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「郷土の鎮守様〜渋谷区中南部の神社散歩」

<平成22年7月参拝12月記載>

 1.「千代田稲荷神社」(渋谷区道玄坂)
 2.「御嶽神社」   (渋谷区渋谷)
 3.「金王八幡宮」  (渋谷区渋谷)
 4.「豊栄稲荷神社」 (渋谷区渋谷)
 5.「渋谷氷川神社」 (渋谷区東)
 6.「伊藤稲荷神社」 (渋谷区東)
 7.「恵比寿神社」  (渋谷区恵比寿西)

 「渋谷区中北部の神社」編

  渋谷区の神社 googleマップ一覧




2010年7月の記録。
今回は渋谷駅周辺から早朝神社散歩を開始してみた。



「千代田稲荷神社」<渋谷区道玄坂鎮座>
  (ちよだいなり神社)

御祭神:宇迦之御魂命

長禄元年(1457)太田道灌江戸築城の時、守護神として伏見稲荷を勧請したのを創祀とする。
徳川家康入城後、今の宮城紅葉山に遷座し慶長7年(1602)城地拡張の時に渋谷宮益坂に遷座。江戸城の別名を取り千代田稲荷と称した。
付近住民の崇敬篤く、特に和宮御降嫁のさいに奇瑞を現し途中を守護したので着城後代参あり。
大正12年関東大震災の年に渋谷百軒店に地を相して再度ご遷座。
戦災により社殿消失。戦後は仮殿にて維持をすすめ、適地を求めて現在地遷座。同時に元梨本宮家の邸内社を譲り受け新社殿とし昭和27年に再整備を完了。
従来より当地の守り神とされていた中川稲荷社を末社とする。


昭和37年造

昭和37年造

午前7時。渋谷駅に到着し道玄坂方面へ。正直いって通常では歩きにくい場所。それゆえに朝早めの参拝を決行してみた。
歓楽の夜があけた道玄坂はぼやりとしていて、そんな中をずんずんと歩く。そうして道玄坂のホテルが集まった場所の奥。それこそどん詰まりに神社が鎮座していた。
周辺の環境とはかなりミスマッチ。場違いな私は神社に訪れることでようやく一息つけたといったあんばい。そんなに大きな稲荷社ではないけれども、立地環境が立地環境なだけにかなりの安心感に溢れていた。ちょうど朝の掃除が終わったところのようで、境内には水が撒かれており清々しかった。



御嶽神社(宮益御嶽神社)<渋谷区渋谷鎮座>

御祭神:日本武尊
    大国主神・秋葉之神・菅原之神

大和国吉野郡金峯神社分祭の社にして日本武尊を奉斎する。
創立は元亀元年(1570)にして寛永年間(1624-44)再建とされる。

明治3年4月17日かしこくも明治天皇駒場野練兵場において我が国最初の観兵式統覧のため行幸のさい、ご往復ともにお召替のために御小休所となったところでもある。
昭和12年6月に文部省により聖跡に指定。
昭和20年の戦災によって社殿消失・仮殿にて35年維持経営を行って来た。
昭和55年に渋谷区の商工会館併設計画による合議によって3階部分に鉄筋の社殿。社務所付属建物は商工会館と併設して新造。1階部分に貸駐車場と貸事務所を設けた建造物を建立。

毎年11月の酉の市は盛大に開催されている。


昭和29年造営の鳥居。ビルの3階へと伸びる石段。

社号標は平成7年

明治天皇御嶽神社御小休所阯の碑

渋谷駅に戻り、今度は駅の東側に。
7時50分。
渋谷郵便局の西隣に鎮座。地図を見ながら歩いていたら、裏の方に到着してしまったようで、入口を慌てて探す。予備知識もなくビルしかないけど???な状況で、上をみたら神社っぽい空間があったので、ようやくの見つけた安堵感に包まれる。立地的にはビルの3階屋上部分に鎮座しているイメージとなる。
立地環境故に樹木は少ないが、清められた境内はとても凛とした空間が保たれていた。玉砂利も掃き清められており、ついつい背筋が伸びてしまうような神威的空間がそこにはあった。



「八幡神社(金王八幡宮)」<渋谷区渋谷鎮座>

御祭神:応神天皇(品陀和気命)

