る。
武蔵野の杜に囲まれた参道をあゆみ、唐突な京王線の踏切を渡った先に見えてきた小さな社殿のギャップ。そんな気配が愉快であった。


<参考文献>
神社由緒書き


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