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「とんぼ返りで札幌の神社詣で〜フェリーと神社と寝台特急」

さんふらわー・さっぽろ」/「札幌諏訪神社」/「寝台特急・北斗星


銚子大神幸三社」をめぐったあと、銚子から大洗に北上。大洗港からフェリーに乗って、苫小牧へ。そんな旅程を組んでいたのだ。
一緒に廻っていた赤城おろしさんのご厚意で、大洗まで車に乗せて頂きました。
12月30日18時30分。大洗港からフェリーが出航する。このフェリーは翌日の13時30分に苫小牧に到着予定。

さんふらわー・さっぽろ

以下、wikiペディア(さんふらわあ)より。
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さんふらわあ さっぽろ(2代目)
1998年8月竣工、同年11月就航。13,654総トン、全長192m、幅27m、出力35,600馬力、航海速力24ノット。
旅客定員632名。車両積載数:トラック180台・乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
元・東日本フェリー「ばるな」(3代目)。2002年6月より商船三井フェリーによる運航となり、2005年1月に船名変更。夕方便に就航中。
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そんなフェリーにのって、船旅に。
実は去年は同じ日に「さんふらわあ・ふらの」(元東日本海フェリー「へすていあ」)に乗っていた。そのときは、嫁になる前の彼女を含めて友人たち4人での乗船だったけれども、今回は嫁と二人旅だったり。そう考えると不思議なものだけど、このたびの発案は嫁だったりするのだ。

大洗港より、深夜便の さんふらわあ・しれとこ

さんふらわあ・さっぽろ のデッキより

12月31日の日差し

さんふらわあ・さっぽろ デッキ

名古屋−仙台−苫小牧航路の きたかみ

苫小牧港
海峡を抜けるあたりで、結構な揺れを感じたりしながらも、冬の海を北上しつつ続けて、定刻通りの13時30分に北海道苫小牧港に到着。私にとっては2回目の北海道。前回も今回もそんなに北海道の滞在時間はないのだが。

苫小牧港からタクシーに乗って苫小牧駅に。
時間が惜しかったので、連絡バスを使わずに一気に電車で札幌に向かうというショートカットを試みてみる。あとから聞いてみたところによると北海道各地で大雪だったらしく、苫小牧−札幌間の高速バスにのっていたら到着時間がどうなっていたかはわからなかった。

そんなこんなで札幌駅には15時すぎに到着。札幌での持ち時間は2時間しかないので、駅から近場の神社に詣でてみる。最初は「北海道神宮」とかも検討していたが、さすがに雪の円山公園を強行軍するのも気が引けたので、それは取りやめて地図を見て近そうだった「札幌諏訪神社」に赴いてみる。



札幌諏訪神社旧村社(郷社申請中に社格制度廃止)・北海道札幌市北区北12条東1鎮座

祭神:建御名方命(タケミナカタノミコト)
   八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)

当社は長野県の諏訪大社の分霊社。
信州出身の上島正(かみしまただし・札幌開拓の先駆者の一人)氏ら30余名が、この地に移住して開墾の業を始め、移住者の総意によって信濃国の宗社であった官幣大社諏訪神社(諏訪大社)の御分霊を勧請し、明治15年3月12日に上島邸内に小祠を祀った事に始まる。
明治31年、無格社列格。昭和9年に札幌村から札幌市に編入されるにあたって村の基本財産でもって社殿を改築、社務所を新築した。
昭和9年4月に村社列格。昭和20年に郷社への昇格申請が出願されるも、終戦となり社格制度は廃止された。
現在の社殿は昭和41年造営のもの。


札幌諏訪神社

境内

拝殿

社務所

社殿

社殿
地下鉄東豊線北13条東駅より徒歩3分の地に鎮座。
じつは、このときがはじめての北海道の神社だったりする。北海道らしく雪つもる中での参拝。ちょうど12月31日の大晦日ということもあって総出で雪かきをおこなっていた。
とても古風で味のある建物をしていた社務所で御朱印を頂戴する。忙しそうではあれど、快く御朱印を書いて頂いた神職さんに感謝。正月を目前にしてにぎわいの準備をする神社をゆっくりとめぐり、そうして札幌駅に戻る。



札幌駅では北海道の友人と道内を旅行していた静岡の友人と再会。北海道の友人に2年続けての滞在時間2時間北海道に呆れられつつ見送られつつ、私と嫁と、ここから合流した静岡の友人とともに17時10分発の寝台特急北斗星に乗り込む。

そうして13時30分に苫小牧に着いて、15時に札幌に到着して、17時10分に札幌を離れるというあんばい。
私の嫁はこのスケジュールでの北海道旅を3年連続で続けており、2年目・3年目は私も一緒して旅行しているわけだが、これにはいろいろと理由もある。


寝台特急・北斗星

wikiペディア・北斗星

12月31日の日の出は太平洋上をいくフェリーから拝み、1月1日の日の出は寝台列車の中から拝む。無駄が多い旅のようでいて、とっても贅沢な旅であった。
もともとこの日の北斗星に乗る理由があった。
3年前に、彼女(=今の嫁)が一人で北斗星に乗っていた際、一人の少年に出会ってそのときにまた来年もここ(北斗星)あおう、と約束したことにはじまり、そして2年前。彼女とそのときは私と友人二人も含めて北斗星にのったら、なんと少年がいて感動の再会。またまた来年もここであおうね、と約束したものだったので、こうして今年も乗ってみたというわけ。
ただし、今年は北斗星自体が臨時も含めて去年までは3本あったのが1本に減らされてしまい乗車が困難。また少年も1年前に「もしかしたら次は乗れないかもしれない」といっていたので、3年目は会えない予感はしていた。
結果、少年は乗っていなかったようで会えなかった。
でも面白いもので、嫁が3年前にたまたまムーンライトえちごで見送りオフをした青年が偶然乗っていたりして、不思議な出会いは形を変えて継続していた。

ぶれてますが、北斗星

北斗星用DD51機関車

DD51機関車

北斗星

函館駅にて、機関車つけ替え。

ED79電気機関車 青函連絡トンネル用機関車

連結

グランシャリオ 北斗星食堂車

ロビー車

平成21年1月1日の日の出

朝日浴びる食堂車

上野駅にて
北斗星の車内の夜。窓からふと外をみれば、夜空に星が浮かび、真正面に「北斗七星」が浮かんでいた。
そんな最高の贅沢を全身でうけとめ。心を震わせる。
じーっと星をながめつつ、踏切の音、レールのきしみ、列車の気配を感じ取る。

そうして朝になって平成21年の初日の出を北斗星のロビーで迎えるひととき。
幸せだった。
きっと今年も良い事が多いに違いない、そう想いながら寝台列車は上野駅に向けて走っていった。


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