「近江湖南の神社紀行・日吉大社編」
<平成16年8月参拝>
目次
日吉大社編<<日吉大社>>
1「日吉大社東本宮」「日吉大社樹下神社」「日吉大社三宮神社」「日吉大社牛尾神社」
2「日吉大社西本宮」「日吉大社白山姫神社」「日吉大社宇佐神社」「日吉大社・東照宮」
湖南編
3「近江神宮」「御上神社」「日牟礼八幡宮」
ムーンライトながら。東海道の夜行列車の定番である。そんなながらの臨時列車として「ムーンライトながら91号」の指定席を確保していた。
品川駅23時55分。
生ビール片手に、夜行快速の座席におさまる至福の時。これだから、夜汽車の旅はやめられないのだ。
となりのホームでは帰宅途中のサラリーマンが連なっている。ビールをあおりながら眺める良い光景だ。向かうはこのやろうだろうが。
連日の旅モード。行く場所未定といいつつも、決めねば成るまい。
その2日前には「大和山之辺道」を歩いていた私。なぜか今週はスケジュールがつまっていて、再び西行することになった。
どこにいくかは明確ではなかったが、稲荷か日吉のどちらか。なんとなくで日吉を選択。
日枝大社にきめた。もう決めた。
本日はムーンライトながら91号。座席ランクは本家に劣るが、全席指定なので「小田原雑居車両」とならないところが良し。さらには本家よりも快速らしく、一時間早く大垣に着ける。ゆえに「ながら1〜3号車」が確保できないときは重宝するのだ。
翌朝。大垣から乗り換えてJR湖西線「比叡山坂本駅」で降りて西に1キロ強歩けば、朝8時過ぎに「日吉大社」に到着していた。
微妙に濡れる路面は前日の雨を物語っていた。確かに前々日に訪れた「龍田廣瀬」の雨を引きずっていたようだ。
「日吉大社」(山王総本社・延喜式内名神大社・朝廷奉幣二十二社の一つ・官幣大社)
<滋賀県大津市坂本鎮座・朱印>
祭神<祭神に関しては各社にて記載>
東本宮:大山咋神
西本宮:大己貴神
由緒
日吉大社は東西両本宮を中心に社殿が鎮座している。全国3800余社の分霊社があり、その総本社。
世にいう山王二十一座とは上七社・中七社・下七社の総称であり、なかでも上七社の西本宮・東本宮・宇佐宮・牛尾宮・白山宮・樹下宮・三宮宮は、その重要な位置を占めている。
境内地は八王子山(牛尾山)を含む十三万坪。国宝社殿として東西両本宮二殿、そして重要文化財として十七棟。かつては境内百八社・境外百八社と称され、境内及び坂本の町々が一大拠点であった。
山王鳥居
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日吉・大宮橋<国重文>
現存する最古の石橋(秀吉寄進)とされる |
「日吉大社・東本宮」
祭神:大山咋神
由緒
古事記に「此の神は近淡海国の日枝の山に坐す」とあり、神代期より比叡山に鎮座する地主神。大山咋神をまつった古代祭祀が当社の起源とされる。
神体山である牛尾山(小比叡山・八王子山)の山頂近くには祭祀遺跡ともいうべき磐境(金大巖・こがねのおおいわ)があり、それを取り巻き「牛尾宮」「三宮宮」がある。
のちに牛尾宮の祭神が山麓に祀られ、これが東本宮となり、三宮宮の祭神が山麓で摂社樹下宮となった。
この山麓二宮の成立は崇神七年とされる。山上には荒魂を祀り、山麓には和魂をまつる形態。
東本宮本殿<国宝>
日吉造、檜皮葺。
日枝造は、一名を聖帝造といい、側面背面が特徴的。西本宮本殿とほぼ同様の造りであるが、背面の三間の床が一段高くなっている。
文禄四年(1595)に西本宮本殿に次いで復興された。
東本宮拝殿<国重要文化財>
入母屋造、檜皮葺。文禄五年(1596)ごろの建立。
東本宮楼門<国重要文化財>
天正〜文禄期(1573−1593)年頃の建立。
三間一戸楼門形式。入母屋造、檜皮葺、縁付き。西本宮楼門と比べるとやや一階部分が高く、二階部分が低い建築物。
「樹下神社」(樹下宮・日吉大社摂社)
祭神:鴨玉依媛神(大山咋神妃神)
樹下神社本殿<国重要文化財>
文禄四年(1595)建立。三間社流造、檜皮葺。
樹下神社拝殿<国重要文化財>
文禄四年(1595)建立。入母屋造。檜皮葺。
樹下神社の拝殿と本殿を結ぶ線と、東本宮の楼門・拝殿と本殿が直角にまじわる境内配列は珍しいものとされる。
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上・右上・右写真
日吉大社・東本宮
楼門<国重文> |
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左写真