寛治6年(1092)渋谷氏の祖河崎土佐守基家の創祀とされる。

桓武天皇の曾孫である高望王の後裔で秩父別当職にあった桓武平氏秩父氏の武基は源頼信による平忠常の乱平定に功績があり、軍用八旒の旗を賜り妙見山(武甲山)に旗を納め八幡宮を崇め奉わった。
武基の子である武綱は嫡子重家とともに源義家の軍(後三年の役)に従って大功を立て、河崎土佐守基家の名を賜り武蔵谷盛の庄を与えられる。
源義家は今回の勝利は河崎基家が信奉する月御旗の加護なりとして、河崎基家とともにこの地に月御旗を奉じて八幡宮を勧請した。

河崎基家の子である河崎重家の時に堀河天皇より渋谷の姓を賜う。これが渋谷の地名の起こりともいわれる。
渋谷氏は八幡宮を中心に一帯の高台に館を築き居城とし氏族の鎮守として崇敬。当社は元は渋谷八幡宮と称した。

渋谷重家の子である渋谷金王丸常光は源義朝・頼朝に仕え鎌倉幕府創立の功労者でもあり名声高かったため、金王丸にちなんで金王八幡宮と称されるようになった。
境内にある「金王桜」は金王丸の名前を長く伝えたいと頼朝が名付けたもので、渋谷区指定天然記念物となっている。

現在の社殿は徳川秀忠の時代に竹千代(家光)三代将軍に決定した御礼として春日局と家光守役の青山伯耆守忠俊が寄進。何度か修理がされているものの江戸初期の建築様式を残しており、渋谷区内ではもっとも古い木造建築として渋谷区重要文化財に指定されている。

神門造営期には明和6年(1769)と享和元年(1801)の2説あり。いずれにせよ江戸中期の建立とされている。

終戦後、区画整備により境内地が分断され表参道が公道に変わり周囲の道路が新設もしくは拡幅された。
昭和29年に幼稚園を設立。昭和38年に社殿修復。昭和40年に参集殿を新築。昭和47年に御鎮座880年記念事業として境内整備と玉造稲荷社・金王丸社を新築。
平成23年に御鎮座920年、金王丸生誕870年、ご社殿造営400年記念事業を計画している。

公式サイト


金王八幡宮 昭和38年社号標

江戸中期造営とされる神門

金王八幡宮社殿と金王桜
頼朝が金王丸をしのび鎌倉亀ヶ丘の館からこの地に移植されたと伝承

江戸初期に造営とされる社殿

ご神木 椎の木


金王丸御影堂

境内・御嶽神社
狛犬と西鳥居はかつて実践女子学園校内の「香雪神社」を移設。
下田歌子女史を祀っていた「香雪神社」は戦後に廃絶。

金王八幡宮・西鳥居
もと「香雪神社」鳥居が寄進されている。
ちなみに社殿は「出雲大社東京分祠・祓社」に寄進されている

8時20分。
渋谷の御嶽神社から南下し六本木通りを渡った先に鎮座しているのが「金王八幡宮」。
このあたりは学生風の若者が多く歩いている。渋谷駅から金王八幡宮を経由して歩けば、行き着く先が「國學院大学」。なるほどなといったあんばい。
境内は広め。このあたりではかなり立派な佇まいを誇る神社。ちょうど社殿内の掃除をしていたご婦人がおりご挨拶をば。そのまま御朱印を頂戴する。朝が早いのでいつもは御朱印を頂戴するのを遠慮気味ではあるのだけれども、今回はタイミングがよかったということで。

渋谷氏名残の八幡様。意外に由緒が奥深く、渋谷金王丸常光のことを由緒で学びつつ参拝。居心地が良く結構長居してしまった感じだ。



「豊栄稲荷神社」<渋谷区渋谷鎮座>

御祭神:田中稲荷大神・豊沢稲荷大神

鎌倉時代の頃、渋谷家の祖河崎土佐守基家の曾孫渋谷高重によって創建。元渋谷川のほとり、渋谷駅の近くにあった。渋谷川が渋谷城の濠に利用されていたことから文化年間(1804-18)までは「堀ノ外稲荷」と称せられ、そののちに「田中稲荷」と称せられていた。また川の端にあったので「川端稲荷」ともいわれた。

昭和31年に道玄坂上に鎮座していた豊沢稲荷を合祀。
豊沢稲荷は元猿楽町京極家の下屋敷に祀られていたが。明治初年に道元坂上に遷座し、中豊沢にあった多くの稲荷祠を合祀したという。
東京都の区画整理事業に伴い昭和36年に現在地に遷座し神託によって「豊栄稲荷神社」と社名を変更した。

