「南奥州仙台訪拝記・その1」
<平成16年3月参拝>
その1.ムーンライト仙台/塩竈神社/志波彦神社/御釜神社
その2.陸奥総社宮/多賀城祉/多賀城神社
その3.仙台市内神社(大崎八幡宮・青葉神社・仙台東照宮)
その4.竹駒神社
「ムーンライト仙台」
ムーンライト仙台という異色な夜行快速をたまたま時刻表で発見する。夜行快速は数多くあれど、東京から東北はなかなかアクセスしにくかった。「仙台」という地名を目にしたとたんに私は決意する。こいつに乗り込もう、と。
私の本籍は福島県。阿武隈川にほど近い伊達郡にゆかりがある。伊達郡はその響きのとおりに伊達氏の発祥の土地。福島伊達郡から勢力をひろげ出羽米沢、そして岩代黒川、陸前岩出山をへて、奥州覇者たる伊達氏は仙台に盤石の体制を築いた。
私のハンドルネームも郷里を想い、伊達を僭称している。神社紀行にて全国を飛びつつある私も福島以北の東北地方はいまいち希薄な気配。それでも奥州人のはしくれである私は、この地に愛着心がある。いつかはいかねば、という想いを抱きつつ。
ムーンライト仙台は22時15分に東京駅を出発し、京葉線・武蔵野線を経由。武蔵浦和付近の貨物線を利用して東北線に到り仙台には6時21分に到着する。仕事終了後に東京駅に向かい、夜列車をぼーぜんと待つ私。なにやらホームには「鉄ちゃん」と俗に呼称される人種が多いように見受けられる。私も昔は「鉄」だったので、その気配はよくわかる。
「ムーンライト仙台」が入線。その姿を目にして、鉄道ファンが多い理由を即座に理解する。国鉄特急のなかでもかなりレアな部類に入る電車寝台がそこにいた。昼間は座席特急車両として運用され、夜間は座席や網棚を倒し、座席を一新させ寝台を作り出し寝台特急として運用するという荒技を発揮してくれる特急車両。
こんな車両に乗り込むのはもちろん初めて。もっとも夜行快速での運用は座席なのでせっかく寝台設備を備えていても、まったく意味はなく、狭いクロスシートに閉口するだけなのだが。特急車両といっても4人席ボックス型クロスシートなので、そこには全くといって良いほど、快適さは期待できないのだ。
もちろんそんなことは一切関係なく、列車は闇夜を進む。見ず知らずの向かい席の青年たちは年若く「電車」に乗ることが楽しくて仕方がない様子。私も、鉄道趣味は心得ているので嫌いではない。嫌いではないのだが熱意は枯れ気味。旅慣れた気配を漂わせ、ノートパソコンと戯れているだけ。斜め前方に「VAIO」のA4サイズのノートを叩いているやつがいるが、そいつに比べて私は「LibrettoL5」なので、モバイラー的に優位な気分。だからどうなのだというものであるが、私としてはこの「夜行」の最中に行くべき場所を絞らなくてはいけないので、ある意味では必死なのだ。塩竃神社以外に行くべき場所を決めていないので。構想はいくらでもあるのだが。
夜行に朝が訪れる。強烈な朝ではなく徐々に明るくなるぼんやりとした展開。気がつけばあたりは濃霧に包まれている。懐かしい福島の地をいつしか過ぎ去り、電車は黙々と朝霧のなかで蔵王の白峰を拝す。
賑わう出発前の東京駅1番線 |
ムーンライト仙台 |
ムーンライト仙台。仙台駅にて |
座席寝台の車内。寝台の時はこいつを倒すのだ・・・
もっともムーンライト仙台は座席快速夜行 |
仙台に6時21分に到着する。さすがに車中で食した「夜行のおやつ」程度ではお腹が芳しくないので、6時30分の開店早々の駅コンビニで朝飯ともどもに物資を調達。せっかくの仙台なれどコンビニを使うのは致し方がない。
仙台から仙石線に乗りかえる。かつての仙石線は地上をぬうように走っていた。今では地下鉄になっている。6時42分の電車に乗り込む。ぼーっとしているとさきほどの「ムーンライト仙台」で相席となった青年たちが乗り込んでいた。彼らは鉄道旅を楽しみつつ、おそらくは太平洋沿岸三陸海岸を北上するのかもしれない。うらやましいことだ。
「本塩釜駅」7時11分。地元の人数人にまぎれて私も下車をする。さすがにこの時間から「観光をする酔狂人」はいないようだ。
7時25分。本塩釜駅から700メートルほど西に歩むと鳥居がみえる。しかし質素な鳥居の先に参道が確認できない。不審に思い歩みをすすめると、道はつづら折りに曲がっていた。塩竃神社とあるのだから、参道は小さくても間違いはないのだろう。塩竃神社という雄大なイメージとは反する地味で落ち着きを払った参道を登る。あとで私は知ったのだが、この参道はいわゆる脇参道(七曲坂)。正面参道は、大鳥居から楼門まで一直線に結んでいる雄大で急勾配な参道。端的に面白みにあふれている参道であった。
「塩竈神社」(陸奥一の宮・国幣中社)
<宮城県塩竃市一森山鎮座・朱印>
主祭神:
左宮:武甕槌神
右宮:経津主神
別宮:鹽土老翁神
由緒
当社の創建年代は不詳。武甕槌神(鹿島神)と経津主神(香取神)が陸奥国を平定した際に、両神を案内した鹽土老翁神がこの地に留まり塩造りを教え、その後に土民に祀られたことにはじまるとされる。
陸奥国一の宮。東北隨一の古社。