東本宮境内。
左側に樹下宮本殿<国重文>
中央が東本宮拝殿<国重文>
右側が樹下宮拝殿<国重文>
社殿配置が交差している珍しいレイアウト |
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左上:
樹下宮拝殿<国重文>
上:
樹下宮本殿<国重文>
左:
東本宮拝殿<国重文> |
東本宮本殿<国宝> |
東本宮本殿<国宝> |
東本宮本殿<国宝> |
東本宮本殿<国宝> |
受付からすぐの所に小川<大宮川>が流れており、そこには重要文化財の石橋<大宮橋>が架かっている。真っ正面には独特で代表的な「山王鳥居」が緑に埋もれている。そのまま正面に進めば「西本宮」に到達する。手元の地図を見ながら、どういう風に散策するかを迷う。なにぶん、広すぎる境内。正直なところ、どこから手をつけてよいのかすら、途方に暮れてしまう。
さしあたり、一番遠いところから参拝しようと思い、「東本宮」へと向かう。
途中、世に名高い「山王神輿」<重要文化財>を収蔵している神輿庫を見聞し、8時30分に「東本宮」に到着。
楼門をみあげて、足を踏み入れる。そしていきなり仰天する。社殿がたくさんあるのですが。
落ち着いて案内文をみると、東本宮と樹下神社の拝殿本殿が交差する境内配置、とのこと。それゆえに楼門からみると右に樹下神社拝殿、中央に東本宮拝殿、そして左に樹下神社本殿が鎮座している。そのいずれもが重要文化財であり、東本宮の奧には国宝の本殿が鎮座している。
朝の8時30分という時間はかなり贅沢な時間であり、あいかわらず誰もいない境内を私は満喫する。それこそ無造作に近い状態で、目の前に鎮座している社殿群に目を奪われ、境内を右往左往する私は完全に虜になっていた。
8時50分。東本宮から次に進む。次は「牛尾宮・三宮宮」に赴こうと思う。簡単な気分で足を進めた私はすぐさま二後悔する。道が並みの山道ではなかった。恐らくは今日はじめて足を踏み入れたのが私かも知れない。前日に降った雨が山道を濡らしており、そして予想以上の急斜面。日頃の運動不足かはしらないが、何れにせよ尋常の道のりではなかった。もう嫌だ嫌だ、と愚癡りながようやくに山頂に到達したのが9時5分。山道急斜面を休むことなく歩んだ15分間は異常に長かった。私の神社参拝歴でも、この道のりを超える山道はなかった。そのぐらいの迫力でもって私を迎えてくれた社殿は崖上に鎮座しており、非常に狭い空間にあった。
「牛尾神社」(牛尾宮・日吉大社摂社)
祭神:大山咋神荒魂
本殿は三間社流造。拝殿は懸造(舞台造)。崖上に鎮座。文禄四年(1595)に建立。ともに国指定重要文化財。
「三宮神社」(三宮宮・日吉大社摂社)
祭神:鴨玉依姫神荒魂
本殿は三間社流造。拝殿は懸造(舞台造)。崖上に鎮座。慶長四年(1599)に建立。ともに国指定重要文化財。
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左写真
八王子山(378M)登山口 |
ようやくにみえた山宮 |
右が牛尾宮<国重文>
左が三宮宮<国重文>
空間が狭く、写真レイアウトに無理がある環境。 |
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左写真
金巖石(磐境) |
三宮宮<国重文> |
牛尾宮<国重文> |
正面から向かって右手に牛尾宮。そして左手に三宮宮。その間に「金巖石」の磐境がある。しばし、休息。足を休めないことにはどうにもならなかった。窮屈な空間。よくぞまあ、この空間に社殿を建立したものだと関心しつつも呆れ、そんな社殿群に敬意を表する。ここは尋常ならざる空間であった。
登るよりも降りる方が大変だということを改めて認識する。思いっきり足を引きずられズルズルすべる斜面。かなりの恐怖を感じながら、下山する。やっぱり15分の道のりとなる帰り道。
私もそれなりに神社参拝をこなしているが、ここまで恐怖を感じた道のりはそうそうない。奥社に行く時は体力に自信があり、なおかつ足元が乾いているときをお勧めする。そうでないと、かなり辛いです。
ようやくに山を下りて、次いで「西本宮本殿」にむかう。
ただページが長くなったので次ページにて。
参考文献
境内案内看板・由緒書
神社辞典(東京堂出版)
角川地名大辞典25・滋賀県
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