神社紀行〜全国編
神社紀行〜武蔵国編
武蔵国延喜式内社
神社御朱印
記紀神話の神様
神社つれづれ
靖國神社を想ふ
かみちゅ!舞台探訪参詣記
武蔵調布の神社歳時記
下総銚子の神社歳時記
 
掲載社一覧
神社所在地図一覧
掲示板
りんく集
 
Google

WWW を検索
サイト内検索

−表紙に戻る−


「南奥州仙台訪拝記・その4」
<平成16年3月参拝>

その1.ムーンライト仙台/塩竈神社/志波彦神社/御釜神社

その2.陸奥総社宮/多賀城祉/多賀城神社

その3.仙台市内神社(大崎八幡宮・青葉神社・仙台東照宮)

その4.竹駒神社


仙台駅まで戻り、牛タンなどを食して、さてそろそろ埼玉のおうちに帰ろうかな、という気配。なにやら呑気になってしまい、仙台にいること自体が摩訶不思議。
午後3時前に仙台駅を出発し、15分ほど乗車して岩沼駅で下車。

岩沼駅から1キロほど南に歩むと神社の気配を感じる。神社気配は稲荷らしくはない。ただ、稲荷らしい幟旗が、賑賑しかったが。「竹駒神社」という稲荷社。駒ではあるが稲荷。さらには「日本三大稲荷」のひとつとされる古社がある。もっとも「三大○○」の三番目は良く入れ替わるものであり、候補多数なのも周知ではあるが。
すくなくとも「佐賀県の祐徳稲荷」「茨城の笠間稲荷」「宮城の竹駒」が日本三大稲荷を呼称している。きっと大本たる「京都の伏見稲荷」は別格なのだろう。そう考えれば「日本三大稲荷」も納得がいく。もっとも仏教系の「愛知の豊川稲荷」もあるのだが・・・。



「竹駒神社(県社・日本三大稲荷のひとつ)
<宮城県岩沼市稲荷町鎮座・朱印

主祭神:倉稲魂神・保食神・稚産霊神

由緒
創建は仁明天王の承和9年(842)。小野篁(おのたかむら)が陸奥守を拝命し、多賀国府に赴く際に、山城国稲荷山に詣で、国府鎮守神になられんことを懇請。稲荷明神はその情に感じ、白狐の姿となって現れたので篁は、白狐を伴い多賀鎮守に向かった。奥州名取郡にさしかかった折に武隈の林に白狐が駆け込んだので、その一角に神社を創建したのがはじまりとされ、古くは武隈明神とも称した。

永承年間(1046−53)に能因法師が武隈明神の所在を竹駒に乗った童に尋ねると、童は何も答えずに西方の森を指して消え去った。能因はこれによって武隈明神の霊地に赴くことが出来たとされ、それによって竹駒と称したともいう。

伊達氏が仙台を領すると、仙台藩の穀倉神として代々の篤い崇敬をうけてきた。
明治7年に県社列格。日本三大稲荷のひとつとされ、その分霊は400余を数える。

平成2年11月21日に過激派の愚劣なる暴挙によって280年前に造営された歴史ある社殿が惜しくも炎上。平成5年に現在の社殿が復興した。

武隈の松 左;二木の松(武隈の松)
陸奥歌枕の名木。
陸奥国司となった藤原元良が植えたのがはじまり。
能因・西行・芭蕉をはじめ多くの歌人に詠われた

現在の松は7代目とされ、文久2年(1862)に
植えられたものという。
竹駒
裏参道
竹駒
表参道
竹駒
楼門(随身門):文化9年(1812)造営
竹駒
唐門:天保13年(1842)造営
竹駒
拝殿
竹駒
本殿及び元宮跡・奥宮入口
竹駒
元宮跡(焼失前の社殿地)
竹駒
奥宮

竹駒神社のほど近くにある「武隈の松」が藤原元良(元善)が陸奥国司に任じられた際に館の前に植えたのがはじまりとされる。一説に陸奥国府はある時期に武隈に所在しており、そののちに多賀に移ったという説もある。また国府所在地ではなく国司館があったともされ、いづれにせよ武隈の地は歌枕としてだけでなく、その真偽不明ではあるが、陸奥国政の上で武隈が重要な位置を占めていた可能性も鑑みることが出来る。そう考えると宮城を代表する名社である塩竈と竹駒の二社と多賀と武隈の関係も興味深い。

そんな武隈の松をながめて、あゆむと竹駒神社に到達する。稲荷らしからぬ社殿をながめ、拝し、そして楼門・唐門を見聞し、朱印を頂戴し、という一連の行動。
社殿の下に鳥居があり下に通路がある。なんだろなと思いつつ足をすすめると元宮跡があった。文面をよんでみると、どうやら平成2年に社殿を焼失してしまったらしい。それも過激派の放火によって。この場所にたち、手を合わせるとはかなさとともに憤りを感じる。信仰をないがしろにする行為、歴史を踏みにじる行為、神社に放火するという頭の発想。いまの日本を取り巻く環境は様々であり、このような愚劣極まりない行為があった、という事実の前に、しばし時を忘れて物思いにふけってしまった。

岩沼駅を16時20分過ぎに出発。これから6時間かけての帰宅。福島・黒磯と乗り換える定番の東北本線鈍行電車はいわば通い慣れた道のりでもある。さしての新鮮度もなく、あとは座席に沈みうつらうつらとするのみであった。
福島を故郷とする私にとって、南奥州は馴染み深い土地柄。また近いうちに訪れることを確信しつつ、なじみ深い駅達をたどりつつ東北玄関たる大宮駅に向かう電車は、満喫された夜空に進んでいった。


参考文献
神社由緒看板及び御由緒書
神社辞典・東京堂出版




前に戻る


−表紙に戻る−