拝殿前には藤原忠衡奉納の文治三年(1187)銘の南蛮燈籠があり、奥州藤原氏の崇敬がうかがえる。
鎌倉以降は奥州留守職である伊沢氏が大神主。江戸期以降は仙台藩主伊達氏が大神主として祭事も司ってきた。
社殿は元禄8年(1695)、伊達四代綱村の着手により、伊達五代吉村の宝永元年(1704)に竣工。20年ごとの式年遷宮(修営制度)を残す。平成14年に三本殿二拝殿の社殿をはじめとする14棟の建築物と石鳥居1基が国の重要文化財に指定されている。
明治7年(1874)に国幣中社列格。
七曲坂参道入口
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七曲坂参道
原形は奈良期にさかのぼる古道 |
塩竈神社鳥居 |
塩竈神社正面参道 |
随身門 |
神門 |
別宮 |
別宮社殿 |
左宮右宮拝殿 |
左宮右宮拝殿 |
左宮右宮社殿 |
文化燈籠<文化年間1804年> |
文治燈籠<藤原忠衡奉納の文治三年(1187)銘> |
御神木・杉(樹齡800年) |
「志波彦神社」 (延喜式内名神大社)
<宮城県塩竃市一森山鎮座・朱印>
主祭神:志波彦神(奥州開発神、志波郡の名が残る)
由緒
もとは、東山道から陸奥鎮守府たる多賀城国府に入る要所たる宮城岩切の地(冠川明神)に鎮座していた。延喜式では名神大社として列格。奥州隨一の大社。
明治四年に国幣中社列格したが、当時の志波彦神社は小祠であり官祭を執行するのが不可能であったため、塩竈神社別宮に合祀された。昭和13年に現在地に遷座された。
参道を曲がりながらのぼると、広場にでる。宝物館と鳥居。左手の鳥居は「志波彦神社」。右手が「塩竃神社」。どちらも由緒正しい神社ではあれど、まずは塩竃神社に向かおうと思う。
おそらくは地元の人たちだろう。朝早くから境内を掃除している人々がいる。おはようございます、という新鮮な空気を交じあわせながら、歩みをすすめる。まっすぐに歩むと、右手に神門及び社殿群があり、そして左手に楼門がある。楼門の先は急勾配な石段。どうやらここが正面らしいと気がつくもすでに遅い。帰り道は正面を通ろうと思いつつ、右手の社殿にむかう。
神門をぬけると左手と正面にそれぞれの社殿。さらに正面が右宮・左宮とふたつの拝所ももうけており、つまり都合3カ所の本殿がある。三本殿(別宮・右宮・左宮)二拝殿という珍しい境内。
朝早くではあるが、地元の方々が時折詣でている境内。敬虔な気持ちで、それぞれに拝す。参拝手順としては先に別宮を拝するらしく、私もそのように参拝。拝し終えたあとは悠々と境内散策。というのも札所が開いていないから。
志波彦神社に赴く。境内入り口からは塩竃港を望める好立地。松島の海を思いつつ、しばし潮がうみなす景観を眺める。志波彦神社を拝していると、神社境内のさらに右奥にある社務所から続々と神職さんたちが出勤している気配を感じる。社務所から志波彦神社を通って塩竃神社に赴くというみちすがら。神職さんや巫女さんが、気を漂わせながらに歩む姿を垣間見つつ、そろそろと私も塩竃神社にもう一度赴く。なぜなら御朱印を頂戴していないから。
朝一番の掃き清めを行っている巫女さんたちの邪魔だてなのかもしれないが、私も時間には限りがあるので、手近な巫女さんに「御朱印は大丈夫ですかね」と尋ねる。しかるべき人が「準備をしますので少々お時間を頂きます」といいつつ、私はしばしの待ち人となる。
8時30分に塩竈神社をあとにする。7時30分に七曲坂をのぼりはじめたので都合1時間も滞在していたことになる。
「御釜神社」(塩竈神社末社)
祭神:鹽土老翁神
鹽土老翁神の製塩旧祉。塩竈の地名発祥の地。境内には製塩の神釜が今も伝えられている。
8時40分。
正面参道から東に400メートルほど戻ると「御釜神社」がある。この塩竈神社末社は塩竈の由来たる製塩の釜を祀る神社。境内には神事に使用されてきた釜が残されている。
のんびりとした陽気の中で、御釜神社を詣で、
一度「本塩釜駅」まで戻って思案する。多賀城にいくべきかどうかを。手元の地図でみる限り直線距離三キロ先に「陸奥総社宮」が鎮座している。やはり行かねばならないだろう。
この付近の鉄道はかなり不便であり、仙石線と東北本線の連絡は容易ではない。珍しい選択肢を選んだ私は本塩釜駅前のタクシーに「多賀城の陸奥総社宮まで」と乗り込んだ。タクシーのおじさんと会話が弾む。「松島方面に行く人は多いけど陸奥総社ははじめてだ」とか「その神社はなにかあるの?」とかいろいろ。多賀城の話をしつつ、一の宮「塩竈」と総社の話をする。「若いのに凄いねえ」とヘンに関心され、あっという間に総社宮に到着。「神社周辺はなにもないけど帰りはどうする?」といわれるも、私は「のんびりと多賀城祉を歩いて陸前山王駅までいきますので大丈夫です」と返礼してタクシーをおりる。
時間は9時ちょうど。
ただし文中では続く・・・ということで。
参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版
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