昭和47年に社殿造営。昭和50年に社務所・研修道場を建設。
境内には元田中稲荷神社境内にあった庚申塔が保存され渋谷区指定文化財となっている。


元田中稲荷神社境内にあった庚申塔

8時50分。金王八幡宮の道路を挟んで南側に鎮座しているのが豊栄稲荷神社。もともとは渋谷駅近くに鎮座していたものが戦後に現在地に遷座してきたようだ。
社務所の奥は道場になっているようで、早朝の剣道稽古の掛け声が境内に響く。朝稽古の竹刀ふれあう音と、気合の入った様子に耳を傾けつつの参拝。



「氷川神社(渋谷氷川神社)」<渋谷区東鎮座>

御祭神:素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴命 天照大御神

旧下渋谷村・豊沢村の総鎮守。創始は非常に古いが、詳細不明。
景行天皇の御代日本武尊東征の時、当地に素戔嗚尊を勧請。そののちに弘仁年中(810-24)に慈覚大師が宝泉寺を開基し同時が別当寺となった。
戦災によって手水舎・社務所が焼失するが昭和41年に復興した。


平沼騏一郎揮毫の社号標

 

本殿御敷地旧跡と境内社(八幡社と秋葉社)

9時5分。
次の目的地まで、しばらく学生さんたちについて行ったら、渋谷氷川神社に到着。神社境内東側には國學院大学のキャンパス。

神社業界的には國學院はキーポイントであれど、多くの学生にとってはおそらく神社は関係ない環境だろう。私にとってはさすがに「國學院の近くの神社」というウェイトは大きいが、もっとも私は國學院とはなんら無縁の大学出身だし、それゆえに國學院の近くという、それ以上の感慨は沸かない。

そんなわけで渋谷氷川神社。境内は広め。社務所のカウンターでは猫が昼寝をしていたりして、なんかのんびりとしている。
樹木は豊富で、参道は長め。約100メートルほどはあるだろうか。途中には江戸郊外三大相撲の一つである金王相撲が行われた土俵が残されてる。

のんびりと参道を歩きつつ明治通りに。そのまま南下をする。



「稲荷神社(伊藤稲荷神社)」<渋谷区東鎮座>

御祭神:豊受姫命

創建年代は不詳。この地に住んでいた豪族の伊藤氏の邸内社といわれている。
元禄年間(1688-1704)ごろに崇敬が盛んとなり、伊藤前という町名が今の上智・氷川地区にかけてかなり広い地域にもちいられていたとされる。
昭和62年に社殿再建している。


9時20分。明治通りを南下し東三丁目の交差点を東に。
道路に寄り添うように鎮座。ちいさな社殿。もともと伊藤氏の邸内社だったという神社。その伊藤氏がいまではもはやよくわからなくなっているようで。気がつけばそこに神社があるという事実だけが、いまもそこにあった。

この日の早朝神社散歩はここまで。渋谷駅7時過ぎにスタートして約2時間30分。散歩としては有意義な時間。この日は、このあと仕事なのだ。



2010年9月訪問

「恵比寿神社」<渋谷区恵比寿西鎮座>

御祭神:国常立命(くにとこたちのみこと)
    豊雲野神(とよくもぬのかみ)
    角杙神(つのぐいのかみ) 
    意富斗能地神(おとのじのかみ)
    伊弉諾神(いざなぎのかみ)
    伊弉冉神(いざなみのかみ)
    事代主命(ことしろぬしのみこと)

創建年代は不詳。旧無格社。渋谷氷川神社の境外末社。
古来は「天津神社(大六天様)」と呼称。
戦後に恵比寿地区の区画整備を行った際に再整備され事代主命(恵比寿様)を合祀し「恵比寿神社」と改称。


クスノキ・イチョウ・ケヤキの大木が社殿を包む

昭和35年建立の鳥居

上記の神社群とは別の日に。カテゴリー的に一社だけ残ってしまっていたので、この場所で。

恵比寿駅から駒沢通りを西に歩く。約200メートルほど。ちょうど道路が神社にぶつかるところで左右に迂回して、神社後方で合流。道路の直中に神社が取り残されたように鎮座している。小さな空間であれど、クスノキ・イチョウ・ケヤキの大木が社殿を包むように社殿を守っている。人の通りが多く、通りすがりの人々も拝殿にて足を止めて参拝している。地域と密着している神社のさまが伺えるようで、こうして恵比寿の街の恵比寿様は実際以上の存在感を持って街の中に溶け込んでいた。


参考文献等
各神社境内の案内板等
東京都神社名鑑

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